近頃、「ら抜き」言葉が優勢だということです。「見られる」を「見れる」という使い方は、私には違和感がありますが、現在は「ら抜き」言葉を使っている人が多数派だそうです。これは日本語の乱れの一端ではないでしょうか。
文化庁の2015年度「国語に関する世論調査」によれば、「今年は初日が見れた」が48.4%で、「見られた」の44.6%を上回り、「早く出れる」が45.1%、「出られる」は44.3%だったそうです。
「られる」という助動詞は、本来、自発・尊敬・受身・可能などの意味がありました。「見れる」、「出れる」ですと、「可能」の意味に限定されるというメリットもあるということですが、私は「ら抜き」言葉には賛成できません。
文化庁の2015年度「国語に関する世論調査」によれば、「今年は初日が見れた」が48.4%で、「見られた」の44.6%を上回り、「早く出れる」が45.1%、「出られる」は44.3%だったそうです。
「られる」という助動詞は、本来、自発・尊敬・受身・可能などの意味がありました。「見れる」、「出れる」ですと、「可能」の意味に限定されるというメリットもあるということですが、私は「ら抜き」言葉には賛成できません。
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