<295> 万葉の花 (14) ひめゆり (姫由理)=ヒメユリ (姫百合)
姫百合の 紅一点の 原野かな
夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ 巻 八 (1500) 大伴坂上郎女
この歌は巻八の「夏の相聞」に登場する歌で、集中ひめゆりと見える歌はこの歌一首のみである。このひめゆり(姫由理)が現在いうところの固有種のヒメユリ(姫百合)かどうか、ササユリではないかという意見もある。そこで少しこのひめゆり(姫由理)について考えてみたいということで、ユリとは別に項を立ててみた。
現在のヒメユリは、山地の草地に生え、希に見られるユリである。高さが大きいもので八十センチほどになり、花は鮮やかな朱赤色で、七月の初めごろ上向きに開く。本州の東北南部以西、四国、九州に分布し、大和にも自生するが、私が知る限り、今は奥宇陀の曽爾高原に見られるのみである。という次第で、奈良県においては絶滅寸前種にあげられ、自生の消滅が懸念されているユリである。
大和の地でよく見られるササユリは花の姿がやさしく、快い匂いもあり、女性的で、「万葉の花」(11)でも触れたが、中部以西に分布し、六月ごろ開花する。最近、少なくなったが、一昔前までは林縁や山足などでよく見られた。また、大和ではよく見られるヤマユリも自生するのをよく見るユリであるが、こちらは花が大きく、このユリに姫の姿を想像する観賞者はまずいないと言ってよい。
そこで『万葉集』に見えるユリを今一度検証してみると、この「ひめゆり」(姫由理)の歌に合致するものとしては、「道の邊の草深百合の」と表現された歌が二首、「夏の野のさ百合」と詠まれた歌が二首あることがあげられる。これに加えて、現在のヒメユリが当時から「ひめゆり」という名で呼ばれていたかどうかということがある。
これは『万葉集』に見えるつぼすみれと現在のツボスミレの例にも言えることで、混同を来たす。現在のツボスミレは万葉のつぼすみれから来ているものではないというのが常識になっていることを思えば、ヒメユリについてもそこに考えを巡らせる必要があろう。
これを思うと、『万葉集』のひめゆりは現在のヒメユリと繋がりの根拠に乏しく、単に女性的なユリの表現として「ひめ」(姫)が冠せられたとも考えられる。こう考えるならば、ササユリが候補になっても何ら不思議ではなくなる。だが、歌の表現は微妙で、時代が下って鎌倉時代に登場して来るヒメユリは「百済野のちがやが下の姫百合の」と詠まれていて、「ちがやの下」ではササユリは考え難く、この歌の姫百合は今のヒメユリに重なるところがある。
このように見て来るとどちらのユリと見るべきか結論し難くなるが、はっきりしないこういう場合は、「この歌の場合、夏草の繁みの中に埋もれながら、埋み火の下燃えのように咲いている真っ赤な「姫百合」の花を考えてこそ、生きた表現となるのではあるまいか」という『萬葉植物歌の鑑賞』(中根三枝子著)の見解のごとく、ロマンを優先するのが、文芸作品の鑑賞法としてはよいのではないかということが改めて思われる次第で、私も大伴坂上郎女の詠んだ相聞のひめゆりは現在いうところのヒメユリに傾く。
これは、竹久夢二の「宵待ち草」などにも言える。ヨイマチグサなどという植物は存在せず、マツヨイグサか、それともオオマツヨイグサかなどと議論されるのと似ている。文芸上では、作品の心持ちが優先されるわけであるから、その辺りを考慮してかかる必要がある。『富嶽百景』(太宰治)の月見草が典型的な例としてあげ得る。
大伴坂上郎女は大伴家持の叔母で、姑でもあり、集中には八十四首が見える。万葉を代表する女流歌人で、相聞の歌に秀でており、この歌の前後にも、「暇(いとま)無み来ざりし君に霍公鳥(ほととぎす)われ斯く戀ふと行きて告げこそ」という歌があり、「五月の花橘を君がため珠に貫く散らまく惜しみ」という歌も見える。
ひめゆり(姫由理)の一首は「夏の野の繁る草に埋もれて咲くヒメユリのように、相手に知られない片恋というのは苦しいものです」という恋の心を訴える歌であるが、曽爾高原の広い草原にこのヒメユリの紅一点の花を見ていると、鮮やかなだけにかえってそこには孤独の深さが感じられ、『萬葉植物歌の鑑賞』が指摘するように、郎女の相聞の思いを彷彿させる。
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