yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

屠竜の技

2017-04-28 06:16:13 | 文学
「屠竜の技(とりょうのわざ)」は、「荘子、列御寇篇」にある話です。列子(列御寇)は、中国、春秋時代の人で荘子の先輩といわれます。
「屠竜の技」とは、「苦労して竜を殺す技を学んだが、竜が実在しないので、その技を用いることがなかった」という故事から、「学んでも実際に役立たない技術」をいいます。
しかし、東京都消防局のハイパー・レスキュー隊は「屠竜の技」を標語にしています。その
心は、「めったに起きないような災害を竜にたとえ、災害が起きた時に一発で的確に対応できる技を磨く」だそうです。
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哲学

2017-04-25 05:50:00 | 文学
カントは、「自分の哲学」を持ってはいけないというようなことを書きました。自分の哲学
を持つと、それに拘束されて自由な生き方ができなくなることを懸念したようです。

 一方、東大教授で哲学者の野矢茂樹先生は、哲学について次のように述べています。
「たまたま立ちつくしたところから始め、茫然と立ち止まったところで一休みするというのも、哲学のふつうのあり方なのである。」
哲学とは人があたりまえのようにやってきたことの意味を考え、堀り下げ、人として生きるために本当に大事なことを探すこと。ただし、誰も一つの場所からそれを見通すことはできない。だから扉だらけの家のように、どこから入ってどこから出てもいい、そんな風通しのよさが哲学には必要だ。哲学者の「語りえぬものを語る」から。 

鷲田清一  朝日新聞 「折々のことば」より
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烏衣巷 劉禹錫

2017-04-22 06:15:23 | 文学
中唐の詩人 劉禹錫(りゅう うしゃく)の七言絶句「烏衣巷」を紹介します。
  烏衣巷(ういこう)
朱雀橋辺 野草花
烏衣巷口 夕陽斜
旧時 王謝堂前燕
飛入尋常 百姓家

朱雀橋辺 野草ノ花
烏衣巷口 夕陽斜ナリ
旧時 王謝堂前ノ燕
飛ンデ尋常百姓ノ家ニ入ル

「訳」
 朱雀橋のほとりには、野の草々が花を咲かせ、
烏衣巷の入口には夕陽が斜めにさしている。
昔は、あの王氏や謝氏の堂前に巣をかけた燕が、今では、ありふれた庶民の家の軒に飛びこんでゆく。

 「鑑賞」
劉禹錫は、柳宗元や白居易とも親交のあった中唐の詩人。烏衣巷は、建康にあった古い街で、かつては王氏、謝氏などの大貴族の邸が建ち並んでいた。起句と承句は対句。燕の姿に栄枯盛衰の理を見る非凡な着想の作。

 石川忠久 「NHK漢詩紀行 二」 日本放送出版協会
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将棋 藤井聡太四段 13連勝達成

2017-04-19 06:06:45 | 将棋
中学生で将棋のプロ棋士になった藤井聡太四段がデビューしてから、13連勝という記録を達成しました。(4月17日)これは、1997年に現・近藤正和六段が10連勝した記録を20年振りに塗り替えた快挙です。羽生善治三冠も、渡部明竜王でも6連勝まででした。
さて、将棋における連勝記録を調べてみましたら、下記の通でしたり。

   1位 神谷広志    28  (1986~1987)
   2位 丸山忠久    24  (1994)
   3位 塚田泰明    22  (1986)
   4位 羽生善治    22  (1992)

 神谷八段と藤井四段の記録は、見事なものだと思います。藤井四段は、先輩プロにも「化物」などと言われました。

 さて、28連勝の凄い所は下記のようにも考えられます。
仮に、神谷八段の勝率が0.5としますと(1/0.5)の28乗は、
 2.68億となります。すなわち、2.68億回に1度の確率で起きるような稀なことになります。

 ちなみに、囲碁の世界にも33連勝(趙治勲、1973)や29連勝(坂田栄男、1964)があります。

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源平交替説

2017-04-16 06:08:22 | 歴史
源氏と平氏が替わる替わるに政権を取るという説があります。

平清盛  (平氏)
源頼朝  (源氏、清和源氏)
北条氏政 (平氏)
足利尊氏 (源氏 清和源氏)
織田信長 (平氏)
明智光秀 (源氏 土岐源氏の支流)
豊臣秀吉 (平氏)
徳川家康 (源氏)

見事に源平が交替しています。武家の棟梁、征夷大将軍は、平氏または、源氏という通説もあり、時の権力者がこれを利用して、権力を正当化したともいわれます。

第56代、清和天皇の子孫といわれる人は、大変多いように思われます。もっとも、源氏には、清和源氏の他に、嵯峨源氏、宇多源氏、村上源氏など、色々あります。
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豊臣秀頼の娘 天秀尼

2017-04-13 06:15:53 | 歴史
鎌倉にある古刹、東慶寺は江戸時代から「縁切り寺」として有名です。この寺の第20世住職となったのが、天秀尼です。 大坂夏の陣で大坂城は落城し、豊臣家は滅びました。豊臣秀頼には男女二人の遺児があり、男児は処刑されましたが、女児は助けられ、千姫(秀頼の妻)の養女となり尼になりました。その人が天秀尼です。権現様(徳川家康、千姫の祖父)のお声がかりでしたので厚く遇されたということです。天秀尼は縁切り寺の住職となり、不幸に見舞われた女性の救済に尽力しました。
 話では水戸光圀公(水戸黄門)は、日本全国を漫遊したことになっていますが、実際にはそうではなかったようです。鎌倉の東慶寺は、水戸光圀公が訪問したことのある数少ない場所の一つでした。
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子夜呉歌 李白

2017-04-10 06:12:00 | 文学
詩仙、李白の有名な五言古詩「子夜呉歌」を紹介します。
  子夜呉歌(しやごか)
長安一片月 
万戸擣衣声
秋風吹不尽
総是玉関情
何日平胡虜
良人罷遠征

長安一片ノ月 
万戸衣ヲ擣(う)ツノ声
秋風吹イテ尽キズ
総テ是レ玉関ノ情
何レノ日ニカ胡虜ヲ平ラゲテ
良人遠征ヲ罷メン


「訳」

 都長安の街に光を注ぐ満月ひとつ。都じゅうの家々から、衣を打つ音が聞こえ、秋風はやむことなく吹きつける。なにもかもが、玉門関にいる夫をしのぶ妻の心をかきたてる。いつになったら胡虜(えびす)を討伐して、夫は遠い戦地
 から帰ってくることだろう。

 「鑑賞」
「子夜歌」は、もともと、南方(呉の国)の民歌で、江南の明るい風土の中での、愛や失恋を甘美なムードでうたったもの。それを李白は、舞台を北の都、長安に移し、民歌の活力をとりいれて、新しい閨怨詩に作り上げている。月(視覚)と風(触覚)と砧(聴覚)による秋のものさびしさの底に、もとの「子夜歌」のもつ、なまめかしさ、やるせなさがひそんでいる。その息づかいが「いつになったら、あなたはあの北辺の玉門関(甘粛省 敦煌の西北)から、、、
ああ、早く帰ってきて」という終わりの二句に流露する。口ずさめばおのずからその情にひきこまれる。李白ならではの名篇といえます。

   石川忠久 「NHK漢詩紀行」 日本放送出版協会

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「入都式」という言葉に違和感

2017-04-07 06:13:05 | 文化
去る4月3日(月曜)に各地で行われた入社式の模様が放送されました。東京都では「入都式」が行われたとあり、その言葉に違和感をおぼえました。これは、「平成19年度東京都職員入都式」のことだそうで、小池都知事が祝辞を述べています。
 「入都」とは東京都の中に移動してくるという意味であり、東京都が職員を迎えるという意味をこの言葉にもたせることには、無理があるように思います。他の道府県において、入県式や入府式や入道式という言葉は使われていないと思います。ちなみに、千葉県庁では、「新規採用辞令交付式」としているそうで、名称と内容が明快に一致していると思いました。
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プロ棋士(将棋)の扇子

2017-04-04 06:07:02 | 将棋
将棋や囲碁のプロ棋士はタイトルを取った時などの節目に、扇子に揮毫した物を作ります。揮毫する言葉には棋士本人の個性が現れます。棋士が扇子に書いた言葉の一部を次に紹介します。

  一期初心     佐藤天彦 名人
  一歩(ぷ)千金  渡辺明  竜王
  大樹深根     郷田真隆 王将
  天衣無縫     佐藤康光 元名人
  清風徐来     中原誠  十六世名人

「天衣無縫(てんいむほう)」の意味は、天人の衣服には人工の縫い目などの跡がないことから、転じて詩歌・文章に技巧の跡が目立たず、ごく自然にでき上がっていて、しかも完全で美しいこと。佐藤康光氏の棋風の一端を表しているかも知れません。
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元号

2017-04-01 06:29:25 | 歴史
平成の現在、元号は日本独特の制度です。元号は「一世一元の制」に基づいており、明治時代に制定された法律によると、天皇が在位中は変えないことになっています。元号は大化から始まり平成まで231を数えています。

元号は、時代を代表する歴史上の事実と結びついている例が多々あります。容易に思いつく例を以下に挙げました。

大化の改新(646年)
 承久の乱(1221)
 建武の中興(1334~1336)
 応仁の乱(1467~1477)
 元和偃武(1615)
 慶安の変(1651)
 明暦の大火(1657)
 享保の改革(1716~1745)
 寛政の改革(1787~1793)
 天明の飢饉(1780代)
 天保の改革(1841~1843)
安政の大獄(1858~1859)
文久の政変(1883)
明治維新
大正デモクラシー

元号が昭和から平成に変わった時には、他に「修文」や「正化」が候補となったそうです。元号は、西暦に比べると普遍性に劣るので、「西暦に統一すべきである」という意見もありますが、日本独自の大切な文化であり、愛着をおぼえます。
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