大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年10月22日 | 創作

<3205> 作歌ノート  ジャーナル思考 (二)

              身につきしジャーナル思考のこれやこの呟きのごと日月の歌

 見るもの聞くものみな新たでないものはない新聞の取材という仕事、この仕事はこの一点においても実に楽しいところがあった。しかし、その新たな対象はスタートののっけから知識はもとより自分の不明において相対しなくてはならないところがあり、それへの認識は年月を重ねるに従っていよいよ厳しさを増し、それにともなう仕事としての格闘が常のこととしてあった。

   思えば、この不明というのは取材対象における門外漢の立場にほかならず、これは新聞製作に携わる新聞人の宿命と言ってよく、仕事は取材対象に触れながらこの自らの不明に向き合う営みでもあって、その仕事の結果たる記事に触れる読者読み手の不明な状況にも通じ、善し悪しはともかくとして、このような仕事の関係上、この不明ということがベテランになってからもずっと頭の隅に認識としてこびりつき、意識されて来た。

   この不明の認識は、新聞人の立場から言えば、極めて重要且つ大切な意味を有し、いま少し言葉を変えて説明すれば、新聞の使命はこの不明を埋めるべくあると言っても過言ではなく、この仕事に携わっている身においてはそれに向かって努力しなければならず、ときにはそのために非情とならざるを得ないようなことも起きる。

                 

   つまり、取材対象への不明は取材者自らの不明に対することであり、その自らの不明を埋めなければ、読み手読者には十分に伝えることが出来ない。だが、そこには時間とスペースの制約が障壁として常にあるのが新聞という媒体の宿命で、この仕事をより厳しくしているのである。

   この不明については、新聞記事を見ればよくわかる。例えば、ここに交通事故の記事があるとする。A紙は酒気帯び運転により逮捕と短く報じたのに対し、B紙は山峡の村から急患を町まで運び、その帰りに他の車と接触事故を起こしたもので、急患が隣家の人であったので、少し酒は入っていたが、致し方なく運転したものと、事故の背景まで報じた。

   A紙もB紙もともに不明(情報の何もない白紙の状態)において取材に当たり、記事化したのであるが、どちらがより取材対象への不明を埋め得たかということで、比べれば一目瞭然、B紙の記事の方がよりこの事故の不明の部分を埋め得たことになる。新聞は記事により情報を伝え、これを主な事業とする生業であって、そこにおいて各紙は競い合い、どんなに短い記事でも埋めるべき不明に向かう仕事の様相が見て取れるもので、私などもそこのところで日々格闘していた。

   ことに写真記事は報道写真の特質上、失敗が許されない点において集中力が欠かせず、常にメカを大切にして置くという心構えのことがあった。仕事をなるべくベストにこなすため、機材一式を詰め込んだカメラカバンをいつでも使えるように整備して置く。これは常識であるが、それでも失敗はつきもので、報道写真の場合、撮り直しが利かない厳しさが常にあった。このため、例えば、カメラは常に二台以上携行していた。

   新聞は日々発行され、限られた時間と限られたスペースにおいて製作され、取材対象も伝えられる側の読み手読者もみな同じ多数者の中のもので、そこへの思い、その精神と論調が不思議と取材には現れるのであるが、それは時間との非情な闘いの中で、客観、普遍、信頼、公平、平和、愛惜等々。また、理非曲直なども思いの中に巡らしながら、不明は不明なりに、取材の対象に肉薄し、より真実に近いものを読み手読者に伝えるべく努力する。これが新聞人の良心の立場で、私などもこの第一義をして仕事に当たって来た。

   この新聞人の精神は、如何なる技術的革新がなされても、報道の根本において変わることはなく、その仕事における格闘の日々は連綿と続き、この不明に対する思いというものが新聞人にはいつしか身についたものになり、仕事のみならず生活全般における思考にも影響して来る。仕事を離れて随分年月を経たが、今もこの不明への認識は変わらないと言える。で、以下にあげた歌などもその影響の一端にして出来たと見てよいのではないかと思っている。 写真は一九八八年と八九年のスクラップブック、切り抜きの一部。

  事故死なるベタ数行の記事なれど人の命の切なるにある

  非か知らず心に至り得ぬ心誰かの祈り侵したるやも                        非(ひ)

  裁きとは相対にしてあるものを対処は法の一律の下

  裁けなど出来ぬが裁かざるを得ぬ裁きといふは非情の一面

  「やれ」といふ「いや ならぬ」といふ二者択の一のほかなき死刑論争

  いかにあれ殺めてならぬ命なりそこよりまづは話し始めよ

  大鴉群れをなしゐて空にあり意をもてひとり立つ岡の上

  真実のかけらを掬ふ耳目の身掬ひ尽くせぬゆゑは思考す

  日々があり日々を重ねて齢ありすべての齢に新聞の新                             齢(よはひ)

  皮肉とは汝が人に振りし斧神にあらねばその斧無慚

  穢されてゐる世汝は嘆かずや惜しまずや名コラムニストのその死

  あまたなる人の思ひの犇めくに至れぬ非力理解力我

  牡丹いまだ青き蕾に往還の手紙が雨に濡れて届けり

  闘ひは憤怒の相緑なき中東よりの戦火のニュ-ス                               相(すがた)

  犇めいて世界のニュ-スありあるに「平和」の二字のそこここに見ゆ

  戦ひの絶えぬを伝へ今日もまた裏付けのごと外電の記事

  この夏も思ひ未だし打ち水に土のにほひの立つ原爆忌

  思ふべく思へば思ふほどにある憲法九条論の論乱

  常ながら現実論に絡まれて理想論あり問ひ問はれつつ

  抒情質問はれて常套拭へざる眼がたどる緑陰の縁                                緑(りょく)

  人の世を映す常なる新聞の一字一句の真摯なる目よ

  この身なるひとりよがりが一人行く暮春の街は恋の子も見え

  無能とはかかることかは時経れど訛伝の言ひが未だに撃てぬ

  企画案募集の掲示美しく企図する夢を誘ひて見ゆ

  聖戦の二字に纏はる痛ましさジャーナリストも倒れ伏したり

  名分にあらざる努力そこはかとなくあり新聞週間の意味

  鮟鱇と人間のこと語らばやはたまた事実と真実のこと

  出刃を持て鯖の頭を切り落とす皮肉は己に向けるべくあれ

  科学館奇抜に建替へられてありプロムナードはそこへ誘ふ

     文明を彼方に屠る玉石の残夢碧緑旅に死するか

  自我覚醒よりの歩みに人類あり今ありありと問ひ問はれつつ                          人類(われら)

  今日もまた解けざるままにあることを記者よ嘆くな旅人の身ぞ

  一人の悪つき纏ふ考察に力足らざる万朶の戦ぎ  一人(いちにん)                       万朶(ばんだ)

  犯人の貌に一瞬王の笑み仕儀を述べよと憤怒が対す

  判らねば問へ判らねばなほも問へこの現身を闇と呼ぶ記者                                現身(うつそみ)

  彼よりも姑息に生き来し身になきかじんじん人閒人語の末座 

  五W一H人の関心の記事のうちなる日々の考察

  原則に拠らねば何も為すことの出来ぬ我らは問はるるところ

  ひと我ら感にあらずや感による今日の焔の一片の記事                              焔(ほむら)

  何を悪何を非としてあるべきか錯誤の日々の日々なる試行

  死は死なり死をして死する死を死する死をして死する死における死よ

  標本にされたる蝶の故国より届く自然破壊のニュース

  人の世は何処へ向かふかさしあたりライトブア ースな手触りにゐる

  一年の後が言へざる不明もて立たねばならぬ語族の我ら

  噛み合はぬ理想現実両論の九条論議何処に果つるか

  食パンに牛乳卵ハムサラダ食卓にして開く朝刊

  「あやまち」といふ言葉感そこよりのつらつら辛き「ゆるし」「つぐなひ」

  新聞のコラムの中の論陣に固唾呑まずや危ふき日本

  政治家はぬらりぬらりのぬらりひょん日本売られてゆくのだらうか

     難解な事件に向かふこだはりに血の一滴の薄れゆく色

  人生論幸福論は何処へかまた一つありいぢめ死の記事

  偏頗ゆゑ怒りとはなるゆゑの記事うむうむと読むうむうむのうち

  フィルムの入らぬメカに焦りつつありける夢は現の写し                                現(うつつ)

     写す身のこちらの意志と写さるる身にある者の現身の齟齬                                    現身(うつそみ)

  戦争と平和 破壊と建設の軋み激しき世界の諸相

  破壊され尽きたる無惨そこにして生るるやに見ゆぬばたまの闇                                 生(あ)、闇(テロ)

  亡びては生まるるならひまた一つ生温かき色の権力

  震災の町にて片や温もりも人と人との関はるところ

  「無事」といふ二字の書き置き処処に見ゆ心とともに震災の街

  我らあり汲まねばならぬたとふれば被災の町の夕暮の空

  委ねたる身のそこここにそしてまた今日の一日も黄昏のとき

  薔薇が咲く「何処に咲けど幸せの心の花」と同僚の記者

  真実に至り得ぬ身に今朝もテレビのワイドショーの饒舌                                   今朝(こんてう)

  絨毯に血の滴れるその事実カメラの眼に口を挿むな

  神となる筆致は避けよ妄想は怪なりそこに狂気は生るる

  当事者と傍観者この二十年汝底冷えの日の傍観者

  世の中を思ふは汝のみならぬ明日吹く風を我らは思ふ

  よしとせよ不明探りて来し我ら誰かに灯し得し灯火の自覚                           灯火(ひ)

  喜怒のこと哀楽のこと日々にしてありけるところ新聞のこと

  万の字のいや億の字の乱れなき秩序における新聞の心                              心(しん)

  新聞の「新」に真向ひその「新」の不明に思ひの三十余年

 


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