大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年08月14日 | 写詩・写歌・写俳

<712> 盂蘭盆会の法話

        現代の影 盂蘭盆の 法話にも

 盂蘭盆の十四日、夫婦で奈良の薬師寺に法話を聞きに出かけた。猛暑は相変わらずで、今日も日差しが厳しく、三十五℃を優に越えている感じがあった。まず、金堂の薬師三尊を拝顔して、法話会場に向かった。薬師如来を中心に、脇侍の向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩の三尊。仏界の医師と看護師に当たり、医師の薬師如来は昼夜を問わず、看護師の日光は昼間、月光は夜間を受け持つのだという。

 この三尊を拝顔していてふと思った。仏さまはどんなに暑かろうと、どんなに寒かろうと、いつも同じように柔和な面持ちで参拝者を迎える。今日の暑さは尋常でなかったけれど、三尊にはこの辟易する暑さにも変りなくおわしますといった感じに見えた。いつもは、日光菩薩の足許で一般法話が行なわれるが、暑い時期だからか、法話は別の場所で行なわれ、その法話を聞いた後、また、別のところで、盂蘭盆の法話を拝聴した。 

                                                   

 法話では、現代社会(私たちの生活)の変容と、この変容している現代に向き合う心得についての話があり、惹かれるところがあった。薬師寺で開かれた小学生の修行の催しで、家族構成について質問し、親子孫の三代が同居している家が幾つあるか子供たちに尋ねてみたところ、わずかに十三パーセントで、仏壇のある家になると、百人中十人ほどであったという。

  このことと、年間三万人に及ぶ自殺者と同様、三万人の孤独死が認められる今の日本の状況に触れ、この二つの現象が変容して来た日本社会の重要な問題点として語られ、実例をあげながら私たちの生き方と死期における心得などに話は進んで行った。

 死者の葬送について、古代では死体遺棄か土葬によったが、仏教伝来後、持統天皇の時に初めて火葬が行なわれ、仏式の葬儀が行なわれたのは聖武天皇の崩御の時で、以後、鎌倉時代に庶民の間にこれが定着し、江戸時代の壇家制度にともなって僧侶による葬式が一般化して、死者をみんなで葬送するようになった。

  それがずっと後世にも継がれ、死者は土葬と火葬によって処置されて来たが、現在は火葬のみになった。人々の絆が希薄になった現代社会の変容は、家族構成にも及び、無縁社会の現状を生み、孤独死の増える状況になって、死者の葬送にも多様化が見られるようになり、これまでの様式だけでなく、家族葬とか直葬とか無宗教の葬送などさまざまなやり方というものが登場して来た。

 こうした個人主義的な社会への傾斜は、私たち(一般人)にも影響を及ぼすところとなり、田舎ではお寺も立ち行かなくなったところが出るようになった。現代はこういう時代であるから自分の終わりをどうするかという終活ということが言われことになった。ためにエンディングノートなどの推奨も言われるようになったが、こうした社会の絆の稀薄な時代にあっては終活もエンディングノートを作って置くことも大切であること、こういうことを事例をあげながら法話は語られた。そして、どんな終活にしても、先祖に感謝し、今の自分に感謝する生き方を忘れてはならず、お墓参りをし、仏壇に手を合わせることが大切であるというような意味のことが話に上った。

  話はユーモアをもって進められたので、笑いの立ち上がることが多い法話であったが、その話の内実は私たち現代人には極めてシビアな内容を含んだものだったように思われる。我が家でも終活の話は時々出る。薬師寺に向かう車の中でも少々その話に及んでいたので、法話には耳の痛いところがあり、その話は有意義であったように思われる。 写真は薬師寺の金堂。