yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

くの一

2019-04-28 06:37:59 | 歴史
「くの一」とは女という漢字を分解して読んだもので、女性のこと、または女忍者を指します。例えば、ドラマの水戸黄門に出ている「かげろう、お銀」(演・ 由美かおる)などです。
「梟の城」(司馬遼太郎)「くの一忍法帳」(山田風太郎)「真田太平記」(池波正太郎)などの書籍の影響で、現代人には「くの一」は、よく知られていますが、明治以前には意味を知る人が少ない存在でした。江戸時代以前は、ほとんど誰もが知らない存在であったと聞き、驚きました。
 ただひとつ「万川集解(まんせんしゅうかい)」という系統の忍術書に、「久の一」という表現があり、女忍者のことが記されています。これ以外には、くの一の資料が無いと思われていました。ところが、尾張徳川家の蔵書の中に尾張藩士「安井某」が書いた「趨庭雑話(すうていざつわ)」という本があり、尾張藩主の徳川宗春公が「くノ一」を使ったと見られる記述があるそうです。歴史学者は古文書を読み解いて、新たな知見を得ることに醍醐味を感じるそうです。文書の発見による史実の解明には不肖も興味が尽きません。

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唱歌 花

2019-04-25 06:40:56 | 文学
明治時代からある有名な唱歌「花」に意外な出典がありました。作詞、武島羽衣、作曲、瀧廉太郎で、明治33年(1900年)に歌曲集「四季」の第1曲におさめられました。

一、 春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂の滴も花とちる
ながめを何にたとふべき

二、 見づやあけぼの露あびて
われにもの言ふ桜木を
見ずや夕ぐれ手をのべて
われさしまねく青柳を

三、 錦織りなす長堤に
暮るれば上るおぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとふべき
 
一番の歌詞には出典があります。「源氏物語 胡蝶の巻」、六条院の宴のところに下記のようにあります。

「春のうららにさして行く舟は棹のしづくも花と散りける」

また、三番の歌詞にも出典があります。南宋の詩人、蘇東坡の「春夜」です。

春宵一刻直(あたい)千金  花に清香あり 月に陰有り、
歌管楼台 声細細  鞦韆院落 夜沈沈

          日本文学大系 「源氏物語 二」岩波書店




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令和 考

2019-04-22 06:12:09 | 文学
新元号が令和と発表されましたが、初めて国書(万葉集)に出典があるとのこと、語感もさわやかなよい元号が決まり、お慶び申し上げます。さて、「令和」の読み方「れいわ」は、「れ」にアクセントがあります。アナウンサ-や菅官房長官の発音では「れ」にアクセントがあり、これが多数派のようです。しかし、若い人の中には、「れいわ」を平板に発音する人がいます。これは、多分、少数派でしょう。不肖が違和感を覚えるのは「令」という漢字の表記です。令という字は「八」の形に似た「ひとがしら」という冠の下に、人がうずくまる形の字があります。この中には、横棒と縦棒があります。パソコン内にある字体を見ますと、
A. 上が横棒、下も縦棒:令が主流です。
B. 上が点、下も点:令もあります。
C. 上が点、下が縦棒: (写真 下)
C の字体は、パソコン内には存在せず、一般的ではないようです。菅官房長官は、書家による達筆な文字を掲げましたが、パソコン内に見つからない字体だと、困惑する国民もいるように思います。



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臣下を信じる 備中松山藩 板倉勝清公

2019-04-19 06:21:58 | 歴史
幕末の備中松山藩において、藩主・板倉勝清公は、農民出身の陽明学者の山田方谷を登用し、藩政改革にあたらせました。その改革は功を奏しました。山田方谷の改革が成功したのは、陽明学者としての人格も、すぐれた方谷自身の力も大きかったのですが、農民出身の方谷を執政にとりたて、これを信じて任せつづけた藩主・板倉勝清(松平定信の孫)の不動の心も大きいのです。改革の成否はやはり人にあります。「賢ヲ任ズルニ弐(うたが)フコト勿レ」は「平成」の出典である「書経・大禹謨(だいうぼ)」の言葉です。名君とされる大名は皆これを心に刻んで改革を任せた者を信じ、門閥家臣の不満が噴出しても、これを守り抜いて功をなしましたが、改革者を途中で切ることなく、初心を貫く覚悟が必要です。

  磯田道史 「日本史の探偵手帳」文藝春秋
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挨拶

2019-04-16 06:18:16 | 文学
挨拶とは、普通、人と会ったり、別れたりするとき、儀礼的に取り交わす言葉や動作を指します。また、儀式・会合などで祝意や謝意、親愛の気持ち、あるいは告示などを述べることです。
一見、日常的でさりげない行為でもありますが、気持ちの良い交際を築く上で
重要な意味があるようです。「挨拶の一つもない」というように、使われる場合には、失礼な態度をたしなめる意味が含まれます。
 禅家では、師匠と門下が問答を交して相手の悟りの深浅を試みることを「挨拶」というそうですが、高が「挨拶」といっても禅家の修行においては油断がならない事のようです。

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一日の長

2019-04-13 06:46:49 | 文学
「一日の長」(いちじつのちょう)は、一般的には、経験・知識・技能などにおいて、他の人より少しすぐれていることを意味します。もともと、「論語・先進」にある言葉です。

子曰、「以吾一日長乎爾、無吾以也」
 吾ガ一日モ爾(なんじ)ヨリ長ジタルヲ以(もっ)テ 吾ヲ以テスルコトナカレ

原文「論語」における孔子の趣旨は、一般的に言われている解釈とは少し異なります。すなわち、「私がお前たちより少し年上だからといって、私に遠慮することはないのだよ」と弟子を諭しています。

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ホ-キング博士

2019-04-10 06:57:18 | 文化
天才物理学者、故・ホ-キング博士(1942~2018)の言葉を紹介します。
質問「子ども時代の夢は何でしたか?その夢は叶いましたか?」に対して。
次のように答えました。「子どもの頃の夢は、偉大な科学者になることでした。でも、学校時代の成績はたいしたことなく、クラスの半分より上の成績をとったこともありません。勉強のやり方も大雑把で字も汚かった。それでも、学校
では良い友だちに恵まれました。友だちとはなんでも話ができたし、とくに宇宙の起源について語り合ったものです。あれが、私の夢の始まりでした。夢が叶ったことは、とても幸運なことだと思っています。」
 大天才である、アインシュタインも、確か、学校の成績は、たいしたことがなかったと聞いています。興味を抱いたら、究極まで追求した事が大発見につながったのかもしれませんが、なによりも天才のみが持つ深淵な洞察力は奇跡のように思われます。

 スティ-ブン・ホ-キング 「ビッグ・クエスチョン」NHK出版

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AI社会の脅威

2019-04-07 06:19:12 | 文化
最近、AI(人工知能、Artificial Intelligence)の発展は著しく、AIが、人知を上回る時、すなわち、シンギュラリティ-の到来(技術的特異点、2045年問題)も予想されるようになりました。
もし、こうした事態になるとAIが社会への脅威となることが現実味を帯びてきます。
AIが悪意を持つ者により、運用される恐れもあります。(AI社会におけるAIの負の側面)
「強力になりつつあるAIの脅威がどのようなものかを予測して、対策を考えることも、現在の重要課題ではないでしょうか。

強力なAIによる脅威とは、例えば、下記などが考えられます。

 ・ AIに仕事を奪われる結果、失業者が増える恐れがある。
 ・ 囲碁、将棋ではAIが人類よりも強くなった。(人類の存続における脅威の一つとはいえませんが)
 ・ 犯罪者が、通貨を窃盗している。サイバ-犯罪が巧妙になり、被害が深刻になる。
 ・ 経済活動上の脅威がある。(例えば、株式・証券の売買などで市場を攪乱する)
 ・ 軍事、防衛、政治でも、人類を上まわる恐れがある
 ・ AIをテロ組織や犯罪集団が悪用する恐れがある。
 ・最終的には、AIが人類を支配する恐れがある。

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斉安の城楼に題す 杜牧

2019-04-04 06:10:07 | 文学
晩唐の詩人、杜牧の七言絶句を紹介します。

 題斉安城楼
鳴軋江楼角一声
微陽瀲瀲落寒汀
不用憑欄苦廻首
故郷七十五長亭

       斉安ノ城楼ニ題ス
鳴軋(おあつ)タリ 江楼ノ角(かく)一声
微陽瀲瀲(れんれん)トシテ寒汀(かんてい)ニ落ツ
欄ニ憑(よ)リテ苦(ねんごろ)ニ 廻首(かいしゅ)スルヲ用イズ
故郷 七十五 長亭

「訳」
長江を臨む高楼から悲しげな角笛の音が響く。寒々しい微かな夕陽がキラキラと汀に揺れている。欄干により首を廻らせてしげしげと眺めるのはよそう。故郷の長安は、ここから七十五の宿駅を隔てているのだから。

「鑑賞」
風流才子の杜牧も辺地にあって意気が揚がらない様子です。官僚生活には浮き沈みがあります。唐代の宿駅間の距離は30里といわれます。75長亭は2250里、1260キロに相当します。日本ですと、東京から長崎、佐賀ですから遙かに遠いのです。なお斉安は黄州(湖北州・黄岡市)を言います。
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門前雀羅

2019-04-01 06:27:48 | 文学
「門前雀羅(もんぜんじゃくら)」について説明します。
これは「史記 汲黯鄭当時伝(きゅうあんていとうじでん)賛」にある言葉で、
「門前雀羅を設(し)ク可シ」とあります。

意味は、以前のような人気や威勢がなくなり、家を訪れる人もなく、門前には
雀が群をなして遊び、羅を張って捕らえたらよいと思われるほどの寂れようであること。

用例: 全盛時には、訪問客や陳情者がひきもきらずに詰めかけた彼の家も、彼が失脚してからは門前雀羅を張るような淋しさだ。

反対語  門前成市(もんぜんせいし)・ 門前市(いち)の如し 

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