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大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2022年04月26日 | 創作

<3750> 写俳二百句(128) 春 雨

              春雨は目覚めにやさし今朝の雨

                     

 この間、朝の目覚めに雨音を聞いた。万物にやさしい春雨の感。久しぶりである。深夜、トイレに起きたときは聞かなかったので、未明に降り出したのだろう。で、冒頭の句を得た次第。早速、このブログへと思い立ったが、写真をどうするかということになった。

 カーテンを開けて庭を眺めたら、花盛りのノースポールが雨に濡れているのが目に入った。で、写真はこの雨のノースポールの花に決めた。白い舌状花が花の中央部に集まる黄色の筒状花を取り巻き、全体的には白く見え、固まって咲くと辺りを明るくする。

 キク科の花らしく、花は上を向いて開くので、雨になると、花の肝心な部分が雨に濡れる。ので、花は雨に侵されないよう脇を締める。そして、花弁はと言えば、雨を弾いて水玉にし、花弁の上に置くいう工夫をしている。そして、日が差し来ると花弁は完開し、花はその使命を全うする。 写真は雨を弾き返し出来た水玉を花弁に載せるノースポールの花。


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2022年04月25日 | 創作

<3749> 写俳二百句(127) 藤の花

            道を変へ歩けば藤の花の滝

                    

 歩くときは五千歩を目標に歩くようにしている。思うようにはならないが、我が家から斑鳩三塔の法輪寺近く、最近整備された斑鳩溜池までのコースでは、池を一周して帰えれば、往復五千歩前後になる。

 今年正月四日、この日は法輪寺の駐車場に車を停め、池の周りを歩いたのであるが、帰りの下り坂で転び、顔面を怪我し、眼鏡を台無しにするということがあった。怪我の方はお陰で骨折はなく、何針か縫ってもらって全治半月ほどで済んだ。

 というようなことで、斑鳩溜池方面へ歩きに行くときは坂道に注意するようにしているが、久しぶりに出掛けるに当たり、歩くコースを変え、法輪寺の三井の集落を抜けるコースにした。里山の棚田の道に出て直ぐ、山足の鬱蒼と茂った雑木に高々と絡み上がった藤が今を盛りに青紫色の花房を垂れ下げているのに出会った。

   その花の姿にはまさしく滝水がイメージされたのであったが、道を変えたお陰で、出会えたということになる。言わば、正月の怪我がもと。思うに人生はその時々。そして、その時々が繋がりをもってあるということ。多くは気づかずにいるのであるが、Butterfly effectなる言葉もある。で、冒頭の一句を得たという次第。 写真は滝水が連想される藤の花二カット。


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2022年04月23日 | 創作

<3747> 写俳二百句(126) 葉 桜

           葉桜や花の残響ときとして

            

 満開のサクラ(ソメイヨシノ)に浮かれ気分で過ごしてから一月も経たず、北を指し上る桜前線もまだ途上であるが、大和地方の平地部では花がすっかり終わって、葉桜の様相を呈している。これから来年の春まで地味に存在するのがサクラのまたの一面である。そして、時の到来、陽気の訪れとともに満を持して花を爆発させるのである。その精力は限りもあらず、私たちの気分を高鳴らせる。

 日本人のサクラ好きは今に始まったことではないが、全国津々浦々に植えられ、花見の名所を拵えて来た。そのサクラはパッと咲いてパッと散るその潔さに好感が持たれるところ。そして、散り終えると未練がましく追慕することなく忘れ去られるのが常で、昨日あれほど浮かれたのに、今日は知らんぷりというような光景が見られたりする。

   私などもサクラに対してはそういう気分なきにしもあらずだが、花を終えた葉桜の時期、葉桜の下などを歩くと、まだ、赤っぽい萼や花柄が葉腋に残り、花の残響がそこここに聞かれるようで、花に思いが向かうというようなこともある。 写真は葉桜。


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2022年04月21日 | 創作

<3745> 写俳二百句(125) ヒメハギ(姫萩)

             姫萩の花そこここの歩みかな

                    

 カメラをぶら下げて春たけなわな陵墓の濠の堤を歩いていたら日当たりのよい足許の草地にヒメハギの紅紫色の小さな花が点々と咲いているのが見られた。初めはスミレかと思ったが、よく見ると花が左右に羽を開いたような蝶形で、中心に白い総状の付属体があり、ヒメハギとわかった。 写真は地に貼りつくように生え、花を咲かせるヒメハギ(奈良市佐紀町)。

 ヒメハギはヒメハギ科の多年草で、山野の日当たりのよいやや乾燥気味の草地に生え、硬く細い茎が地を這って、上部が斜上し、花期の春から夏のころは高さ15センチほど、花が終わった後は30センチほどになる。ヒメハギの名は花がハギの花に似て、小さいためと言われる。スミレほどポピュラーでなく、出会うと思いがけない感がある。


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2022年04月13日 | 創作

<3738> 写俳二百句(124) 紫雲英(げんげ)の花盛り

                訪ふものへ紫雲英の花の至福海

                     

 春たけなわの大和地方はこのところ蓮華草の紫雲英が花盛りで、紫雲英田では一面に広がる淡紅紫色の花の海になっている。暫くすると紫雲英は田に鋤き込まれ、緑肥として活用されるので、この明るい花の風景はいまのうちである。遠くに眺めても、近くで見てもその一面に咲く花には快さがある。

   海のなき大和に紫雲英の花の海

 空には雲雀が揚がり、紫雲英田の紫雲英の花々には蜜蜂が訪れ、蜜を求めて花から花へ。その至福のときに夢中であるのがそこここで見受けられる。この光景は生の良好な関係性を意味する。日差しは暖かく、渡る風は爽やかで、申し分のない大和路の一景である。

                                

   蜜蜂に持ちつ持たれつ花の色

   この紫雲英田が広がる穏やかな春の大和の地から戦火の地となってしまった厳しいウクライナにエールを送ろう。どんなに過酷でも悪に屈してはならない。悪に負けさせてはならない。紫雲英田のそよ風をウクライナの焦土の地へ。世界の目はウクライナに注がれている。  写真上段は広がる紫雲英の花の田圃。下段は紫雲英の花を訪うミツバチ。

   ウクライナ負けるな紫雲英の花の声