<2475> 余聞、余話 「奈良大和の秋」
野分過ぎ伽藍の空に秋の雲
奈良の大和は四季の変化に富み、それぞれの季節に趣がある。それは周囲の青垣山を含め、山野に恵まれた土地柄にあるからだろう。ここでいう草木は、自然を代表するものにほかならず、それは私たちの情趣に影響し、私たちの営みに反映している。
その四季の移ろいゆくすがたは、所謂、太陽と地球の関係性による一年の周期における草木の起承転結とも言える活動状況によるところが大きい。春の芽立ちに始まり、夏の旺盛な葉の展開乃至は繁茂を経て、秋の結実と紅(黄)葉に至り、冬の枯れ木の姿に終わる。
そして、その四季は、また、春の芽立ちに戻り、始まるという具合に廻る。春は芽立ちであるが、概して、花に現れ、夏は瑞々しい青葉に象徴される。秋はその花と葉を引き継ぐ果実と紅(黄)葉に見え、殊に平野を黄金色に染める水田の稲穂の風景がある。冬は刈り田と枯れ木の姿となり、ときに雪がこの情景に加わるという具合に転変する。
この四季を彩る自然の風景に奈良の大和が加え、見られるのは歴史的建造物や古墳などとの取り合わせである。この意味で言えば、正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」は代表的な句であろう。柿イコール秋であるが、この句には法隆寺が世界に誇る五重塔と大和の地が有する黄金色に実る田園風景が句の背景にイメージされて大和の秋を想像させるところがある。松尾芭蕉の「奈良七重七堂伽藍八重桜」も春の古都奈良の面影をイメージさせる。 では、そのイメージを思いながら、以下になお二句。 高々と 塔のうへなる 秋の雲 天地の間 天の高きへ 秋の塔