<708> 蝉 の 声
一途とは 真の姿 ゆく夏を 蝉は烈しく 鳴きゐたるなり
猛烈な暑さが続いているが、周囲を青垣の山に囲まれた奈良盆地の大和平野は、まさにフライパン状態と形容してもよいような日中で、私たちはこの暑さに辟易しているのであるが、蝉は我が季節の到来とばかりに鳴き立てている。
言はせよと 言はせよと 鳴く蝉の声
その蝉をよく見ていると、体を震わせて頻りに鳴いている蝉と、全く鳴かない蝉のいることに気づく。これは雄と雌で、雄が鳴いている。その鳴き声は縄張りの主張であろうか、それとも雌への求愛のためだろうか。その声の烈しいこと。どちらにしても、この声は周囲に対するアピールに違いない。この声の烈しさは旺盛な命の充実を思わせるが、とにかく、一途で、一心に聞こえる。
旺盛に 鳴きゐる蝉の 命かな
ときには、やかましいと思えるときもあるけれど、シャワーとなって降り注ぐような蝉の声は、人工の音とは違ってそれほど苦にならないのは自然の中に生じるものとして聞くからだろう。暑さに辟易している私たちではあるが、この時期を絶好の時とばかりに命を燃やし、懸命に鳴いているものたちを見ていると、ゆく夏の一景として捉えることが出来る。例えば、僧が行なう勤行の読経のように。 写真はサクラの木にとまったクマゼミ。翅を半開きにしているのは鳴いているときの様子。
禅定の 僧の一心 蝉の声