<3492> 作歌ノート 曲折の道程(十四)
二重丸三重丸のその上に花丸といふ君への讃辞
子供のノ-トを見ていると、先生が赤いインクて丸バツを付けている。三角もある。評価のよいものには丸。よくないものにはバツが付けられる。丸の方には段階があって、ほかに二重丸、三重丸があり、最も優れたものに花丸が付けられる。花丸は三重丸の周りに花びらが施され二重丸や三重丸より華やかに見える。
数計算のように答えがはっきりしている場合は、丸バツでことは足りるかも知れない。しかし、読書感想文のようなものは、丸バツだけでは十分に評価出来ない。それで、丸のほかに二重丸や三重丸が加わり、最上評価の花丸も登場することになる。子供たちにとって花丸をもらったときの気持ちはきっと晴れやかなものに違いない。
この花丸についてふと思い出すことがあった。ラフカデイ オ・ハ-ン(小泉八雲)に名妓を扱った『きみ子』という短編がある。この『きみ子』を思い出したのである。きみ子は武家の娘であるが、維新とともに家が没落し、父を亡くした後、一家のために働かなくてはならなくなり、自ら進んで芸子になった。
きみ子は、芸子として精進を重ね、母と妹を養い、名妓としてその名を知られるまでになった。そして、妹を嫁がせたりもした。しかし、この世界にはよくある話で、客であった男(青年)との恋に陥り、芸子を辞めるはめになった。男は身分のある家柄にあったが、両親は二人の結婚に反対することもなく、結婚に支障はなかった。しかし、きみ子は男の将来を思い、自分の方から身を退いて尼になり、姿を消した。
男は別の女性と結婚し、一男をもうけ、幸せな家庭を築いた。きみ子は後年、身を引くとき約束した通り男の家を訪れ、子供に会った。そして、男の幸せな家庭を見て自分も幸せであることを告げ、男には会わずに帰った。男はきみ子の話を子供から聞き、自分の幸せな家庭がきみ子の思慮によるものであることを悟り、そのありがたさに男泣きした。この男泣きにふと花丸が思われたのであった。
この芸子きみ子の話は、きみ子への讃辞がテ-マであり、花丸としての最高評価が思われる次第である。言わば、きみ子は、家が没落したが、離散することなく一家を支えるため芸子になったことで丸。精進して名妓になり、名声を上げたことで二重丸。親代わりに妹を嫁がせ、妹に幸せの道を開いたことで三重丸。そして、身を引き、尼になって男(青年)に幸せな家庭を築かせたことで花丸。男がきみ子に寄せた讃辞が最高の花丸であることは、この短編の締めくくりの部分で「おお、わが法の娘よ、おまえは、おまえの円満具足の道を行いすましてきた。おまえは最高の真理を信じ、かつ会得して来た。・・それゆえ、自分はここまで、おまえを迎えにきたのであるぞよ!」と、きみ子の上に仏陀の慈悲の玉音が降ることを示したハ-ンの筆致でわかる。
この話は古風であり、東洋思想的で、自由や権利が声高く叫ばれる昨今においては、評価も別れるだろう。しかし、何でも自由に出来るいまの世の中にあって、きみ子のように、誰からか一人でも、自分の一生の内に最高の讃辞である花丸をもらい得ると確信出来る人がどれほどいるだろうと思われるたりするのである。 写真はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)著作集。
人生の旅の道程誰もみな身に負ふところ曲折のあり
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