yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

高適  除夜の作 霜鬢明朝又一年

2006-12-31 19:02:27 | 文学
毎年、除夜になると決まって想い起こす漢詩、除夜の作(高適)です。
 
旅館の寒燈獨り眠らず 客心何事ぞ轉た凄然
故郷今夜千里を思ふ  霜鬢明朝又一年
 
詩人 高適(こうせき)は四川省成都に流浪して来た杜甫を温かく援助して親交を結びました。晩年は不遇でした。
 
 
結句 霜鬢明朝又一年    
白髪に又 一年がむなしく加わる、にしみじみとしたものを感じます。
 
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松平容保公

2006-12-10 07:52:24 | 歴史
平成11年11月に「京都守護職始末」という貴重な書籍を入手しました。
これを契機にして、幕末に京都守護職を勤めた會津藩主松平容保と會津藩の人々のことを書き留めました。以下に京都守護職始末その1からその9としました。
私が松平容保に 特に魅かれますのは、その高潔な人柄と清冽な生き方、信義を何よりも重んじた至誠の人であるからです。それを支えた會津武士団も武士道を実践した真の武士でありました。
拙い小文ですがご一読いただければ幸いに存じます。
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京都守護職始末 その1

2006-12-09 08:07:20 | 歴史
 
 
「京都守護職始末」を長年求めていましたが、念願が叶い、ようやく私の蔵書に加わりました。この本は幕末と明治維新史の真実を知るための超一級の資料です。
この本は、會津藩の元重臣山川浩が稿を起こし、浩の死後、弟の健次郎(帝大総長)により明治44年に上梓されたものです。上梓から約100年を経て我が家に収まりました。
この上梓により、幕末に京都守護職となった會津藩主松平容保公の忠誠の証を明治の世に示すことになりました。そして、會津朝敵の汚名は雪がれました。後に、秩父宮妃殿下勢津子妃(容保公の孫)が子爵松平家から輿入れされたのは周知のことです。
なお、「京都守護職始末」には、孝明天皇から容保公にあてたご宸翰、御製2
首、會津藩藩祖、保科正之公の家訓(容保公の書)が収められています。
 
    
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京都守護職始末 その2 ご宸翰

2006-12-08 07:34:38 | 歴史
孝明天皇から容保公にあてたご宸翰。
 
堂上以下、暴論を疎(つら)ね不正の処置増長につき、痛心に湛え難く、内命を
下せしところ、すみやかに領掌し、憂患掃攘、朕の存念貫徹の段、まったくその
方の忠誠にて、深く感悦のあまり、右一箱これを遣わすもの也。
 
これは文久の政変における容保の働きに対する孝明天皇の悦びを表したもので、同時に御製2首を遣わされました。
 
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京都守護職始末 その3 御製

2006-12-07 07:57:46 | 歴史
 孝明天皇がご宸翰と共に容保公に当てた御製2首です。
 
 たやすからざる世に武士(もののふ)の忠誠の心を喜びてよめる
 
   和らくも武き心も相生の松の落葉のあらず栄えむ
 
   武士と心あはしていはほをも貫きてまし世々の思ひ出
 
  
    
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京都守護職始末 その4 家訓

2006-12-06 07:51:42 | 歴史
 保科正之.は徳川2代将軍秀忠の四男ですが、父秀忠が正室達子の癇気を恐れたため、庶子として信濃高遠で育てられました。後に會津藩主となり、幕閣にあっても善政をしきました。異母兄の家光に信頼され徳川家のご家門となりました。そして将軍への恩を忘れないことを子孫に伝えました。
 
 家訓(かきん)第一条、大君の儀(将軍家のこと)、一心大切、可存忠勤、不可存列国之例自処、若懐二心則我子孫、面面決而不可従。
 
 9代藩主の容保は幕末には終始、徳川宗家を援け、京都守護職として獅子奮迅の働きをしました。それにもかかわらず、徳川慶喜にまで見捨てられました。  最後には會津鶴ケ城に万天下の兵を引き受けて戦い、壮烈に散りました。
會津藩の悲劇の遠因は秀忠とお静のいっときの恋であったとは歴史の不思議
です。
         下は容保公の書で、写真の人物は男爵山川浩です。
 
     
 
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京都守護職始末 その5 皇太后の牛乳

2006-12-05 07:35:52 | 歴史
  明治26年松平容保公は病床にありました。長年の心労による胸の病で死期が遠くないとの予感もあったようです。知人の奔走が功を奏して英照皇太后(孝明天皇妃、明治天皇の御摘母)から見舞いが下賜されました。それは瓶に入れた一本の牛乳で皇室の侍医頭によって届けられました。容保は涙にむせびながらそれを飲みました。
その1ヶ月後の12月5日、容保は孝明天皇のご宸翰を握りしめながら静かに息を引きとりました。享年59才、波乱と苦悩に満ちた生涯でした。容保が生涯を通じて持ち続けたのは、おのれは朝敵にあらずとの固い信念でした。  
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京都守護職始末 その6 七年史

2006-12-04 06:49:14 | 発見
 京都守護職始末の一連のブログの最後にあたり、「七年史」とそれを編輯した北原雅長に触れます。
 「七年史」は幕末、維新の歴史資料です。文久2年(1862年)から明治元年(1868年)までの7年間の歴史事実を編年体で記述してあり、會津藩の勤王の立場を知ることができます。
この本は明治33年に出版されたもので編輯者、北原雅長(會津藩家老神保内蔵助の次男)は 後に異境の地 長崎の市長となりました。
 
ここで、北原雅長の生家、神保家に関して述べます。
神保内蔵助: 雅長の父は會津若松の戦いに敗れ、同じく家老の田中土佐と城下の屋敷で共に自決しました。
神保修理:   内蔵助の嫡男、藩の嘱望を集めた人材で、容保公の
          側近となって京都にありましたが、鳥羽伏見の敗戦の責任を取る形でj自刃した悲劇の藩士です。
神保雪子:   修理の妻、會津武士の妻の矜持を胸に、自ら命を絶ちました。
 
 下の写真は「七年史」の表題と雅長が書いた序文の一部です。
 

 
 
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京都守護職始末 その7 山本覚馬兄妹

2006-12-03 07:44:10 | 歴史
 會津藩士山本覚馬と八重子兄妹について述べます。
 山本覚馬(かくま)は藩の砲術家の家に生まれ、會津日新館で文武を修めましたが、黒船が来航するや、洋式軍事力の威力に驚嘆し、直ちに洋式兵学を学び會津に蘭学所を創設して藩士に伝えました。そして弱冠30才で藩の軍事取締役に就任しました。
  覚馬は、京都では守護職のもとで砲兵隊長として活躍しましたが、不本意にも戦いに敗れました。しかし、その後、先見性の高い識見が認められ、失明という障害をも乗り越えて京都府の顧問に迎えられました。そして京都府の近代化に貢献し、京都府議会が開設させるや初代の議長となりました。
 
  妹の八重子は西軍が會津若松に殺到した時、男装して鶴ケ城に入り戦列に加わりました。明治元年9月22日、開城の前夜、月光を浴びながら銃弾で崩れ残った三の丸の白壁に簪で痛哭の歌を彫りこんだ話は有名です。
 
   明日よりは何処のたれが眺むらん慣れしお城に残す月かげ
 
なお、八重子は後に同志社大学を創設した新島襄と結婚しました。
 
 
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京都守護職始末 その8 秋月梯次郎

2006-12-02 12:42:06 | 歴史
  會津藩士秋月悌次郎について述べます。号は韋軒、胤永(かずひさ)が正規の名前。高潔な武士であり、経史に通じ詩文をよくし、書に巧みな碩学でした。昌平坂学問所に学び諸国を遊学したが、容保公が守護職として京に上るや君側にあって、公用方として藩の外交を担当し、文久3年の政変の中心となる活躍をしました。
鶴ケ城落城の後、會津救済のために奔走。越後を訪れて會津への帰途、絶望的な気持ちを漢詩に詠みました。
 
  行くに輿無く、帰るに家無し
  国破れて孤城雀鴉乱る
  治、功を奏せず、戦、略無し
  微臣、罪有り、また何をか嗟かん、、、、
 
最後に、何れの地に君を置き、又親を置かん と結んでいます。
 

   後年、熊本第五高等学校でラフカディオ・ハーンや漱石らと教授を勤め、嘉納治五郎とともに剛毅木訥の校風の基礎を築きました。そしてハーンをして「神のように温かい人」と言わしめました。
写真は鶴ケ城三の丸跡にある詩碑です。
               
 
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