大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年03月19日 | 植物

<2990>  大和の花 (1015) ウメ (梅)                              バラ科 サクラ属

             

 中国原産の落葉小高木乃至高木で、高さが4メートルから大きいもので10メートルほどになる。樹皮は黒褐色で、材質は堅く、よく分枝して、古い枝には小枝が変形した刺がある。葉は長さが4センチから10センチの楕円形もしくは倒卵形で、先が急に細くなって尖り、縁には細かい鋸歯が見られる。

 花期は2月から3月ごろで、葉の展開前に前年枝の葉腋に普通直径2センチから3センチの花が1個から3個つく。花は芳香のある5弁花で、主に白梅と紅梅があり、淡紅色や緑色を帯びる花も見られる。実は核果で直径2、3センチのほぼ球形で、表面にはビロード状の毛が密生し、6月ごろ熟して黄色を帯びる。多くの品種が開発され、八重咲きや枝垂れるものなど多品に及ぶ。

 ウメ(梅)の名は熟れる実の熟実(うむみ)の転とする説など諸説ある。ウメは古くから知られ、モモ(桃)と同様、約3000年前の中国の漢詩集『詩経』に見られ、日本にもたらされたのは8世紀前後の奈良時代ではないかと目され、記紀にその名は見られないが、『懐風藻』(751年)に登場を見る。

   『万葉集』にはハギ、コウゾに次いで植物中3番目に多い119首に登場する万葉植物で、詠まれた年月がわかるものとしては天平2年(730年)に大宰府長官大伴旅人邸で催された梅見の宴の32首に見える梅花がよく知られるところである。このとき、主催者の旅人は「わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」(巻5・822)と詠んでいる。

   言わば、この歌は、中国から導入した舶来のウメを自邸に植え、花を愛でていた当時の貴族の暮らしぶりを彷彿させるもので、中国の文化様式を取り入れていた様子を物語り、雪が舞い散る時期に春を告げて咲くウメの花の風情を楽しんでいた気分が伝わって来る。なお、万葉当時は白梅のみで、紅梅はやや遅れて平安時代になってからだと言われ、「濃きも薄きも紅梅」と清少納言の『枕草子』は言っている。

   梅は漢名で、これを万葉当時は「ウメ」と読み、平安時代以降、「ムメ」というようになったが、近代になってまた元のように「ウメ」と呼ぶようになった。ということで、学名のprumus mume Sieb. et ℤucc.はドイツ人医師のシーボルトがツッカリーニとともに著した『日本植物誌』の中で「ムメ」を種小名にして世界に紹介したことによると言われる。中国原産でありながら、英名もJapanese apricotと日本に因んだ名になっている。

 ウメは主に花の観賞と実の実利が求められ、全国各地に梅林が見られる。大和(奈良県)でも月ヶ瀬(つきがせ・奈良市)、賀名生(あのう・五條市)、広橋(ひろはし・下市町)などが知られるところで、毎年、花と実の一石二鳥の働きを見せている。実は梅干をはじめ、梅酒、煮梅、砂糖漬けなどの食用にされるほか、未熟果に鍋釜の煤をまぶし、天日干しして、黒くなったものを烏梅(うばい)と称し、下痢止め、解熱、咳止めなどの薬用とし、染色の媒染剤にも用いた。

 奈良市の月ヶ瀬梅渓は古くからウメの名所として知られるが、月ヶ瀬のウメは後者の媒染剤に用いる烏梅の生産が主な目的で、紅花染め(京染め)に持て囃され、江戸時代には飛ぶように売れ、当時の梅農家はこの烏梅で財を成したと言われる。近年になって媒染が化学に負うところとなり、烏梅は薬用としてのみの生産になって行ったと言われる。

 なお、堅くて緻密な材は、あまり知られていないが、床柱、箱類、櫛、算盤玉などに利用されている。また、ウメは縁起のよい木として見られ、松竹梅と称せられ、貴ばれて現在に及んでいる。この誉れに因み、家紋にも用いられ、梅花紋や梅鉢紋はよく知られる。因みに菅原道真を祀っている天神さんでお馴染みの学問の神様で知られる天満宮の神紋は梅花紋で、名高い。 写真は白梅と紅梅(左)、雪を被った白梅の花(中)、鈴生りの実(右)。

     梅の花過ぎてぽかぽか陽気かな