大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2021年03月08日 | 創作

<3341>  作歌ノート   曲折の道程 (四)

                「吾ガ事ニ非ズ」と定家奥へ消ゆ夢の夢なるよその夕暮

 「楽ハ虚ニ出ヅ」という。何ごとにも煩わされず、心を虚しくして集中すれば、詩歌は自ずと生まれ出る。心を虚しくするために、自らの城へ閉じこもることも一つの途ではある。「紅旗征戎ハ吾ガ事ニ非ズ」の決意を持って藤原定家は歌に没入すべく奥へ消え去った。日記『明月記』にそう述べている。弱冠十九歳であった。そして、その決意は、名歌の多くを生み、独自の美意識を拓き、偉業をなさしめることに繋がった。

           

 この定家の後ろ姿を羨望の眼差しで眺める思い。その思いたる私、雑音はびこる日々の煩わしさにあって、美においての「よその夕暮」を思い巡らす。私にとって「よその夕暮」は憧れの一景にほかならない。だが、それは夢のまた夢。思いはつのり、思いは巡れども現の煩わしさはいよいよ心を煩わせ、そして、定家は奥へ消えたままである。

 剛にあらず、柔にもあらず、知に昏く、感に乏しく、惑い、煩う。「よその夕暮」は現実を諾えない私を憧憬の気持ちに向かわせ、煩らわしさにあって、抗いつつも歩を進めさせる。どこかで触れたが、劣等感が私の詩歌の原動力であることはいまも昔も変わらず、認めざるを得ない。この妙に不安定な気持ちが「悲願と祈願」を意識させ、「夢の沖」即ち、「異郷」を思わせ、「郷愁」に導く。そして、このような気持ちが「よその夕暮」とあいまって、「曲折の道程」の私の詩歌の根幹に関わって来た。写真はイメージ。明月。

  肉体と精神における我が一首思へば一首我が影にあり        精神 (こころ)

  肉体と精神我といふ器感に及べず知にも至れず

  定家あり弱冠十九歳楽は虚に楽は虚に出づ楽は虚に           十九歳(じゅうく)

  楽は虚に楽は虚に出づ楽は虚に詩歌をなせる切なる思ひ

  雪白も紫陽花色も沖よりぞリリシズム彼の声まさりける

 


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