「いかに、生を終えるか」は、永遠の課題かも知れません。
最近、孤独死・孤立死・独居死・自然死・尊厳死・安楽死などが話題になっています。
誰にも看取られずに孤独な死を迎えるのは寂しいことであり、望ましくないという論調がマスコミなどに見られますが、作家の五木寛之氏は次のように語っています。
「孤独死のどこが悪い。死は普通、孤独なものだ。一人静かに死ぬのは当たり前のこと。自然死というのが適切である。」
また、宗教学者の山折哲雄氏は「ひとり」で生き抜く哲学を論じています。
一方、日本海海戦時に海軍の参謀であり、海戦を勝利に導いた秋山真之中将の臨終の場合ですが。秋山は小田原の知人の別荘で倒れ、枕頭にあつまっていたひとびとに、「みなさんいろいろお世話になりました。これからは独りでゆきますから」といった。それが最期のことばだった。
まことに軍人らしく潔く、きっぱりしていました。
同志社を創立した新島襄は、看病していた妻、八重に「狼狽するなかれ、グッドバイ、またあわん」とはっきり言って、旅立ったということです。
江戸時代の戯作者、十返舎一九の辞世は「此世をば どりやおいとまに せん香とともにつひには灰左様なら」最期まで滑稽な人でした。
不肖私は、できることなら命が尽きるまで、ピンピン生きてコロリと逝きたいと思います。
司馬遼太郎「坂の上の雲 八」文春文庫
最近、孤独死・孤立死・独居死・自然死・尊厳死・安楽死などが話題になっています。
誰にも看取られずに孤独な死を迎えるのは寂しいことであり、望ましくないという論調がマスコミなどに見られますが、作家の五木寛之氏は次のように語っています。
「孤独死のどこが悪い。死は普通、孤独なものだ。一人静かに死ぬのは当たり前のこと。自然死というのが適切である。」
また、宗教学者の山折哲雄氏は「ひとり」で生き抜く哲学を論じています。
一方、日本海海戦時に海軍の参謀であり、海戦を勝利に導いた秋山真之中将の臨終の場合ですが。秋山は小田原の知人の別荘で倒れ、枕頭にあつまっていたひとびとに、「みなさんいろいろお世話になりました。これからは独りでゆきますから」といった。それが最期のことばだった。
まことに軍人らしく潔く、きっぱりしていました。
同志社を創立した新島襄は、看病していた妻、八重に「狼狽するなかれ、グッドバイ、またあわん」とはっきり言って、旅立ったということです。
江戸時代の戯作者、十返舎一九の辞世は「此世をば どりやおいとまに せん香とともにつひには灰左様なら」最期まで滑稽な人でした。
不肖私は、できることなら命が尽きるまで、ピンピン生きてコロリと逝きたいと思います。
司馬遼太郎「坂の上の雲 八」文春文庫