大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年08月07日 | 写詩・写歌・写俳

<1683> 余聞・余話 「私の八月」

          八月は齢(よはひ)加ふる思ひ月などやさしくも百日紅咲き

 私の誕生日は八月七日の今日。敢えて年齢は伏せるが、私にとって八月は正月と同様、齢(よわい)を加える月と言える。この八月が特異な月であることは、日本人なら誰もが感じ、承知しているはずである。まずは、辟易する暑さの中で立秋を迎え、月の半ばには仏教の影響による風習としてのお盆がある。亡き人(先祖)の霊を迎え、一緒に過す盂蘭盆会の月である。お盆を過ぎると残暑の候に暑處が来る。これらは、私の生まれる以前から日本人の心情の中に融け込んであったものである。

 次にあげる事情は、私がこの世に生を得てからの出来ごとによる。世界を巻き込んで展開された第二次世界大戦の太平洋戦争があり、まだもの心がつくかつかないかの幼いとき広島と長崎に原爆が落とされ、これが八月六日と九日で、亡き人を迎える日であるお盆の十五日に敗戦という形で終戦を迎えた。田舎育ちの私にはこの惨憺たる日本の悲劇がどのようなものであったか、全く解らずにいたが、年齢を加えゆくに従っていろいろと思いを巡らすほどになって行った。

 ノーモア戦火、ノーモアヒロシマ・ナガサキ、ノ―モアオキナワ。そういう平和を尊ぶ心持ちが私の中にも教育されて芽生え、八月はいつも思いを新たにする月になって行った。そして、最近は憲法のことなどについても考えを巡らせるようになった。また、この八月は高校球児が集う平和の象徴的な高校野球が熱戦を繰り広げる。今年はこれに加えてリオの五輪がこの思い月に加わえられている。私は、かつて、私の誕生に関わる母を想像して次のような歌を詠んだ。このブログのどこかで紹介したようにも思うが、今一度あげてみたいと思う。

                                                                         

   八月は我を産みたる母の月笑みと百日紅の花との

   産褥の母の眼がやすらひし百日紅の花の八月

 これがその歌であるが、百日紅(ひゃくじつこう・さるすべり)は暑い盛りを咲き継ぎ、今も八月の私の思い、心象のうちにやさしく咲き継ぎ、彩りを見せている。 写真はイメージで、猛暑の中で彩り鮮やかに咲くサルスベリ。