<1677> 大和の花 (1) オオハナウド (大花独活) セリ科ハナウド属
2011年8月12日よりほぼ毎日更新し、続けているこのブログも写真、詩歌、短文の三点セットの厳しさとネタ不足による不十分に納得出来ないところが生じて来た。以上のような思いに至り、今回より「写詩、写歌、写俳」の形式を変更し、当分、タイトルはそのままにしながら、カテゴリーの植物に集中して一日一花を基本に、ライフワークとしてこれまで撮り貯めて来た大和(概ね奈良県下)に咲く野生の花を主に、写真と記事(短文)でまとめ、記事の末尾に記事にこだわりなく、自作の俳句もしくは短歌、詩を記し、続けて行くことにした。
花は春夏に多く、冬場には少ないので、採り上げる花が季節に合致しない場合も出て来ることになるだろうが、これは致し方なく、ご了承頂きたいところである。また、これまでこのブログに登場した花もあるかとは思われるが、これについても新たなシリーズとして、写真の重複等ご容赦願いたいと思う。どこまで続けられるかわからないが、一年以上は続けて行きたいと願っている。そのほかのテーマについては時事的問題も含め、「余聞・余話」の項を設けてその都度記して行きたい。では、一回目として、大峰山脈の尾根筋に咲くオオハナウドを紹介したいと思う。
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山地の草地に生える大型の多年草で、平野部で見られるハナウドに似て、草丈は1~2メートル。6月から8月にかけて、枝先に複散形花序を出し、白い小花を多数つける。花を際立たせるためか、花序周辺の小花では外側の一つの花弁が大きく、これが特徴としてある。自生の分布は近畿以北で、国外ではウスリー、千島、カムチャッカに見られるという。大和では標高1500メートル付近の尾根筋に当たる大峯奥駈道の石灰岩地のシカ避け防護ネット内の草地一箇所のみに自生している。
防護ネットが設置されていなかった10年ほど前には2~3株しか見られなかったようであるが、現在ではネットの効果により、かなり増えている観がある。しかし、生育しているのはネットの中だけで、ほかの場所には見当たらず、奈良県では2008年の報告で絶滅寸前種にあげられたが、研究者に見解の相違があるとして2016年の『大切にしたい奈良県の野生動植物』改定版では情報不足種に変更された。ここでは従来通りに扱った。
この花が咲く時期にはハチやアブの類が集まって来るので、撮影には注意が必要である。ほかの植物も含め、盗掘はもちろんのこと、植生保護のため撮影に当たるときもネット内に入ることは出来ない。 写真は尾根の草地に咲くオオハナウドと花のアップ(花序周辺の外側の花弁が大きい特徴がある)。 汗を拭ひつつ行く歩速の山路には花と出会へる憧憬(あこがれ)がある
<1678> 大和の花 (2) ミヤマトウキ (深山当帰) セリ科シシウド属
低山帯から亜高山帯の湿った岩場に生える多年草で、草丈は大きいもので50センチほどになる。光沢のある葉は卵状被針形の2回羽状複葉で、深く裂け、全体に独特の臭いがある。花期は7月から8月で、茎頂に複散形花序を出し、白い小花を多数つける。自生の分布は近畿以北とされる日本の固有種で、大和では大峰山脈、大台ヶ原山、野迫川村の渓谷沿いの岩場に見られるが、大和には自生地も個体数も少なく、奈良県では絶滅寸前種にあげられている。
頭痛や貧血によるめまい、月経不順などに効能があるとされ、婦人薬として知られる薬用植物のトウキ(当帰・ニホントウキ)はミヤマトウキを改良したものではないかとされ、中国原産のカラトウキ(唐当帰)とは区別される。奈良県は北海道や和歌山県とともにトウキ(当帰)の主要な生産地として知られる。 花はみな何処に咲けど未来への扉を開く希望の証
<1679> 大和の花 (3) シシウド (猪独活) セリ科シシウド属
高原や深山に及ぶ山地の日当たりのよい草地に多く見られる大型の多年草で、毛の生えた茎は太く、高さは2メートルにも及び、草原では他に抜きん出てよく目につく。茎は上部で枝分かれし、その先端に大きな複散形花序を出す。その花序に8月から11月ごろにかけて白い小花を多数密に咲かせる。姿がウドに似て大きいことからシシウド(猪独活)の和名が生まれた。葉も大きく2、3回羽状複葉で、小葉は長楕円形。葉柄の基部は鞘状になって膨らむ。日本の固有種で、本州、四国、九州に分布し、中部地方以北の深山には葉の大きいミヤマシシウドが見られる。
多年草の中には花が咲いて結実すると、その株全体が枯死してしまう特質を有するものがある。これを一稔草と呼ぶが、一稔草はセリ科の植物によく見られ、シシウドもこれに属し、タケやササ類にも言える特質である。曽爾高原ではこのシシウドがよく見られるが、ときに高原の草原一面に出現し、次の年には極端に少なくなることがある。これはこの一稔草の特質が現れたもので、私には高原に点々と咲くシシウドの花が吹き上げる高原特有の風に靡く姿に駈け上がって行くイノシシの群のように見え、印象深く眺めたことがある。
写真は1998年8月の曽爾高原の草原(左・点々と見えるのは花を咲かせるシシウド)。花が風に揺られるシシウド(中・後方は曽爾の連山)。シシウドの花のアップ(右・小花の花弁は内曲している)。 知恵は如何なる知恵も 発揮されて 何ぼのものである
<1680> 大和の花 (4) セリ (芹) セリ科 セリ属
田や溝などの湿ったところに群生して見える草丈20センチから50センチほどの多年草で、日本全土に分布し、北半球からオーストラリア一帯に広く見られるという。古来より摘んで食べる野草として名高く、『万葉集』の相聞歌にも登場する万葉植物である。左大臣橘諸兄が臣籍に下る前、葛城王と呼ばれていた班田の司であったとき、親しくしていた宮中の女官らに自分で摘んだセリを贈り、歌を添えた。これに女官の長が返歌したもので、この贈答歌の二首にセリが出て来る。
また、セリは春の七草にあげられ、正月七日の七草粥に入れて食べるが、これは南北朝時代に出された『源氏物語』の注釈書『河海抄』(かかいしょう・四辻善成著)に薺(なずな)、繁縷(はこべら)、芹(せり)、菁(すずな)、御形(ごぎょう)、須々代(すずしろ)、仏座(ほとけのざ)があげられ、これをもとにして、「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草」と誰かが詠みなし、これが春の七草として定着し、江戸時代にはこの七種を入れる七草粥が一般にも知られ、風習化して行ったようである。
なお、セリはびっしりと密に群生することが多く、その姿を競り合っていると見た観察眼によってなった名であると一説にはある。また、セリバオウレン、セリバシオガマのようにセリの3出羽状複葉に似ることにより命名された草花も見られる。以上のごとく、セリは昔からよく知られた野草であるが、春の七草の摘草のイメージが強く、白い小花を密に咲かせる真夏の花にはあまり関心が持たれていないところが見受けられる。 写真は休耕田の湿地に群生して白い花を咲かせるセリ(左)と白い小花をいっぱいつけるセリの花。
蝉の声夏ばて気味の身に迫る
<1681> 大和の花 (5) ドクゼリ(毒芹) セリ科 ドクゼリ属
水辺や沼地などに生え、草丈が1メートルほどになる多年草で、全草に痙攣毒のシクトキシンやムクトキシンを含み、トリカブト、ドクウツギ、ハシリドコロなどとともに有毒植物の最右翼にあげられている。花期は6月から8月ごろで、セリ科特有の複散形花序に白い小花を多数咲かせる。
春先の若葉のころはセリに似るので間違われ、これを食して悲劇を生むこともある。特に毒性が強い緑色を帯びたタケの根節状の根塊が特徴で、これによりセリとの判別が出来るが、とにかく、要注意である。ドクゼリの中毒症状については、薬草図鑑に「よだれを流し、手足をこわばらせてケイレンし、脈拍が急に増加して呼吸困難を起こしたあと、急に静かになって、死ぬことが多い」とある。
分布は全国的に及び、ユーラシア大陸に広く見られるというが、大和(奈良県)での自生は一箇所のみと言われ、絶滅寸前種にあげられている。写真は三重県境の三重県側で撮影したもので、自然環境の良好な山間の小さな溜池の縁に群落をつくって生えている。 写真は池の縁の一角を占めて花を咲かせるドクゼリ(左)と花序のアップ。写真を撮りながらなぜドクゼリは毒を持つのだろうと考えたりした。これも生きる知恵なんだろう。植物にもいろいろとある。厳密に言えば、写真の花は大和の花ではないが、県境一帯の環境下、毒草でもあり、採りあげた。
この世はねえ 何と言ってもねえ バランスだ
バランスを保ってねえ みんな 生きて 暮らしてる
バランスを失ったら そりゃあ 駄目だ
生きて行けやしないし 暮らしても行けなくなる
<1682> 大和の花 (6) シャク (杓) セリ科 シャク属
山野の湿り気のある草地に生える高さが大きいもので1.4メートルほどになる大型の多年草で、全国的に分布し、ユーラシア大陸東部、カムチャッカに広く見られるという。茎は上部で分枝し、葉は2回3出複葉で、小葉は細かく裂けるのでニンジンの葉に似るところからヤマニンジンとかコジャクという別名でも呼ばれる。花期は5~6月ごろで、枝先にセリ科特有の複散形花序を出し、白い小花を多数つける。
最近、少なくなっているようであるが、サクラの名所吉野山に多く見られた。花をつける前の若葉のころの茎葉は山菜として食用にされて来た経歴があり、吉野山では救荒植物として植えられた可能性もある。吉野山ではニンジンバと称し、吉野山小学校(現廃校)の児童たちが学校で飼っていたウサギの餌にしていたという話を聞いたことがある。
私は半世紀ほど前の学生時代にサクラの花が終わった初夏のころ、学友と吉野山から津風呂湖にかけて遊んだことがある。そのとき吉野山にはサクラでなく、この白いシャクの花が一面に咲いていた。風があって涼しく、この花が爽やかに感じられたのを覚えている。
写真左は吉野山の山肌一面に咲くシャクの花(1995年5月撮影)。写真中は2年前に撮影した花。このときは吉野山の道端でしか見ることが出来なかった。写真右は花序のアップ。外側の花弁が大きい。
思ひ出の花にしてあるしゃくの花 我が青春のひとこまに咲く