yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

怒らず、焦らず、諦めず

2007-05-31 19:04:30 | 人生
   美空ひばりさんが闘病中に語っていた言葉だそうです。
「怒らず、焦らず、諦めず」
日常生活においても胆に命じておくといい言葉だと思います。
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史記と司馬遷

2007-05-21 12:50:06 | 歴史
   史記を著述した司馬遷の生没年は正確にはわかっていませんが、紀元前145年頃から紀元前87年頃の人と言われています。史記の完成は没年の数年前と推定されています。
中国の古代(黄帝などの先帝時代)から、夏・殷・周の三代、秦、漢楚抗争期を経て前漢の武帝までの歴史を著述した通史です。本紀と列伝を中心とする紀伝体の形式は後世の史書に受け継がれました。
正確な記述   史記に書いてある商王朝は伝説上の話と考えられていましたが、 殷嘘から発掘された甲骨文からその存在が証明されました。
史書の筆頭   構成、形式、内容から、史書の筆頭とされています。
文学への影響  後世の文学に与えた影響が極めて大きいでした。
故事、名言の宝庫 李将軍列伝にある「桃李不言下自成蹊」は成蹊の謂われを述べています。
「天道是邪非邪」(天道は是か非か?)と 正義が必ずしも報われないことを自身の過酷な運命と共に提起しています。
文字の国 中国で紀元前に書かれた史書の一つではありますが、司馬遷の筆による、古今東西を網羅した渾身の大作ではないかと思われます。
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古賀謹一郎

2007-05-17 07:50:54 | 歴史
   古賀謹一郎(1816-1884)は名門の儒者であり洋学者。
ペリー来航後、圧倒的な攘夷の風潮の中で敢然として開国を主張、貿易による
富国強兵策を提言しました。また東京大学の前身である洋学校蕃書調所を創設し、万民に開かれた近代的経営を行いました。維新後、新政府から大学大博士として召されましたが、薩長政府に仕える事を潔しとせず、一市井人として生涯を終えました。
小野寺龍太著「古賀謹一郎 万民の為、有益の芸事御開」 より 
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名君 保科正之

2007-05-12 06:55:03 | 歴史

   保科正之.は徳川2代将軍秀忠の四男ですが、父秀忠が正室達子の癇気を恐れたため、庶子として信濃高遠で育てられました。異母兄家光に厚く信頼され、臨終に当たって4代将軍家綱の後見を頼まれました。(託孤の遺命)3代将軍家光と4代家綱の時代には事実上の副将軍でした。會津22万石を領し徳川家のご家門となりました(家格は御三家水戸家に次ぐ)。そして将軍への恩を忘れないことを子孫に伝えました。<o:p></o:p>

正之が定めた家訓にはこう書いてあります。<o:p></o:p>

 家訓(かきん)第一条、大君の儀(将軍家のこと)、一心大切、可存忠勤、不可存列国之例自処、若懐二心則我子孫、面面決而不可従。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

<o:p>大君にたいし、一心大切、忠勤に励むこと。もし二心を懐くような</o:p>

<o:p>ことがあれば、我が子孫ではない。面々、決して従ってはならない。という意味です。</o:p>

<o:p></o:p> 

正之の主な業績は次のようなものです。<o:p></o:p>

1.末期養子の禁の緩和、大名人質制度の廃止、殉死の禁止<o:p></o:p>

2.玉川上水の開削<o:p></o:p>

3.明暦の大火直後の迅速な復興、天守閣の再建見送り<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

また、會津藩主として下記のような施策を実施しました<o:p></o:p>

1.幕府に先んじて殉死を禁止<o:p></o:p>

2.社倉制度の創設(以後、會津藩では飢饉の年にも餓死者が出ませんでした。)<o:p></o:p>

3.間引きの禁止<o:p></o:p>

4.日本最初の国民年金制度の創設<o:p></o:p>

5.救急医療制度の創設           参考 中村彰彦 「名君の碑」<o:p></o:p>

これらはすべて、我が国における特筆すべき仁政として高く評価される事績です。(文治政治の施行)<o:p></o:p>

後年、寛政の改革を行った松平定信は、折々の政局で「正之公ならば、如何になされるであろうか」と自問したとのことです。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

會津松平家の系譜<o:p></o:p>

正之(初代)、正経、正容、容定、容頌、容住、容衆、容敬、容保(9代)、喜徳、容大、保男、保定、保久(14代、現当主)<o:p></o:p>

なお、容保の孫、勢津子は秩父宮妃殿下、同じく容保の曾孫恒孝は徳川宗家の現当主です。<o:p></o:p>

下図は會津松平家 河骨タイプの三つ葉葵紋  です。

                                           <o:p></o:p>

                           <v:shapetype id=_x0000_t75 stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"> <v:stroke joinstyle="miter"></v:stroke><v:formulas><v:f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></v:f><v:f eqn="sum @0 1 0"></v:f><v:f eqn="sum 0 0 @1"></v:f><v:f eqn="prod @2 1 2"></v:f><v:f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></v:f><v:f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></v:f><v:f eqn="sum @0 0 1"></v:f><v:f eqn="prod @6 1 2"></v:f><v:f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></v:f><v:f eqn="sum @8 21600 0"></v:f><v:f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></v:f><v:f eqn="sum @10 21600 0"></v:f></v:formulas><v:path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></v:path><o:lock aspectratio="t" v:ext="edit"></o:lock></v:shapetype><v:shape id=_x0000_i1025 style="WIDTH: 111.75pt; HEIGHT: 106.5pt" type="#_x0000_t75"><v:imagedata o:title="aidu" src="file:///C:DOCUME~1OwnerLOCALS~1Tempmsohtml11clip_image001.png"></v:imagedata></v:shape><o:p></o:p>

                                                                                           <o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

                         <o:p></o:p>

                                                       <o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

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静かに健やかに遠くまで

2007-05-10 16:38:31 | 文学
  城山三郎の本「静かに健やかに遠くまで」を読みました。
イタリアの経済学者パレートがモットーとした言葉が紹介されています。
「静かに行く者は健やかに行く
 健やかに行く者は遠くまで行く。」
原語では
Chi va piano va sano
Chi va sano va lontano
 
また、「四不の教え」とというのがありました。
「激さず、騒がず、競わず、従わず」
含蓄のある箴言だと思います。
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数独、正解盤面の数 その2

2007-05-06 12:28:03 | 文学
  以前、数独の正解盤面の数は約3000万と書きました。調べて見ると
イギリスのシェフィールド大学のDr. A F Javis が2006年1月にこれに関する論文を発表していました。それによると正解盤面の数は
6,670,903,752,021,072,936,960通り という22桁の整数です。
東洋流に言うと約67垓 (がい)です。垓は10の20乗を表す漢字で、万、億、兆、京、垓の順になっています。東京工業大学では、67垓のすべての盤面を出力してインデックス(番号)を付ける研究をしてネット上に公開しています。
シェフィールド大学でも東工大でも、基礎理論に基づいて、最終的にはコンピューターで正解盤面を探索するという膨大な作業をしています。東工大ではスーパーコンピューターを活用していました。
 数独はパズルの一つに過ぎませんが、奥の深い内容を含んでいて世界の大学において学問上の研究テーマになっています。
 正解盤面の数を実用時間内に求める研究過程で数独の本質が解明でき、かつ問題作成方法と効率的な解法の発見に役立つことになります。
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秋月悌次郎 その2

2007-05-05 20:38:02 | 発見
   秋月悌次郎は自分を西門豹になぞらえていましたが、ある日「韓非子」に「西門豹の性は急也、ゆえに韋(い)を佩びて己を緩くす」とあるのを読み、それ以後は常に韋を懐中か袖の袂に入れておき、激怒しそうになるとその韋を撫でて心を静める習慣をつけました。韋はなめし皮の紐でやわらかく緩やかな物の象徴です。悌次郎の号「韋軒」の謂われでもありましょう。激動の時代を生きた悌次郎ですが、生涯、他人と激しく争うことがなかったと言われています。中村彰彦著「落花は枝に還らずとも」の中にありました。
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牡丹園

2007-05-01 08:54:05 | 発見
 茂原牡丹園(千葉)です。古い民家に牡丹が咲きそろいました。
農家の母屋は享保年間(1730) 長屋門は天保8年(1837)の建造で国の有形文化財に登録されています。250種2500株の牡丹が植えられています。
    
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