大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2020年03月04日 | 写詩・写歌・写俳

<2975> 余聞 余話

         生きものは環境の下ありながら習性により過ごしゐるなり

   カモのほとんどは、地球環境における自然の中で渡りの旅を習性とし、日本においては概ね秋にやって来て、冬を過ごす。所謂、冬鳥で、春になると花に背くように旅立ち、繁殖地の大陸方面に帰って行く。毎年、四季に合わせてこれを繰り返す。ということで、春になると、越冬場所の池沼などでは徐々にその姿が少なくなり、見えなくなるのが倣いになっている。

   今冬は暖冬が著しかったためか、植生などにも影響し、春咲きの草木には花期が早まり、ウメも半月ほど早く開花した。この状況は越冬しているカモの仲間たちの渡りにも影響している模様で、その旅立ちがどうも早まっている感がある。この間まで賑やかにしていたカモの仲間のミコアイサやハシビロガモの姿が、ここに来て少なくなり、池の面をさびしくさせている。

             

   カモたちをよく見ていると、その種類によって旅たちの時期が微妙に異なり、早いのと遅いのがある。パンダのニックネームで親しまれている全体が白く、目もとなどが黒い前述のミコアイサは前者の方で、すでに旅立ったか、三月に入ってほとんど見られなくなった。このミコアイサに対し、全体が黒く、嘴が白いオオバンは後者に当たり、遅くまで姿を留めているのが見られる。

 斑鳩の里にミコアイサが多く飛来する溜池があり、この間まで二十羽ほど見られたが、今はマガモ、コガモ、オオバン、カワウなどが見られるばかりで、ミコアイサはわずか一羽という状況にある。ミコアイサには旅立ったに違いない。二月の中ごろ活発な動きを見せ、集団行動を取っていた。あれは渡りの準備をしていたのではなかったか。その行動は妙に思えたが、整然と泳ぐ姿に理由があるのだろう。その理由に渡りの旅が想像されたことではあった。

           

 溜池はかなり広いが、その池の真ん中辺りで七、八羽がきっちりと列をつくり、一直線に並んで泳いでいた。先頭を泳ぐ二羽のオスのリードによるものだろう。その二羽に従って列を崩すことなく、メスを挟んで泳いでいた。ある場所まで泳ぐと、急に止まって、今度は全部が横向きになり、高校野球の一斉行進のように横に向かって泳ぎ出した。どのミコアイサがリードしているのか、呼吸を合わせたように泳ぎを変えた。

 そのとき、このミコアイサの集団による泳ぎについて、これからなさねばならない渡りの旅のためではないかということが思われた次第である。言わば、ミコアイサにはこの列をなす泳ぎが、渡りにおけるイメージトレーニングではなかったか。つまり、集まって隊を組んで飛ぶときバランスを取って乱れることなく整然と飛翔する。これをこなさなくては渡りの旅は成就しない。あの泳ぎは、その旅への備えではなかったか。

 渡り鳥の渡りの旅というのは、半端ない過酷な長旅であるはず。であれば、旅へ準備を怠ることは出来ない。この時期エサをたらふく食べて体力をつけて置かなくてはならないので、その点も活発である。加えて、あのような乱れない泳ぎに託したトレーニングも必要だろうと思えて来る。

   数多に及ぶカモたちはどこで生まれ、どこで死に果てるのか。生まれるのは繁殖地の大陸であろうが、生涯を終えるのは何処なのか。はっきりしないが、池沼などで死骸を見かけないので、旅の途中などで亡くなることが多いのではないかと想像される。果たして何処で死を迎えるのだろうか。

 渡りの途中でアクシデントに見舞われ、命を落とすことは大いに考えられる。その厳しい旅を思い巡らせるに、渡りの主カモたちは、集団で助け合いながらその命がけの旅をこなすということになる。ということで、渡りの前の活発な動きやトレーニング、並びに意志疎通によるまとまりを確認しているようなミコアイサの池面の姿に渡りの旅の準備行動が想像されたのである。

   池から姿を消したミコアイサには帰途に違いなく、今、どの辺りを旅しているのだろうか。準備万端で旅立ったとすれば、遠路の険しい道程の旅も無事にこなせるだろう。新型コロナウイルスに虚を突かれて混乱し、右往左往している私たち人間社会の現在とこのミコアイサの習性における生きざまを想像するに見て取れる準備行動が教訓のごとくに思われて来る次第ではある。

 写真上段はミコアイサのオス(左)とオスを先頭に列を崩すことなく泳ぐミコアイサ(右)。写真下段は角度を変えて横一線になって一斉行進の泳ぎを見せるミコアイサ(左)とミコアイサのメス(右)。いずれも斑鳩溜池。