<357> 掌 編 「花にまつわる十二の手紙」 (3) 向日葵 (ひまわり)
育みし 心のそれや 青空の 中に咲きたる 向日葵の花
初秋の風がいまあなたの部屋のカーテンを揺らしています。今日は日曜日。本来なら、あなたはタバコに火を点けながら、私に午後のコーヒーを所望しているところでしょうが、もうそういうこともないのだと、あなたの机に向かいながら思いを巡らしています。
あなたが亡くなって、あっという間に四十九日が過ぎました。あなたが倒れ、気が動転して以来、あわただしい日々が続きました。その間何一つ手の付けられない状態でしたが、この間の法要で、やっと一区切りがついたような気がしています。
あなたのいる場所にあなたがいない淋しさは日々つのるばかりですが、妹の千奈美がよくしてくれるので助かります。あの子も四十代で旦那さんを亡くしているので、残されたものの気持ちがわかるのだと思います。こんなことなら、道子をもっと近くに嫁がせておけばよかったと、いまさらながら思います。
そんなわけで、この間から少し整理をしてみようと思い、あなたの部屋に入っているわけですが、あなたの面影や思い出に立ち止まるばかりで、整理の方は少しも進みません。昨日は短歌の創作ノートを捲っていたら、私のことを詠んだ歌が出て来て、うれしく思うと同時に運命というものがどんなに情け容赦のないものかということを思い知らされる気持ちになりました。
一本(ひともと)の 向日葵の苗 植ゑしより 患ふ妻と 分かつ朝朝
そうです。この歌です。「現実が勝ってなかなか歌に出来ない」と、家族のことにはほとんど触れなかったあなたの作品の中で、珍しいと言っていい歌ですが、「分かつ朝朝」という結句が当時を彷彿させて、「ああ、そうだったんだ」と、改めてあなたの気持ちがありがたく思い出されます。
あれは平成元年の春でした。天皇が亡くなって、昭和も終わり、「人はいつか死ぬんだ」と、そんな感慨でいたら、検診で乳癌が見つかり、摘出手術を受けることになりました。突然の宣告に目の前が真っ暗になる思いでしたが、「初期だから大丈夫」と言われ、手術に臨みました。
手術はうまく運び、回復も順調で、すぐに退院出来ました。この歌は私が退院した後に作られたものですよね。ヒマワリは忘れもしません。今まで庭の手入れなどしたこともなかったあなたが、ヒマワリの苗を一つ買って来て庭の隅の花壇に植えたのです。あなたは何も言いませんでしたが、私のために買って来てくれたことはわかっていました。ヒマワリは日を追って大きくなり、私は朝の水遣りがとても楽しみでした。
術後というのは、「大丈夫」と言われても、再発の不安が付き纏います。私も不安でたまりませんでした。そんな私の気持ちを察してのことだと思います。あなたは、以前にもましてやさしくしてくれました。この歌を見ていると、そのときの気持ちが改めて思い出されます。
術後のあのころは、再発させてはならないという思いが強く、自分で対処出来ることは何でもやりました。いまでも持続していますが、定期健診はもちろんのこと、食べものにも気をつける生活を始めました。しかし、何をやっても不安は拭い切れないもので、恬淡としていられない心の不安定な日が続きました。そんな私の気持ちがわかっていたからこそ、あなたはヒマワリの苗を買って来て植えてくれたのだと思います。それが、この歌で一層よくわかりました。 ~次回に続く~