大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年11月12日 | 写詩・写歌・写俳

<1779> 余聞・余話 「柚子の収穫」

        柚子実る北国からは雪の報

 我が家の庭には1本の柚子の木がある。7、8年前苗木を買って来て植えたもので、2年前初めて2個の実をつけた。昨年は20個ほどだったか。このブログでも取り上げて来たが、今年は幹回りも太くなり、肥料を施したことにもより、5月には多くの花を咲かせた。その花にチョウやハナムグリがやって来て花粉の授受を手伝ってくれた。お陰で今年は大豊作になり、高さが2.5メートルほどに成長した木の一面に、野球ボールより一回り大きい鮮やかな黄色い実を100個以上もつけた。

  最初、1センチ大の実が沢山ついたが、風の強い日などに落ちるのが見られ、これほどの量に及ぶとは思っていなかった。夏から秋の間、青い実は濃い緑の葉に紛れて太り続け、朝夕冷え込むようになって黄色く色づくようになり、その後、半月ほどで徐々に青味が消えて黄一色になった。日が射すと濃い緑の葉と対照的にその黄色い実は明るく辺りを照らして見えた。で、このほど外面のもの50個ほどを収穫した。

                      

 我が家の庭に山茶花が4本植えてあったが、家のリホームをしたとき、庭に土を入れたのがよくなかったか、それ以後、ネキリムシが発生して、サザンカは次々にやられて枯れてしまった。その山茶花の根を掘り起こし、その後へ妻が買って来た柚子の苗木を植えたのだった。ネキリムシは薬剤を使用するのが厭で、見つけ次第駆除して今に至る。ときにまだ見かけるが、柚子の若木は勢いがよいからか、元気に育ち、今年は十分過ぎるほどの成果を見せてくれたという次第である。

 黄色が増して2週間ばかり、そろそろ収穫に取りかかってもよいかと思い、枝の鋭い棘に難儀しながら半分ほどを穫り入れた。果たしてどうするか。ジャムにするのも一つの案ではあるが、どういうことになるか。写真は我が家の柚子。 柚子実り庭の面を明るくす


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2016年11月11日 | 写詩・写歌・写俳

<1778> 余聞・余話 「米大統領選、トランプ氏の勝利に寄せて」

       個も全ももがく姿の日々にして絶えざるニュース今日もこの身に

 米国の大統領選は選挙人の過半数を獲得した共和党のトランプ候補が勝利し、米国は将来をトランプ氏に委ねることになった。連邦議会の両院議員選挙も同時に行なわれ、上院も下院も共和党が過半数を占める政治体制に移行することが決定的となり、8年続いたオバマ大統領による民主党政権にピリオドが打たれるに至り、大きな政治的変化が予想される状況になった。トランプ氏には批准の段取りで進められているTPP(環太平洋パートナーシップ協定)の破棄を宣言していることなど既に政治的変動の先行きを示す動きがあり、日本にも影響がもたらされる。

 この大統領選の結果は、無謀とも思われる数ある発言等によるトランプ氏のマイナスイメージにもかかわらず、既存の政治、或いは社会の状況に不満を抱く米国民の変化を求める思いがトランプ氏を選ばせたと見て取れる。クリントン候補の不人気もトランプ候補の勝利に繋がったが、根底には既存政治に対し変化を求める米国民の意向が強かったこと、これが選挙に反映したと見て取れる。選挙の結果は、クリントン候補の勝利を予想していた人々に米国民の真意というものが読めなかったことを示すところとなったわけで、これは一つの問題として問われなくてはならず、その要因は探る必要があると思われる。

                               

 現在、竜巻のごとく巻き起こっている大統領が深く関わる韓国のスキャンダル事件は、韓国社会の慣れ合った体質、即ち、民主主義から言えば、その病的とも思われる社会体質の表面化であり、病巣を取り除いて改造することが望まれる大問題だと言えるが、見方によっては韓国が真の民主主義国に脱皮するこの上ないチャンスとも受け止められる。このようなチャンスを生かさず終われば、韓国の未来はなお暗いと言わざるを得ない。混乱という産みの苦しみは免れないが、スキャンダルをスキャンダルに終わらせず、社会の進歩に繋げることが韓国には求められ、望まれることを韓国民自身認識しなければならないところに来ている。

 一方、最近話題になったのは、トランプ氏と同類のような見方をされているフィリピンのドウテルテ大統領の動向がある。何と言っても、ドウテルテ大統領には米国との政治的決別宣言を発したことが大きい。これは南沙諸島問題を含む隣接する中国への融和政策を言うものにほかならないが、大統領は中国を訪問してその意向を実行に移した。言わば、米国との蜜月関係を白紙に戻し、中国と仲良くすると意思表示したのである。これは国境の領土問題において中国と緊張関係にあるよりも、これを棚上げにし、仲良くした方がフィリピンには得策であると考えたからである。米国嫌いのドウテルテ大統領の心証が大きく影響していると見て取れるが、小国フィリピンの立場が垣間見られる決断でもあるように思える。

  このドウテルテ大統領の外交戦略は対立する南北の接線上に位置する我が国を含む国々における一つの試金石のようなもので、小国の外交的知略が見て取れる。大国の思惑によって国を二分し戦わねばならない世界の小国事情を見て来た経験則からして言えば、これは一つの考え方であると察せられる。どのように展開するのかわからないが、これはドウテルテ大統領のフィリピンが小国であるという認識と同時に、「一寸の虫にも五分の魂」的、国と国民を思う勇気であり決断であると見て取れる。この決断も世界情勢の中の一つの変化を求める姿だと受け止められる。

 先進国でも、その変化を求める様相は既に表面化している。英国のEU(欧州連合)からの離脱が示すように、現状の政治に国民は納得していない。まだ離脱には時を要するが、離脱後の欧州というのは不透明であると言わざるを得ない。グローバル化の世界において融和が進まず、民族や国家の意識が芽生え、自国本位や民族本位の仲間意識が強くなり、同時に排他的傾向が台頭し始めている。これは矛盾めくところであるが、世界はグローバル化とグローバル化による人種、民族、国家間の格差とともに個人間にも格差が拡大し、その状況に沿って仲間意識が同時進行の形で顕現し、世界の情勢に変化をもたらして来た。保護主義的なトランプ氏を選んだ米大統領選の結果はこの世界の傾向を示すものである。

 これはグローバル化を押し進めて来たネットの影響力が、これまでの政治体制の問題点を焙り出すことにも結びつき、韓国のような事態を引き起こすと同時に、こうしたグローバル化の自由の下で作り上げられる格差という不条理を社会にもたらす結果に繋がった。また、その結果なども作用する要素になってネットはその反面において国境を越えたグローバルな世界の中で、仲間意識や同等意見の集合体を作り上げる力ともなって来たことが思われる。トランプ氏の勝利が予想出来なかった米国をはじめとするマスメディアの情けない調査事情は、このネット社会において繋がりを持つ個々人の国民心理というものが読めなかったところに起因していると言わざるを得ない。

  トランプ氏を選らんだ米国に対し、「病んでいる」という評があるが、病んでいるのはトランプ氏やトランプ氏を選んだ国民に向けられるべきではなく、既存政治や既存社会自体に向けられるべきであり、国民から乖離してその既存政治を容認して来た票の読めなかったマスメディア自身にもあると言わざるを得ない。トランプ氏を選んだからは、トランプ氏を育てて行かなくてはならない。これは世界に影響力を持つ米国の責任であり、マスメディアなどはその責任の一端を負っている。

 どちらにしても、世界はグローバル化の中にあって、個々の国も個々の人々ももがいている様相が見て取れる。今回の米大統領選の結果もその現れと見てよいように思われる。共和党のトランプ氏が大統領選に勝利したことは日本にも影響の必至であることは間違いのないところであり、安倍政権のあたふたとした状況がこれをよく示しているが、これについてはまたの機会に触れたいと思う。 写真は米大統領選において勝利宣言をするトランプ氏(赤いネクタイの人物。テレビのニュースによる)。


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2016年11月06日 | 植物

<1773> 大和の花 (77) ミズヒキ (水引)                                    タデ科 イヌタデ属

                            

  この頁ではタデ科タデ属のほかの花、ミズヒキ(水引)から紹介してみたいと思う。水引は「細いこよりにのりをひいてかため、中央から染めわけたもの。進物の包み紙などにかけわたす」(『岩波国語辞典』)という飾り紐のことで、細い茎の上部から長い花穂を伸ばし、夏から秋にかけて上部が紅色、下部が白色の小花を多数まばらに連ね、この花穂の姿が慶事の進物に用いる紅白の水引を連想してこの名がつけられたという。

 山野に生え、全国各地に分布し、中国、ヒマラヤに見られる多年草で、大和(奈良県)でも山際に出かければ見ることが出来る。タデの仲間と同じように、小さく一見すると花らしくない花であるが、レンズの目を通して見ると美しく、木漏れ日などを受けて咲くところはみごとである。しかし、半日陰に生えることが多く、写真には撮りづらいところがある。葉は倒卵形で、長さが15センチほど。互生する。なお、ミズヒキの中で白い花を咲かせるものをギンミズヒキ(銀水引)、小花と小花の間隔が狭く、花数の多いものをシンミズヒキ(新水引)と呼ぶ。 写真は花を咲かせるミズヒキ(左)と花の部分(中)。写真右はギンミズヒキ。 

     青春を水引花に連ねゐる

 

<1774> 大和の花 (78) ミゾソバ (溝蕎麦)                                              タデ科 イヌタデ属

                                

  全国的に分布し、朝鮮から中国にも見られる高さが30センチから1メートルほどになる1年草で、田の畦や溝など湿気のあるところに群生する。葉は卵状鉾形で基部は耳状に張り出し、両面とも毛と棘があり、先端は鋭く尖る。花期は7月から10月ごろで、花は枝先に10数個かたまってつく。花被は5裂し、裂片の上部は紅紫色で、下部は白色であるが、全体に白い花もときおり見られる。

  葉の形が牛の額を思わせるところからウシノヒタイ、かたまって咲く花がお菓子の金平糖に似ることからコンペイトウグサ、休耕した湿田などでは一面に生えることがあり、タソバの地方名もある。名にソバ(蕎麦)とあるのは3稜がある卵球形の実がソバの実に似ることによる。 写真は一面に咲くミゾソバの花。紅紫色の花と白色の花。今日は立冬。よく晴れた。 溝蕎麦の花一面の日和かな

<1775> 大和の花 (79) ママコノシリヌグイ (継子の尻拭)                               タデ科 イヌタデ属

                                               

  植物の和名や地方名には奇妙な名がつけられているものがある。前回紹介したミゾソバのウシノヒタイもその一つであるが、今回のママコノシリヌグイ(継子の尻拭)はそれに輪をかけたような名である。最初、この名に触れたときは植物名とも思えないその名に驚いた。これは私だけの印象ではなかろう。だが、命名理由を聞くと、その命名には生活実感が背景にあったりして、その名に理解が及ぶという具合である。

  ママコノシリヌグイはミゾソバの仲間の1年草で、茎は高さがミゾソバとほぼ同じ1メートルほどになる。葉は先端が尖る三角状で、茎や葉に棘があり、これに触れると痛いところから命名者はこれに継子いじめの道具を思いついたのだろう。実際に用いたとも思えないが、いじめは今も昔も変わらずあるところ、昨今のいじめや虐待による死亡例などを聞くにつけ、棘のあるママコノシリヌグイによる体罰はまだ可愛いものかも知れないと思えたりもする。どちらにしても、ユニークな名ではある。

  日本全土に分布し、朝鮮、中国にも。道端や林縁などの少し湿気のあるところに群生し、夏から秋にかけて枝先に10数個の小花をかためてつける。小花の花被は5つに裂け、ミゾソバと同じく、裂片の上部は紅紫色、下部は白色のツートンカラーで、よく見ると可愛い花である。 写真はママコノシリヌグイ。茎に短い棘が見える。  今日もまた熊に襲はれたる人のニュース 因果かそれとも何か

<1776> 大和の花 (80) アキノウナギツカミ (秋の鰻攫) と ナガバノウナギツカミ (長葉の鰻攫) タデ科 イヌタデ属

                     

  ともに水辺などの湿気のあるところに生えるタデの仲間の1年草で、アキノウナギツカミがナガバノウナギツカミよりも少し大きく、高さが1メートルほどになる。ナガバノウナギツカミは大きいもので80センチほどになる。互生する卵状披針形から披針形の葉はアキノウナギツカミの基部が矢じり形で、茎を抱くように見えるのに対し、ナガバノウナギツカミは基部が鉾形の違いがある。

 アキノウナギツカミは全国的に分布し、ナガバノウナギツカミは北海道を除き、本州、四国、九州に分布する。国外では朝鮮半島、中国、モンゴル、インドなどに広く見られるという。花期はアキノウナギツカミが6月から10月ごろ、ナガバノウナギツカミが9月から10月ごろで、ともにミゾソバと同じく枝先に花被が5つに裂ける小花を10数個かためてつける。花被は上部が紅紫色、下部が白色であるが、アキノウナギツカミの方が淡い色に見えるところがある。

 両方とも茎に下向きの棘があり、ぬるぬるしているウナギでもつかめるということからこの名が生まれたようである。なお、ナガバノウナギツカミには花柄に毛があるのに対し、アキノウナギツカミには毛がないのでこれも判別点になる。 写真は花をつけるアキノウナギツカミ(左)とナガバノウナギツカミ(右)。  湿地には湿地を好む花の数 生の姿はチョイスの姿

<1777> 大和の花 (81) ヤノネグサ (矢の根草)                              タデ科 イヌタデ属

                                                 

  全国的に分布し、朝鮮半島、中国、インド、ネパール、タイ、ロシアなどで見られるという。水辺や湿地に生える高さが50センチほどの多年草で、茎には下向きの小さな棘がある。葉は互生し、卵形から広披針形で、この葉に矢の根、つまり、矢じりを連想したことによりこの名が生まれたという。葉先は尖る。

  花期は9、10月ごろで、枝先に10数個の小花がかたまってつく。小花の花被は5深裂し、上部は紅色、下部は白色で、アキノウナギツカミなどほかのタデ属の仲間によく似るが、草丈も花も全体に小振りである。 写真は水辺でほかの草に混じって花を咲かせるヤノネグサ(左)とその花(右)。ともに下北山村で。  露を帯び咲きたる花のヤノネグサ色に出にける秋をまとひて

 

 

 

 

 

 


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2016年11月05日 | 写詩・写歌・写俳

<1772> 余聞・余話 「第67回奈良県美術展(県展)によせて」

        文化の日 私もあなたも文化人

 このほど奈良県の美術展が県の文化会館で開かれ、昨日見に出かけた。日本画、洋画、彫刻、工芸、書芸、写真の6部門の応募の中から入選した作品と審査員や招待者等の作品が一同に展示されていた。今回も各部門の最高賞である県展賞を審査員の評を付して紹介したいと思う。

 日本画は山本明美の「水に還る」。評は「白い水面が効果的な空間表現になっています。下部から上部の白い空間が蓮の配置と調和がとれ、ほのかな光を感じさせる優れた作品です。蓮の微妙な色調のマチエ―ルも画面効果を高めています」とある。画題と作品の印象がぴったりの生命の根源に通じる印象の作品に思えた。

 洋画は西基良の「羅針盤南へ(KUSHIMOTO)」。評は「工夫が足りている。海の世界を愛している。「何を言わんとするか」に集中し、それを気持ち良く表現している。コラージュが観る人にイメージを高めている」とある。印象をそのままに表現する写生とは真逆な手法で、描くことによって夢を開く発想の楽しい絵の感じがあった。

   

 彫刻は岡橋久代の「Kさん」。評は「全体的にバランスがよく、大きな構成の中に、繊細な頭部の造形に作者の息づかいが感じられる。特に、髪の毛の表現が匠である。色彩もよく調和のとれた作品です。審査員全員一致で決定した」とある。一見陶芸作品のように思える胸像である。何かを求めているような、しかし、穏やかな表情の像は作者との一体感を思わせるところが感じられた。

 工芸は大西麻由の「綾織―眩惑」。評は「綾織の地紋の赤地を背景に、アクセントとしてブルーのシャープな線條がひかえめに配され、よくデザインされた質の高い美しい作品で、光の具合によって表情を変える魅力的な作品である」とある。着物の作品で、帯はどうなのだろう。着用するとどのように映えるのかと想像されたりするが、展示用のガラス越しが鑑賞の妨げになった。

 書芸は藤田華苑の「君がため」。評は「前半10行を低く書き出して、力を十分にため上部の空間を支えつつ中央部への大きい動きを引きだすべく書かれている。中央部から後半の盛り上がり十分。ただ後半は少し収まりが中途半端のように感じます。落款印の位置でしっかり空間をしめた。墨色・線質共働き良い点作品効果はよかった」とある。これだけの字数、空間にあれば、一字一句の配置が要求されるのだろうと思われた。

 写真は栗原義孝の「舞い降りた天使「サンピラー」」。評は「Photo-Graphy(光の絵)とは正にこのような写真のことです。サンピラーとは-25℃以下の状態で起る自然現象とは言え、瞬間のチャンスを見事にとらえ[光の絵]を描いています。「舞い降りた天使」とは作者の感性がそう表現しています。素晴らしい作品です」とある。光をとらえて表現する写真の特性を生かした作品の典型。数多の微細な氷の粒に太陽光が当たって輝くサンピラー(太陽柱)現象に神の使者である天使の想像は共感される。

  写真は左から日本画の山本作品、洋画の西作品、彫刻の岡橋作品、工芸の大西作品、書芸の藤田作品、写真の栗原作品。敬称略。


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2016年11月04日 | 植物

<1771> 余聞・余話 「帰り花」

      小春なる慈愛の日差し暖かく 帰り花咲く公園通り

 陰暦10月を小春という。現在の11月、初冬のころに当たる。この時期は風雨の少ない気象条件となり、穏やかに晴れて春を思わせるような暖かな日になることが多いことから、この時期を小さな春とみて小春と称し、この時期の晴れた暖かな日を小春日と呼び、そのような天気を小春日和と呼ぶようになった。『徒然草』の「十月は小春の天気」(155段)とあるから、小春は中世には用いられていた言葉であるのがわかる。誰が言い出したのか、小春にはほっこりとした心持ちが纏う。

        

  この小春のころ、ときならぬ花が咲き出すことがある。この花を帰り花という。サクラ、ナシ、ヤマブキ、ツツジなどの樹木によく見られ、草花でも実を成す時期のカキツバタの仲間や閉鎖花の時期であるスミレ類にも見られることがある。タンポポにも見られるが、セイヨウタンポポは年がら年中花を咲かせるので、帰り花には相応しくない印象が拭えない。

 帰り花はほかにも、帰り咲、返り花、返り咲、狂い咲、狂い花、二度咲、忘れ花等々の言い方が見られ、俳句では冬の季語として用いられている。和歌の世界では馴染みのない言葉で、もっぱら季節を込めて一句を成す俳句の世界に登場して来た言葉と言えるようである。冬の季語で言えば、小春、小春日、小春日和も然り、同じような意味の小六月(ころくがつ)にも言える。木守柿、冬至梅、凍蝶、冬木立なども俳句の世界に登場が多いと言えようか。みな自然に関わる言葉である。 写真は暖かな日差しを受けて咲くコヒガン(小彼岸)の帰り花(左)、スミレの帰り花(中)、スミレの閉鎖花と実(右)。

 それぞれにみなほっこりと帰り花