大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年08月03日 | 創作

<336> 掌編  「初恋」 (2)

         桃の花描きに行きしことなどもありけり君の思ひ出の中

 君の家は、お父さんとお母さんと君の三人暮らしで、戦火が内地に及ぶのを懸念して神戸から疎開して来た。お父さんとお母さんはかなりの年齢差があるように見えた。お父さんは貿易に関わる仕事をし、株もやっているということだったが、疎開の前から病気がちで、田舎に来てから酷くなったようで、ほとんど家から出ることがなかった。

 後から聞いた話であるが、結核性だということで、近所の人も君の家にはあまり近づかなかったようである。そんなわけで、どちらかというと、君の家はひっそりと暮らしている感じがあった。田舎の暮らしはあまりよいものではなかったかも知れない。しかし、お父さんの養生のこともあったからであろう、終戦後も暫く田舎に留まっていた。

 君はそのころ絵を描くのに夢中で、学校から帰ってもよくスケッチをしていた。僕の家にも来て床の間に飾った段飾りの雛人形を描いたりしていた。岡に桃畑があり、花盛りをめがけて、桃の花を描きに二人で出かけたこともあった。岡の坂道をずっと山際まで登り詰めて眺めた桃畑の花はみごとだった。君は花のよく見えるところに座ってスケッチを始めた。小学四年生のときだった。

                                           

 僕は絵を描く君を守る守護神の心持ちになって君の傍にいた。小一時間ほどスケッチしたころ、ぽつりぽつりと雨が降り出した。帰りを急ぎ、岡の坂道を半分ほど下った辺りで雨が本降りになり、僕たちは足を速めた。僕が前を歩き、君が後に続いた。君は遅れ気味になって「良ちゃん、良ちゃん、そんなに急がんで」と僕に訴えた。そのとき、君は坂道の小石に足を取られて転んでしまった。

 尻もちをつくように転んだので大したことはないと思っていたが、君はスケッチ用具をかばって十分に手が使えず、右肘にすり傷を負ってしまった。傷は痛そうに見えたが、君は「大丈夫」と言って歩き出した。僕は君に手を貸して一緒に歩いた。君は僕の手を離さないようにしっかりと握っていた。やさしい手の感触だった。

 家に着いたとき、二人ともかなり濡れていたので、出迎えてくれた母はびっくりして、体を拭いてくれるやら傷の手当てをしてくれるやら大変だった。それから直ぐに、心配しているかも知れないと母は僕と一緒に君を君の家まで送った。僕が君の家に行ったのはそのときがはじめてだった。玄関先で挨拶し、直ぐに帰って来た。最初、僕は気づかなかったが、それから間もなくして、君が病床のお父さんのために絵を描いているということを知った。桃畑の絵が学童県展に出され入選したとき、先生からそれを聞いたからである。

 その病床のお父さんが亡くなって、お母さんは君を田舎で育てるより都会で育てた方がいいと思ったのだろう。切りのいい翌春、五年生になるときに神戸の方へ引っ越して行った。ちょうど、岬を巡る広い道が完成し、バスが通うようになった年だった。そのバスに乗って君とお母さんはお父さんの郷里である僕の田舎を離れて行った。

 その日、僕はバス停に行かず、バスより先にバスの通る岬の道がよく見える峠に登って、そこで君を見送った。君は僕の姿を捉え、バスの窓から手を振っていた。砂埃を巻き上げながらバスは走った。僕はバスが岬の山陰に隠れるまで手を振った。

 お父さんは岡の辻の日当たりのよい墓地に埋葬され、永遠の眠りについた。お母さんは毎年、夏になると墓参に来ていた。お父さんの供養はみな田舎でしたので、そのつど君も来ていた。しかし、僕は君に会うことがなかった。七回忌のときも会えなかった。そのとき、僕は大学進学の夏期特訓で朝早くに隣町まで出かけていた。母から、長い髪のよく似合うお嬢さんで、幼稚園の先生になりたいらしいということを聞いて、僕は君のことを想像した。想像しながら、都会の人だと思った。

 それから、二年後の春、君はお母さんとともに、大学進学の報告のためお父さんのお墓参りにやって来た。僕は京都の大学に行っていて、そのとき、ちょうど春休みで、帰省していた。幼馴染みなのに、僕には初対面のような緊張があった。ところが、君はそんな僕に向かって、明るくはきはきと話すので、僕も気持ちがほぐれて、すんなりと話が出来た。母たちは母同士で話しているし、話は弾んで、昔のことにも及んだ。

 長い髪は母から聞いていた通りで、想像していたより少し面長だったが、純真で明るく爽やかな印象に変わりなかった。絵の話をすると、一枚あのときの桃畑の花の絵は残して今も額に入れて自分の部屋にかけていると君は言った。学童県展で特賞に選ばれたその絵は展覧会から戻り、長い間図書室の前の廊下に張り出されていた。絵も出来るし、ピアノも弾けるし、幼稚園の先生に打ってつけだと僕は心の底からそう思った。

 あれからよく幼い子供たちに囲まれてにこやかにしている君の姿を思い描くようになった。しかし、あのころから、病魔は既に君の体に忍び寄っていたのだろうか。そんな感じは少しもなかったのに、あれからあまりにも短い日月である。そのことを思うと、僕は胸が締め付けられる。君は君が望んだとおり、日当たりのいい岡の辻のお父さんのお墓の傍に埋葬された。暫く後に、君のお母さんは神戸を引き払って、お父さんと君の眠る田舎に居を移すべく準備をしているということを母から聞いた。

 僕にとって、君の死はあまりにもむごいものであり、その理不尽は、神さまさえ信じられないほどの気持ちにさせた。しかし、今では静かに思うことが出来る。君の死は永遠に変わらない君の姿を僕の心に留めた。それは時の作用かも知れない。少し心に余裕が出来、僕はそう思えるようになった。とにかく、今では心の中で、いつでも君に会えるという気持ちでいる。  (了)