yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

画竜点睛

2019-10-29 06:03:11 | 文学
「画竜点睛(がりょうてんせい)」は、「竜を画(えが)いて晴(ひとみ)を点(てん)ず」とも読みます。物事を完成するために、最後に施す大切な仕上げ。また、わずかなことで全体が引き立ち、物事に活気が生じることの譬えを言います。「晴」は「瞳」のことで、物事の肝心なところの意。よく「画竜点睛を欠く」と用いられ、これは「最後の一点が不十分であること」の意です。
* 出典:「歴代名画記・張僧繇(ちょうそうよう)」 
中国六朝時代の画家、張が、金陵の寺で竜の絵を描き、「瞳を入れると竜が飛び去る」と言って入れないでおきましたが、強く請われて晴(ひとみ)を描き入れたところ、竜が天に昇って行ったという故事によります。
なお、「画竜点睛」の反対語は「蛇足」です。





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移民 留学 亡命

2019-10-26 06:42:49 | 文化
日本と外国の間で人が移動する形態に、渡来・移民・留学・亡命などがあります。そもそも日本民族は、北方・大陸・朝鮮・南方から渡来してきたと言われています。古代には、朝鮮からの渡来民がありましたし、また、奈良・平安時代には遣唐使・遣隋使があり、小野妹子や吉備真備、空海などの優秀な人々が中国に渡っては学問をして、日本に多くの文化をもたらしました。明治初期より現代にかけても、多くの日本人留学生が欧米に渡っています。
また、明治・大正・昭和時代には、日本からアメリカ・南米・満州などに多くの移民がありました。不思議に思えるのは、祖国日本を捨てる亡命という形態が、日本にはとても少ないことです。それは日本人にとって、日本が平和で住みやすい国という証ではないでしょうか。一方、多くの外国人が日本への移民を目指していると言えるかは、疑問に思えます。
日本は、日本人にとっては大変居心地がいいのですが、外国人にとっては、必ずしもそうとは言えないのかも知れません。
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無題  阿倍仲麻呂

2019-10-23 07:07:02 | 文学
阿倍仲麻呂(701~770)は奈良時代の遣唐留学生です。幼少のときから聡明で読書を好みました。716年、16歳で吉備真備らと共に選ばれて遣唐留学生となり唐に渡り、進士に及第し、やがて唐王朝に仕えました。王維や李白と親交を結び、大いに活躍しましたが、日本に帰ることは出来ませんでした。ここでは、仲麻呂の五言絶句を紹介します。

 無題

慕義名空在
輸忠孝不全
報恩無幾日
帰国定何年

義ヲ慕フ 名空シク在リ
忠ヲ輸(いた)スモ 孝全(まつ)タカラズ
恩ニ報ユル 幾日モ無シ
国ニ帰ルハ 定メテ何(いず)レノ年ゾ


 「訳」
人の踏み行うべき道である「義」を求めて励んできたが、空しい名声だけがあるばかり。故国をはなれ、唐土に来ているのは、君に忠を尽くすことになるが、親に孝行を尽くすことが出来なくなってしまっている。私も年を重ね、この先、親の恩に報いたくても、その日が何日もなくなってしまった。果たして日本へ帰国できるのはいつであろうか。

   「鑑賞」
親を思い、国を思う気持ちが率直に詠われた好い詩。杜甫の「絶句」にある「何レノ日か是レ帰年ナラン」と類似しています。仲麻呂が日本にとうとう帰ることができず、唐土で客死したことを思うと、結句に、より一層の重みが感じられます。

       「吟剣詩舞道漢詩集 続絶句編」日本吟剣詩舞振興会

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即位礼

2019-10-20 08:28:52 | 文化
令和の天皇の即位礼が10月22日に予定されています。即位礼とは、天皇が皇位を継承したことを国内外に示す国事行為であり、最高の皇室儀礼です。御大礼、御大典とも称されます。
世界で最も長い歴史のある皇室と、平和日本の慶事をお祝い申し上げます。即位礼には、外国からは約195カ国、600人の賓客が予定されています。
また、10月19日には、正殿の儀で天皇がのぼられる高御座(たかみくら)が報道陣に公開されました。(下 写真)

即位礼の英訳は、An enthronement ceremony です。
一方、英国女王の戴冠式は、A coronation ceremony です。

以下に明治天皇以後の即位礼について述べます。

明治天皇 1868年10月12日に執り行われました。
大正天皇 1915年11月10日に京都御所で執り行われました。
昭和天皇 1928年11月10日に京都御所で執り行われました。
平成天皇 1990年1月23日に御所(東京)で執り行われました。

大正天皇と昭和天皇の即位礼の時は、東京の御所から京都御所まで天皇が行幸されましたので、特別のお召列車が東海道線を走り、沿道の国民がこぞって拝礼しましたが、平成天皇以後はこのお召列車はなくなりました。






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厳しい修行

2019-10-17 06:17:04 | 文化
仏教では、悟りを得るために、厳しい修行がなされています。達摩大師は西域の洞窟で壁に対座して瞑想すること九年を費やしたといわれています(面壁九年)。比叡山・延暦寺にも厳しい修行があり、それは常行堂というお堂で行われています。堂内には阿弥陀仏が安置されており、ろうそくだけがともる薄暗い場所です。阿弥陀仏のまわりを「南無阿弥陀仏」と唱えながら90日の間回る修行で、食事と沐浴は許されていますが、横になって眠ることはできないという、まことにすさまじい修行です。「常行三昧」といわれ、修行で朦朧となった意識の果てに仏様が出現することもあるそうです。また比叡山に12年間籠り、俗世間との関わりを全く持たない修行もあります。その外にも、比叡山近辺の山を千日間歩き続ける千日回峰行という修行もあります。凡人には、到底耐えられないと思える修行ですが、これを終えた僧侶は新境地を開き、尊敬されるということです。


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ポ-ツマス条約

2019-10-14 07:34:39 | 歴史
明治38年(1905)9月5日、アメリカのポ-ツマスで日露戦争終結の講和条約が調印されました。この歴史的事実の裏側で、講和のための条件として、“賠償金なし”を唯々諾々として政府が受諾したのは「国民侮辱」でしかないと、大いなる不平不満が反政府運動となり、日本国民の間で渦巻いたことはよく知られています。例えば、憤激した国民は、条約破棄、閣僚、元老の責任追及を叫んで、東京日比谷公園に国民大会を開催。警官隊との衝突から、警察署・交番・内相官邸などを襲撃し、戒厳令が出されました。
 日本の戦力が限界にきている“惨勝”であることを、政府も軍部も明らかにしなかったゆえの騒乱事件、さらに「十万の英霊、二十億の国費」で得た満州の権益が、昭和日本をやがて世界中を敵とする大戦争へと引きずりこんでいくことになりました。




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二歩

2019-10-11 10:12:15 | 将棋
将棋には「二歩(にふ)」という反則があります。同じ筋に歩が2枚になるように歩を打つことを言います。プロの対局では、二歩を指すと、その時点で反則負けになり、後々まであれこれ言われるようです。プロの二歩は 滅多にありませんが、しかしNHK杯将棋ト-ナメントで、私でも2回、目にしました。指したのは、T七段とH九段でした。 最近、将棋を題材にしたテレビドラマが放映されましたが、その中で、タイトル戦に登場した挑戦者が二歩を打って負ける話がありましたが、これはいかにもリアリティが乏しいように感じました。
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真空管アンプ

2019-10-09 07:07:29 | 科学
音楽ファンにとって、CDを良い音で再生するオ-ディオアンプは欠かせない装置です。現在はトランジスタ-アンプが主流ですが、かつては真空管アンプという物がありました。ラジオ少年であった私も、五極真空管6AQ5を使ったアンプを組み立てました。また、成人した後、今でも名機と言われるラックスマンのSQ-38u(写真下)を求めて愛用しました。真空管アンプの「どこが、いい」と思われるかも知れませんが、「音が丸く澄んでいる」と、マニアには評判が高いのです。これは中・高音域の音声の周波数特性が絶妙なので、バロック音楽を聞くのに良いとか、歌手の息づかいや息の湿り具合まで分かるという評もあります。一方、トランジスタ-・アンプは低音域の周波数特性に強みがあるといわれます。良い音を聞くにはスピ-カ-の選択と聞く部屋の構造も大いに重要です。オ-ディオ・マニアであった友人のH君は、学生時代、真空管アンプとトランジスタ-アンプを比較して、「真空管は生来の美人、トランジスタ-はブスに厚化粧」と語っていました。後に彼は音響工学の権威になりましたが、惜しいことに過日他界しました。

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屋形船会合事件

2019-10-06 06:21:31 | 歴史
渋沢栄一は、「第一国立銀行」「抄紙会社」「王子製紙」「東京海上保険」「日本郵船」「東京電灯」「日本瓦斯」「帝国ホテル」「札幌麦酒」「日本鉄道会社」「東京商法会議所」「東京株式取引所」など、470社の設立に中心的な役割を果しました。「日本資本主義の父」といわれる所以です。この実業人として活動の中で、大きなトピックとなったのが、三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎との屋形船会合事件です。1878年、岩崎弥太郎から渋沢栄一は向島の料亭に招待されました。そこで弥太郎が切り出してきたのは、一言で言えば強者連合の誘いでした。「君と僕が堅く手を握り合って事業を経営すれば、日本の実業界を思う通りに動かすことが出来る。これから二人で大いにやろうではないか。」この岩崎の話を
良く聞いて見ると、結局、彼と渋沢で大きな富を独占しようという結論になる。渋沢の考え方とは正反対でした。渋沢は自分一人が金もうけをする気は毛頭なく、いろいろな事業をおこして大勢の人が利益を受けると同時に、国全体を富ましてゆきたいのが念願でした。渋沢は合本法(株式組織)の道義的運営によって、富は分散させるべきものだ、独占すべきものではないと主張しました。いきおい二人の議論ははげしく対立しました。「だめだ。君のいう合本法は船頭多くして船山にのぼるの類だ。」「いや、独占事業は欲に目のくらんだ利己主義だ。」渋沢は腹を立てて、その席にいた馴染みの芸者といっしょに姿を消しました。
 もし、渋沢が欲得に目がくらみ、岩崎弥太郎と結託する選択をしていたなら、後の日本の資本主義は、おそらく今とは形の違うものになっていた可能性が高い。渋沢の揺るがぬ信念があったからこそ、現代のわれわれはその果実の恩恵に浴し、世界有数の経済大国の地位を享受している面があるわけです。

  渋沢栄一 「論語と算盤」ちくま新書


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将棋駒を指す手つき

2019-10-03 06:20:22 | 将棋
将棋において駒を進める動作、つまり駒を指す「手つき」についての話です。この些細とも言える行為に、プロとアマには格段の差、修練の差があるようです。 中原誠名人や米長邦雄名人の手つきは、特にすばらしいものでした。人差指と中指に駒をはさんで、将棋盤面にピシっと打ち付ける所作は見事でした。「指も美しい」と、女流棋士からも絶賛されました。では、アマチュアの手つきはどうでしょうか。将棋を題材とするドラマに「将棋指」役で出演する俳優には、アマチュの方が多いので致し方ないのでしょうが、ドラマの中で手つきが決まっているのをあまり見たことがありません。ただ単に駒を移動させているだけというのが多いようです。これでは棋士や将棋に対する敬意が湧くことがないでしょう。この一事をもって、腕前の強弱までが推測されるのです。将棋駒を「移動させればいい」というものではなく、指す手つきの中にその一手の重みと、その人の将棋にかけた思いが、凝縮しているのではないでしょうか。
加藤一二三九段の指し方は迫力満点で、六寸の厚さの将棋盤にヒビが入る程でした。一方、升田幸三名人は、夜、自宅で将棋の研究をする時に、家族がその音に煩わされないよう、音の出ない布製の将棋盤を使ったということです。ヒゲの先生の豪放なイメ-ジとは対照的な、まことにやさしい心もお持ちでした。

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