大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年08月28日 | 万葉の花

<361>万葉の花(31)さなかづら、さねかづら(狹名葛、佐奈葛、左奈葛、木妨己、狹根葛、核葛)=サネカズラ(実葛、真葛)

      真っ赤な実 ゆゑにある名の 実葛

   玉くしげみむろの山のさなかづらさねずは遂にありかつましじ                        巻  二  ( 9 4 )     藤 原 鎌 足

    さねかづらのちも逢はむと夢のみにうけひ渡りて年は経につつ                  巻十一 (2479) 柿本人麻呂歌集

 さねかづらもさなかづらも今日いうところのサネカズラで、さねかづらはさなかづらから転じたものと言われ、合わせて集中の長、短歌九首に見える。94番の鎌足の歌は「さなかづら」までが「さねずは」以下を導く序で、「さなかづら」が以下に続く同音の「さねずは」に掛かっているのがわかる。

  この歌は鏡王女の歌に応えて詠まれた相聞歌で、鏡王女が「玉くしげ覆ふを安み開けて行かば君が名はあれどわが名し惜しも」(93)と「お泊りになって夜が明けて帰られるのであれば、人に知られて噂になるでしょうから、あなたさまはともかく、私の名が惜しまれます」と遅く帰るのを非難して詠んだもので、これに対し、鎌足が「あなたと寝ないでは耐えられないことです」と応え返しているもので、この用法でサネカズラが見えるのはこの一首のみである。

  ほかの八首は、蔓が分かれて長く延びてもまた合うサネカズラから2479番の人麻呂歌集の歌に見られるように「後も逢はむ」の枕詞として用いられた五首を含め、サネカズラが他物に絡んで延び上がるツル性植物の特徴をもって詠まれ、九首すべてに花も実も出て来ない点が言える。人麻呂歌集の歌は「この先もまた逢えるかしらと夢にのみ見て年月を経つつあることだ」というほどの意に解せる。

  サネカズラはマツブサ科の蔓性木本で、関東以西、四国、九州、それに台湾、中国などに分布し、大和にも多く、各地に見られる。蔓は枝分かれして絡み合いながら延び、高さ二十メートルに及ぶものも見られる。葉は常緑で、光沢があり、ツバキの葉に似る。雌雄別株または同株で、盛夏のころより花被片が黄白色の花を開く。雄花は蕊の部分が赤く、雌花は緑色で、白い花柱が多くつき、この部分が育って秋になると結実し、よく目につく真っ赤な集合果を垂れ下げる。

  サネカズラは実葛、真葛で、その名は印象的なこの実によって生れたものであるが、万葉人はこのよく目につく実には目もくれず、特徴のある花にも関心を持たず、ひたすら蔓性という特質に目を向けて接していたのがわかる。ほかにも『万葉集』には蔓性の植物が十五種ほど見えるが、その中で花を主眼に詠まれているのはフジとかほばなのヒルガオくらいで、他は蔓植物の特性などをもって詠まれているのがほとんどで、その用いられ方は、単なる写生ではなく、比喩的に用いられているのがわかる。これは五七五七七の短歌という定型短詩を表現する手段として有効な言葉の用いられ方で、『万葉集』に頻用されている和歌の用法である。

                                                                            

  万葉後もサネカズラはこの比喩的な用法によって用いられた。『後撰和歌集』に初出し、『小倉百人一首』にも採用され、人口に膾炙している次の歌などはその代表的な例で、ここでも、当然のこと、印象的な真っ赤な実は登場せず、見向きもされていないのがわかる。  写真は左からサネカズラの雄花、雌花、果実。

   名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな                                                 藤 原 定 方

 歌の意は「逢うと言い、さね(共寝)ということをその名に負うのであれば、この逢坂山のさねかづらをたぐりながら人に知られないで、やって来る手立てがあってほしいものだ」ということになる。