yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

其の中を執れ

2013-10-31 06:37:29 | 文学
「論語 堯曰 第二十」にある言葉です。
「堯ノ曰ク允(まこと)ニ其ノ中ヲ執レ」。
まことにほどよき中ほどを守れ という意味です。
鰻重に松竹梅がある時に、竹を注文するのがよいと言っているわけではありません。
物事には柔軟に対処して、いつも穏やかでいれば、人の徳を得ることができ、結果的にそれが平和な社会を招くと孔子は言っています。すなわち、すべてに中庸であるのがよい。求め
過ぎず、得過ぎず、ほどほどであるのが良いという意味です。孔子は別の言葉で「過ぎたるは
及ばざるごとし」とも言っています。大切なことは「こうあらねばならない」という呪縛から解き放たれることです。自由自在な生活をしていれば生き生きと脳が働くと言われています。

多湖輝 「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」 日本文芸社
     金谷治 訳註 「論語」岩波文庫
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議事録と公開

2013-10-28 05:43:48 | 文化
最近、とても驚いたことがあります。10月18日に、安倍首相が、国会で明らかにしたのですが、明治以来、閣議と閣僚懇談会には議事録がなかった、という話でした。今後は作ることにして30年後には公開するという方針だそうです。
議事録を作成しない会議というのは、秘密会議です。国家の重要事項が、明治以来、秘密の裡に決定されてきたという事実を知り、唖然としました。議事録が無いということは、広く情報公開もされなかったと推測されます。
会社や学会など、凡そ公的な会議には必ず、議事録があるというのが私の常識です。議事録があると、普通は、その情報が関係者の間に共有されます。公的な機関、団体では、これが当たり前のことでしょう。世の中には、議事録なし、情報公開(共有)なし、監査付き会計報告なしという団体や機関や同好会はあるかも知れませんが、それらは、ちょっと怪しい感じがします。教祖独裁の宗教団体や反社会勢力かも知れません。こうした団体では、教祖や親分のやりたい放題になり、公益が損なわれるでしょう。
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朝ドラ

2013-10-25 05:28:37 | 文学
NHKで毎朝、放映される連続テレビ小説は、通称「朝ドラ」と言われています。近頃、「朝ドラ」にはまっています。その歴史を調べましたら、朝ドラは52年前の1961年の「娘と私」を第1作として現在の形が始まり、今日に至っています。
1983年 第31作 おしん
1985年 第34作 澪つくし などは話題作でした。

2012年 梅ちゃん先生、純と愛 
2013年 あまちゃん、ごちそうさん

ヒロインが明るく、可愛らしく、どれも佳作だと思います。また向日性あふれる話が多く、一日の始まりをさわやかにしてくれます。
多分に好みの問題もありますが、特に「梅ちゃん先生」がとても良かったです。

ところで、10月21日に放映された「ごちそうさん」の1シーン(写真下)に、電停名「本郷春見」とありましたが、この名の電停は、大正時代も現在も実際にはなさそうです。似た名前に「本郷春木町」、「本郷富士見坂」があります。多分この二つから創作した電停ではないでしょうか。

ヒロイン 卯野め以子(杏) と帝大生 西門悠太郎
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「くよくよ」と「あれこれ」

2013-10-22 06:21:12 | 文化
多湖輝先生は、気持ちの持ち方について次のように書いています。

頭の老化防止に役立つ使い方と役立たない使い方を一言で言えば、「くよくよ」と「あれこれ」の違いと言い換えることもできます。「くよくよ」は老化防止に役立たないどころか、頭の老化を進めてしまう使い方であり、「あれこれ」は老化防止に役立つものと言うことができるのです。失恋とか破産など、なんらかの困難な状況に陥った時、「くよくよ」考えていると、考えの「キャナリゼーション(水路付け)」という現象が起こります。すると、頭の働きは、いつも同じところを流れる一つの水流のように、その水路を深めていってしまいます。一方、「あれこれ」思考は、言ってみれば私がよく言う「東京がだめなら名古屋があるさ。名古屋がだめなら大阪があるさ。沖縄もあるし、その先は外国もあるさ」と思考回路を広げる思考と言えます。窮地にあってもあわてずに、確実にそれに対処していくことの出来る人間は、「「どうしよう、どうしよう」ではなく、「どうにかしよう、どうにかしよう」と心の中でつぶやいているものだ、と禅の名僧、松原泰道師も話されていました。

 これを読んで、「くよくよ」悩むより、さっさと気分転換をしてプラス指向の行動に切り替えるのが良いと教えられました。

多湖輝 「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」 日本文芸社
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狂歌

2013-10-19 05:24:20 | 文学
狂歌は短歌と同じく、五・七・五・七・七の定型詩ですが、風刺や滑稽味があるのが特徴です。また、本歌を変形させたもの(本歌取り)も多くあります。

わが宿は御堂のたつみしかもかど よう売れますと人はいうなり
(わが庵は都の辰巳しかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり) 喜撰法師

世わたりに春の野に出でて若菜つむ わが衣手の雪も恥ずかし 
(君がため春の野に出て若菜つむわが衣手に雪はふりつつ) 光孝天皇

太平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も寝られず
  (黒船来航時の世相を風刺)

歌詠みは下手こそよけれ天地の動き出だしてたまるものかは 宿屋飯盛
 (古今和歌集仮名序 「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、、」をふまえています)

はたもとは今ぞ淋しさまさりけり 御金もとらず暮らすと思へば
  (享保の改革の風刺)

白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき
  (寛政の改革の風刺)

このように江戸時代の庶民は、鋭い評価眼と巧みな表現力を持っていました。
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踏切 考

2013-10-16 07:03:01 | 文化
過日、JR横浜線の踏切内で痛ましい事故がありましたが、歩行者にとって電車線の踏切は、誠に危険な場所です。最近、ある本を読んで初めて知ったのですが、JR山手線にも踏切が1箇所あるそうです。山手線は東京都23区の中心部を一周する路線で総延長は34.5キロ。ほとんどが立体交差なのですが、駒込駅から田端駅へ向かって間もなく、交通量の少ない片側一車線の、ごく普通の道路が山手線を横切っています。ここに踏切があります。

ついでに言えばJR中央線の場合、新宿駅から東京駅までの区間の10.3キロには、踏切は1箇所も無いそうです。このようなことが可能であった理由は、この区間の中央線は江戸城の昔の堀と石垣に沿って建設されているからと聞いています。建設者の先見性に敬服します。
電車と人が平面上で交わることがない立体交差は理想的ですが、山手線の例外を知って、物事は理想的に成り立つとは限らないことがわかりました。

内田康夫著の「北の街物語」の表紙には、東京で唯一残った「都電」(荒川線)の走る街が描かれています。(写真下)東京で路面電車が走る街、飛鳥山界隈が物語の舞台となっています。

内田康夫 「北の街物語」 中央公論社

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無用の用

2013-10-13 05:13:07 | 文学
「無用の用」は「荘子 内篇・人間世(じんかんせい)」にある言葉で、「人は皆、有用の用を知りて無用の用を知ることなし」とあります。役に立つ物は分かりやすいのですが、直ぐには役に立たない物にも色々と意味があることを言っています。兼好法師も「良い住居は、家の中に、役に立たない無駄と思われる空間があり、それが住む人にうるおいを与える効果がある」と、書いています。ナノスケールの空隙を利用した新機能材料(例えば保温剤・衣料品などとして)役に立っています。
また、インドで発見された「零という概念と数字」は数学の発展に著しい貢献をしました。難解な数学の研究成果が、どこに役立つのかは直ぐには分かりにくいのですが、物理学の発展に大きく寄与しているようです。(例えば、リーマン幾何学、群論など)

ところで、巨人軍で成績が振わなかった外国人選手「トマソン」の名をとった「トマソン」という、一見、何の役にも立たない建造物の付属品が、現代の優れた超芸術といわれています。
さて、職場での「朝の挨拶」や、「休憩時間の雑談」。そして、儀礼的となっていると批判
されることもある「年賀状の交換」なども、思えば味わい深いものと言えましょう。これらも「無用の用」の一例ではないでしょうか。
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新涼 書を読む  菊池三渓

2013-10-10 05:26:33 | 文学
菊池三渓(1819~1891)幕末から明治初期の儒者。紀伊藩に仕え、江戸赤坂邸の明倫館教授となり、後に十四代将軍、徳川家茂の侍講となる。詩文に巧みで晩年は京都に住む。ここでは、七言古詩を紹介します。

 新涼読書

秋動梧桐葉落初
新涼早已到郊墟
半簾斜月清於水
絡緯聲中夜読書

新涼書ヲ読ム

秋ハ動ク梧桐葉落ツルノ初(はじめ)
新涼早ク已ニ郊墟ニ到ル
半簾ノ斜月水ヨリモ清ク
絡緯(らくい)聲中夜書ヲ読ム

「訳」

秋の気配はすでに青桐の葉の落ち始める時に感じられ、新涼の気は早くも郊外の野に忍び寄っている。中窓から斜めに簾の半分ほどを照らし出す月の光は、水よりも清らかに澄んでい
る。聞こえるものはただ「くつわむし」の声。それを聞きながら書を読むことは最高の楽しみ
である。

次に菊池三渓の他の漢詩の中で歴史を題材にした詩を紹介します。

   備後三郎題詩図

 警拆無声燎影残
 桜花樹底夜初闌 
虎狼不解何詞意
独有君王帯笑看 

備後三郎題詩ヲ題スルノ図

警拆(けいたく)声無ク燎影(りょうえい)残(つ)ク
 桜花樹底夜初メテ闌(たけなわ)ナリ 
虎狼(ころう)ハ解セズ何ノ詞意カヲ
独リ君王ノ笑ヲ帯ビテ看ル有り

 「訳」
「備後三郎」とは児島高徳のこと。隠岐の島に流される後醍醐天皇を追い、その途上の行在所
の庭に忍び入り、桜の幹を削り、「天 勾践(こうせん)を空しうすること莫かれ、時に范蠡(はんれい)無きにしも非ず」の詩句を記し、胸中にあふれる忠勤の念を上聞に達したことはひろく人の知るところである。北条高時方の警固の兵士の夜廻りの拍子木の音もすでになく、かがり火の火勢も落ち、咲きにおう桜の花のもとはさすがに夜の色が濃くなりまさってゆく。この桜の幹を削って児島高徳がしたためた詩句は、ただ強いばかりの兵士には解すべくもなく、これを翌朝、後醍醐天皇が御覧ぜられ、その意をお悟りになってただひとり、にっこりなされたということである。

上記の話は、中国・春秋時代末期、呉越の戦(BC496~BC473)における越王勾践と忠臣范蠡の故事が元になっています。後醍醐天皇(1288~1339)は、第96代の天皇で鎌倉時代末期から南北朝時代の天皇です。児島高徳の話は1332年のことです。これらは太平洋戦争前の日本人は誰もが聞かされていたということです。

吟剣詩舞振興会 「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」
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東風 考

2013-10-07 06:06:25 | 文学
「東風」は、雅語で「こち」と読み、爽やかな春風を言います。
菅原道真の次の和歌が有名です。

東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)無しとて春な忘れそ

菅原道真(845-903)は平安時代の学者、漢詩人、右大臣です。藤原時平の讒言により太宰府に配流されました。梅が好きだった道真公が、都を去る時に紅梅殿の梅に向かって詠んだのが、この歌です。
春の東風が吹くようになったら、花を咲かせて香りを届けておくれ、主の私がいなくても春を忘れないで届けておくれ

菅原道真公は、死後、天満宮に祀られ学問の神様になりました。

一方、「馬耳東風」という四字熟語もあります。出典は李白の次の詩です。

  答王十二寒夜独酌有懐(十二寒夜 独酌シ懐ヒ有リテ王ニ答ウ)

  世人聞此皆掉頭
  有如東風射馬耳

世間の人はせっかく作った詩賦を聞いても皆、頭を掉(ふ)ってわからないと言う
それはまさに春風が馬の耳に吹きかかるようなものだ

人の意見をまったく心にとめずに聞き流す態度のことを言います。「馬の耳に念仏」も同じ意味です。
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電気学会 創立125周年

2013-10-04 05:59:52 | 文化
私が所属する電気学会は、1888年(明治21年)に創立されましたので、本年125周年を迎えました。初代の会長は、戊辰戦争・五稜郭の戦で敗れた榎本武揚でした。榎本は、外交・産業・工業について高い見識をもっており、当時は逓信大臣を勤めていました。この時の格調高い演説は今も残っています。(写真 下 複刻版)すなわち、榎本武揚は、電気の重要性を多くの事例を挙げたあとに次のように述べています。

「(前文略)以上開陳したる所に依りて之れを考れば、本会会務の範囲は甚だ広大にして、会員諸君が或は学理の蘊奥に叩き、或は実験の成績に照し、詮索致究すべき事項は決して小少にあらず。因って余は会員諸君の熱心協力に依りて他日、本会の目的を達し、此電気学会なるものは、本邦世運の開達、人生の幸福を増進するに於て必要欠くべからざるの一大利器となり、果して会長演述の旨意に背かざらんことを熱望に堪えざるなり」


また電気学会は、今日まで日本の電気技術の中心となる役割を果たしてきました。電気学会の76代の会長であった関根泰次先生は次のように書いています。
2003年に、米国の工学アカデミー(NAE)は、全ての会員に対して、「20世紀の最大の技術的成果は何か」と尋ねたところ、ある人は電灯、テレビ、電話、計算機、インターネット、あるいは人工衛星などを挙げました。しかし、最終的に選ばれたのは、それがなければこれらのいずれもが機能しない「電力システム」であったということです。我が国において電気学会は正にこの人類を支える基本技術たる電気技術を産み育ててきた母体であり、掛け値なしに、これからの若い世代の人たちにも誇りを以って引き渡すことの出来る大きな成果と思う。

不肖私は、今こそ日本人が今後の電気エネルギー源として原子力を選ぶか、安全・安心な持続可能エネルギーを選択するかを決める重要局面に立っていると考えます。

関根泰次「電気学会 創立125周年を祝う」 電気学会誌 Vol.133 No.10




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