yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

ミュー粒子

2017-11-28 06:25:04 | 科学
ミュー粒子(ミューオン)は、素粒子標準模型における第二世代の荷電レプトンです。宇宙から地球に降り注いでおり、小さい故に多くの物質をすり抜けます。
それを利用して、ミューオグラフィという一種の透視画像作成の技術が開発されました。
その応用例には次のようなものがあります。
・ 東大地震研究所により、火山(例えば、浅間山)の内部構造の画像作成。
・ 高エネルギー研究所による福島第一原子力発電所の炉心の透視画像作成。
・ 名古屋大学チームと高エネルギー研究所チームにより、エジプトのクフ王のピラミッド
内部にある巨大空間の画像作成。これは、極めて大きい業績だと言われています。
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浅井長政

2017-11-25 06:24:25 | 歴史
浅井長政は戦国時代、北近江を治めた武将です。優しく気配りのできる君主であり、仁政を敷(し)いたといわれます。しかし同時代に生きた魔王、織田信長の野心に押しつぶされて気の毒な最期をとげました。長政は信長の妹、お市との間に三姉妹ができましたが、数奇な生涯を送りました。
長女、茶々は豊臣秀吉の妻となりましたが、豊臣家は滅亡することになりました。次女、江は二代将軍徳川秀忠の正室となり、三代将軍家光を産みました。また、江の五女の和子は後水尾天皇に嫁ぎましたので、江の権勢は、日本史上の女性として際立っています。浅井長政の三女の初は、徳川家の親族に嫁ぎ、比較的、平穏で幸せな生涯を全うしたといわれています。
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富士山 標高測定 シーボルト

2017-11-22 06:33:54 | 文化
ドイツ人で医師・博物学者のシーボルト(1796~1866)は、幕末の日本で大きな足跡を残しました。あまり知られていないようですが、富士山の標高の測定もしていました。その方法は気圧計を使う科学的なものでした。地球上では100m登ると、12ヘクトパスカルだけ気圧が下がります。従って気圧を測定すれば標高がわかります。シーボルトは、江戸時代末期1828年に、弟子の二宮敬作を富士山頂に登らせ、山頂の気圧を測定した結果から3794.5mと算出しました。この数値は実際の標高3776mに対して、わずか18.5m大きいだけでした。精度の高い測定といえます。
一方、伊能忠敬(1745~1866)は、日本地図を作る過程で、56歳(1801)の時、測量具(象限義、方位盤など)を用いて富士山の標高を測量し、標高3900mと測定しました。この数値はシーボルトの測定値より、誤差が大きいものでした。
 それにしても、1801年と1828年という似た時期に日本人と外国人が相次いで富士山の標高が測定されていたことに驚きました。
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日本庭園、庭屋一如

2017-11-19 06:09:21 | 文化
日本庭園は自然風景式と言われます。一つには、山の斜面や湧水などの地の利を充分に活かした造園です。もう一つは、自然の景を庭という空間に凝縮させたことです。自然への希求をよりどころに、寝殿造り庭園、枯山水、路地など、京都で生まれた庭園様式は、さまざまな拡がりを見せています。
また、「庭屋一如(ていおくいちにょ)」という特徴は平安時代からあり、日本の庭と住居が調和する精神的な骨格として脈々と伝えられて来たと言われます。
それにしても京都には、洗練された庭と趣のある庭が多いと思います。

   「京の小庭」 平凡社
   「京都・民家の庭」京都新聞社
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鶏と牛

2017-11-16 06:40:20 | 文学
中国では鶏は小さいものの象徴であり、一方、牛は大きいものの象徴です。鶏も牛も庶民生活の周辺にあります。鶏と牛が入る有名な諺が二つあります。

むしろ鶏口となるとも牛後となるなかれ 出典は「史記 蘇秦伝」
 意味:大きな団体で人の尻になっているより、小さい団体で頭になるほうがよい。

鶏を割(さ)くに焉(いづく)んぞ牛刀を用ゐん
出典は「論語 陽貨 第十七」
意味:孔子が武城を訪れた際、弟子の子遊に、つぶやいたそうです。「小さな街を治める
のに、大袈裟なことをしなくともよいではないか。」
    目的が小さい事柄に対して過剰な手段を使うことを指します。
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逃れ将棋

2017-11-13 06:20:02 | パズル
詰将棋(相手の玉を詰める)と逆の概念をもつ「逃(のが)れ将棋」というものがあります。また、「逃(に)げ将棋」と呼ばれることもあります。

相手からの詰みを逃れて一手を稼いで、手番を握ることを目的とする将棋の遊びの一つです。
下図は、その例題です。正解は7九玉。(他にも手段はあります。)7九玉と逃げると後手からは詰めることができません。一方、9八玉とすると、9六香、9七合、8八歩成で詰められるので、9八玉は不正解です。一手を稼いで手番を握ることは、勝利を得る上でとても重要なことです。




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多民族国家 中国

2017-11-10 05:29:30 | 文化
中国は56もの民族が暮らす多民族国家です。その総人口は約14億人です。56民族の内、漢民族で人口の約93%を占め、その他の民族の合計は、2010年の推計で約1億700万人もおり、これは日本の人口に匹敵します。少数民族は中国全土の約64%の地域に暮らしています。少数民族の中で最も人口の多いのが、イ族で、8700万人もいます。ついでウイグル族が約850万人、チベット族が約600万人、モンゴル民族が約580万人などとなります。
 中国の少数民族の統治方針は、いわゆる連邦制ではありません。少数民族が多数を占める地域を自治区域として、その区域の地方政府に一定の自治権が与えられています。しかし、彼らの住む少数民族そのものに自治権を与えるものではなく、地方政府に自治権を与えるしくみです。地方政府の長は、住民の直接投票による公平な選挙で選ばれるわけではなく、中央の指導で決められるようです。自治区、自治州、自治県の三種の自治区域が指定されており、自治区には、新彊ウイグル自治区・チベット自治区・内モンゴル自治区などの広大な自治区があり、また、30の自治州と120の自治県があります。言うまでもなく多民族国家のアメリカ合衆国とは、民主主義の点で大いに異なっています。
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仰げば尊し、伊澤修二

2017-11-07 06:49:40 | 文学
嘗て、卒業式の定番として歌われた「仰げば尊し」に関する話です。従来、この歌は明治初年に、文部省音楽取調掛、高遠藩士の子弟、伊澤修二の作詞・作曲いわれていました。伊澤は、貧しい家で育ちましたが、東京帝大に進みました。アメリカ留学中、ベル研究所で、友人の金子堅太郎と共に日本人で初めて、電話器を使ったということです。
「仰げば尊し」の原曲についてはわかっておらず、長い間、小学校唱歌集における「最大の謎」とされて来ました。ところが最近になって、一橋大学名誉教授の桜井雅人氏が、この歌の曲の出典を突き止め、アメリカで19世紀後半に初めて世に出た Song for the Close of School「卒業の歌」の旋律が、「仰げば尊し」の原曲であることが判明しました。原歌には「師の恩」「身を立て、名をあげ」という歌詞は無いそうですが、私は日本の「仰げば尊し」の歌詞、曲、共に愛着を感じています。
 1.仰げば尊し 我が師の恩
    教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
    思えばいと疾(と)し この年月(としつき)
    今こそ別れめ いざさらば
2.互(たがい)に睦みし 日ごろの恩
   別るる後(のち)にも やよ忘るな
   身を立て名をあげ やよ励めよ
   今こそ別れめ いざさらば
3、朝夕馴(なれ)にし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば
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幕末を駆け抜けた二人

2017-11-04 05:48:10 | 歴史
幕末の偉人、吉田松陰と坂本龍馬は同時代に生きて、歴史に残る革新的、天才的な偉業をなし遂げ、若くして落命しました。

吉田松陰(1830―1859) 享年29歳
坂本龍馬(1836―1867) 享年31歳

吉田松陰は伊藤博文、高杉晋作、木戸孝允等、明治維新の原動力となった弟子を育てまし
た。刑死するにあたり、弟子宛に次の辞世の句を残しています。

 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちるとも留め置かまし大和魂

坂本龍馬は、その眼をたえず日本全体と世界に向け、海援隊を組織したり、薩長同盟の成立、大政奉還のために奔走するなど、多くの仕事をなしとげました。
辞世の句は、 

  世の人は我を何とも言はば言え我なす事は我のみぞ知る  

自由奔放に生きた龍馬の面目躍如たる句です。
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鼓腹撃壌

2017-11-01 05:37:57 | 文学
「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」は、「腹を鼓(こ)し 壌を撃(う)つ」と読みます。理想的な政治が人民にゆきとどいていることのたとえです。『十八史略 五帝』が出典です。古代中国、堯帝の時代、ひとりの老人が天下太平を楽しみながら、腹鼓をうち、大地を敲きながら堯帝の徳をたたえる歌をうたったという故事によります。
「無為自然」が最上を説いた道家の思想にも通じています。庶民にとって、権力がどこにあるかわからないような世界は、一種のユートピアではないでしょうか。
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