大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年06月13日 | 万葉の花

<1013> 万葉の花 (125) やまたちばな (夜麻多知婆奈、山橘 ) ヤブコウジ (薮柑子)

       薮柑子 情に棹さし あるがごと

    あしひきの山橘の色に出でよ語らひつぎて逢ふこともあらむ                     巻  四  (669)   春 日 王

    紫の糸をぞ吾が縒(よ)るあしひきの山橘を貫かむと思ひて                                     巻 七 (1340 ) 読人不知

    この雪の消(け)残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む                                     巻十九(4226) 大伴家持

 集中にやまたちばなの見える歌は五首で、みな実を詠んだ歌である。冒頭にあげた春日王の669番の歌は、相聞の項に見えるもので、その意は「山橘の鮮やかな実の色のようにその姿を見せてください。そうすればみんなが語らい継いで逢うことも叶うようになるでしょうから」というほどになる。因みに、この歌の詞書によると、春日王は天武天皇の娘多紀皇女を母に持つ志貴皇子の子である。

 この歌と同じく、やまたちばなが二句目の「色に出で」を導く序として用いられている歌が今一首ある。巻十一の寄物陳思の項に見える2767番の歌で、「あしひきの山橘の色に出でて吾は恋ひなむを人目難(かた)みすな」とあり、その意は「あなたが山橘の実の色のように姿を見せ、私は恋してしまうだろう。どうか人の目など気にしないでほしいものだ」というほどに取れる。

                                                               

 次に1340番の歌であるが、この歌は譬喩歌の項の「草に寄す」の中に見える一首で、その意は「紫の糸を私は縒っている。山橘の実を貫き通すために」というもの。山橘の実を恋しい女性に喩えているわけである。言わば、上述三首はやまたちばなを気になる女性になぞらえて詠んでいるわけである。この歌が「草に寄す」の中に入っているのは、やまたちばなを草と見ているからで、これについては、後で触れたいと思う。

 次の大伴家持の4226番の歌は、巻十九に見えるもので、天平勝宝二年(七五〇年)三月一日より天平勝宝五年(七五三年)までの歌を日付順に百五十三首載せ、巻二十に続けている中の一首である。この歌は天平勝宝二年十二月の記載があるから越中の国守として越国(富山県)に赴任していたとき(天平十八年から天平勝宝三年)の歌であるのがわかる。詞書に「雪の日に作る歌一首」とあり、雪の積もった中にやまたちばなの実を見る期待感がうかがえる。

 歌の意は「この雪の消えないで残る間に、さあ行こう。そして、山橘の実が鮮やかに照るのを見ることにしよう」というもので、歌は巻二十の家持の一首4471番の歌に内容的に繋がるところがある。その4471番の歌は、「消(け)残りの雪に合へ照るあしひきの山橘を裏(つと)に摘み来な」とあり、その意は「消え残る雪に照り合う山橘の実をとって来よう」というもので、雪の中、家持はやまたちばなを見に出かけたのである。

 ここで、やまたちばな(原文では山橘、夜麻多知婆奈)が現在の何に当たるかということになるが、古文献等によると、これは薮柑子(やぶこうじ)という草で、実が赤く、夏に小さな白い花をつけるというから、現在でいうヤブコウジ(薮柑子)のことであるのがわかる。ヤブコウジはヤブコウジ科の常緑小低木で、高さは二十センチ前後、葉は長楕円形で、硬く、縁に鋸歯があり、光沢がある。夏に葉腋から柄を出し白い小さな花を下向きに咲かせる。実は赤く熟すので、よく目につく。このために、万葉歌もこの実に注目し、詠んでいるわけである。ほぼ全国的に分布し、大和にも極めて多く、木陰などで群生しているのが見られる。

 このようにヤブコウジは極めて小さな木本であるため、昔は草と認識されていたのだろう。雪の中でも枯れることなく、その実はよく目立ち、家持の歌のように白い雪とこの実の彩りが好まれ、一見の価値を見出していたのだろう。時代が下ると、縁起のよいものとして正月の床飾りなどにも用いられ、江戸から明治期にかけてはブームになったと言われるほどである。写真は花を咲かせたヤブコウジ(左)と赤い実をつけたヤブコウジ。

 

 


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