Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

非現実的な提案、しかし・・

2009年08月25日 | 雑感

「もしあなたが 総理大臣となり内需拡大をと考えた時
どの様な事をしますか?
つまらない質問ですみません。」

先日上のような質問を受け、私はこう答えました。

「『内需拡大』は国民が安心して財布の紐を緩めるようになることをしないと無理だと思います。なので、国民の『老後の不安』や『雇用の不安』を解消するのが先決でしょう。この二つは、海外の安い労力や安い製品が入るようになってきた副作用だと思っています。つまり安いものに対抗する為に、無理な価格設定をする(適正価格の崩壊)、それによって人件費が削られ、雇用や賃金が減り切り詰めなければやっていけない、そして年金を納めない人、将来年金を払ってくれる子供も生めない人達、が増えてきました。(そして、皮肉なことに、こうした人たちが『より安いもの』を選ぶことになって、『適正価格の崩壊』を拡大しています。)

今の時代に輸入規制はできないので、それではどうするか。私が総理大臣だったら、まず、所得の高い人の税率設定の見直し(最高税率は1974年で75%、現在は40%)をして、所得の低い人(これも単なる怠け者も含まれてしまうので難しいですが・・・)に何らかの形でお金が使いやすい環境を構築することを目指すと思います。この、「私が総理大臣だったら」と言う問いかけは、国民一人ひとりにとってとても大切だと思います。」

実はこの私の意見は、よく意見交換をする経済学者や元同僚達には「非現実的」とあまり評判はよくないのです。

しかし、この回答をしてから23日後、たまたま付いていたテレビの番組で、私と同じような趣旨のことを森永卓郎氏が話しているのを聴いてちょっと自信がつきました(ただし彼は所得税の最高税率のような具体的なことまでは言及していません。)

それにしても、この所得税、こういうことが許されたのはどうしてでしょうか。このフラット化は、日本だけでなく世界的傾向だったということもありますが、納得がいきません。

『日本人の政治不信』についても仲間うちで良く話題にしますが、私はこの最も大きな原因は、国民の多く(麻生さんが昔言った『下々の皆様』に該当する人達)が、「政治は遠いところの話、物事を決めるのは、お金持ちの人達だから、彼らの都合の良いように物事が決まっていく」という諦めにあると思っています。

国民の所得に関わる決定について国民投票するシステムがあれば、皆本気で情報収集もし、政治にも関心を持つのではないでしょうか・・・ま、これも「非現実的」と言われそうですが。

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『核廃絶』の手順

2009年08月21日 | 原発・核・311

先日、NHKで『核廃絶』に関しての、一般視聴者(若干の外国人を含む)参加型討論番組がありました。

ディスカッションの場では、進行係のアナウンサーがいくら進行方向を元に戻そうとしても、議論が趣旨と違う方向にいったり、相変わらず人が話しているのを遮って、まくし立てる輩がいましたが、こうした番組はとても意義があるものだと思いました。

私自身は、今オバマ大統領が訴える『核廃絶』というのは歓迎していますが、「核廃絶をするならまず自分の国(米国)から」とも思いますし、核兵器だけでなく、ミサイルなどその他の兵器の削減も必要だと考えています。

核廃絶を訴えながら、実はそのほかの兵器の売上高が伸びていると警鐘を鳴らすアメリカ人専門家もいます。

「オバマさん、『核廃絶』を唱えるなら、どうぞ広島に来てください。」という訴えを良く聞きますが、オバマ大統領はともかく、核兵器製造業者や軍、そして核保有論者の政治家にしてみれば、広島・長崎の原爆の記録など逆に「核の怖さを知らしめる良い宣伝」とは思っている人もいるかもしれません。彼らは「核が怖い」と思われるほうが良いのですから。

そういえば、ワシントンにあるスミソニアン博物館で広島・長崎の原爆の展示をしたときには、その威力の大きさを示すことはしても、被爆者の惨状には触れず、平和運動家の抗議を受けながら、それを無視しました。

NHKの番組に話を戻せば、この番組で、『核の抑止力』についても議題に上りました。

「核があったから、冷戦時に米国とソ連の間では実際の戦争が起こらなかった」ということを核保有論者達は訴えるのですが、私などは、「別に双方が核を持っていなくても、戦争は起こらなかったかもしれない。根拠はないのに、良くこう熱くなれるものだ。」と彼らを冷ややかにみていました。

『核廃絶、兵器削減』は必須だと思いますが、それを必要としない世界を築くことを先にしないとなかなか進まないでしょう。

たとえば、仲が悪いお隣同士が、「相手が襲ってくるかもしれない」と言ってお互いがピストルをベッド脇のテーブルにしまっているとして、片方が自分ではピストルを持ちながら、「ピストルを捨ててくれ。そうしたら仲良くしてあげる」と言っても無駄。相手に会ったとき挨拶をすることから初め、少しずつ警戒感を解いていくのを段階的にしていかないと無理でしょう。

国同士も同じだと思います。

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