yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

薫風通ふ春五月

2024-05-07 06:29:28 | 文学
宇田博氏は、今の時期にぴったりの名句「薫風通う春五月」とよくぞ言ってくれました。
 「薫風通ふ春五月」は旅順高等学校の最初の寮歌です。作詞は「北帰行」も作った故・宇田博氏です。今の季節に合う題名です。「紅萌ゆる丘の花」や「春爛漫の花の色」などと共通する伝統の寮歌の気分が感じられます。

 薫風通ふ春五月

 父祖奮戦の地に立てば
 肉弾の跡 草萌えて
 楊柳岸に陰淡く
 渤海湾の波青し
 旅順の海に船をやり
すずろに夢の櫓を漕げば
異郷の空に日が暮れて
陰茫々の海遠く
おお故郷の宵の星
異郷の日  (以下略)

戦時下らしい歌詞です。旅順高等学校を去った自由人、宇田氏は、この後、東京に帰り、東大文学部を卒業して東京放送に勤務し、1995年に73歳で永眠しました。葬儀には「北帰行」と「薫風通ふ春五月」が、くり返し演奏されたそうです。
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天道 是か非か

2024-05-04 05:54:58 | 文学
この言葉は、司馬遷の「史記 伯夷列伝」にあります。近頃、凄惨な事件が報道されるにつけ、果たして天道はあるのかと、不肖も疑問を覚えます。

「意味」 
   この世の秩序や運命は果たして正しい者に味方しているのか。この世には本当に正しい道理があるのか。「天道」は人間をつかさどる人力を超えた宿命。宇宙を支配する力。「是か非か」は、正しいのか、まちがっているのかということ。運命に対する基本的な疑問を提示した句です。

 「原文」
武王已平二殷乱一、天下宗レ周。而伯夷叔斉恥レ之、義不レ食二周粟一、隠二於首陽山一、采レ薇而食レ之。・・・・・・遂餓二死於首陽山一。由レ此観レ之、怨邪非邪。或曰、天道無レ親、常与二善人一。若二伯夷叔斉一、可レ謂二善人一者、非邪。・・・・・・行不レ由レ径、非二公正一不レ発レ憤、而遇二禍災一者、不レ可レ勝レ数也。余甚惑焉。儻所謂天道是邪非邪。


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 山吹 千代田 太田道灌

2024-05-01 06:09:49 | 歴史
太田道灌(1432-1486)は室町時後期に関東地方で活躍した武将で、武蔵守護代・扇谷上杉家の家裁です。摂津源氏の流れを汲む太田氏で諱は資長(すけなが)。太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍しました。太田氏は江戸城を築城し、武将としても学者としても一流という定評がありました。
ある時、道灌が城外に出ていましたが急な雨に見舞われました。そこで雨具の簔を借りようと、一軒の農家を訪れました。「簔を貸してくれ」と軒先で告げると、奧から少女が申し訳なさそうに山吹の花を道灌の前にそっと差し出して、何も言わず、引っ込んでしまいました。道灌は訳がわからず、また腹立たしくもあり、雨に打たれながら城に帰り、この話を家臣にしました。するとその家臣は、
「それは、“七重八重花は咲けども実の一つだに無きぞ悲しき”という有名な和歌にかけ、申し訳ありませんが家が貧しくて簔(実の)一つさえ持ち合わせがありませんということを暗に申し上げたのでしょう。」と答えました

      これを聞いた道灌は、あの少女の言わんとしたことを理解できずに腹を立てた自分の未熟さを大いに恥じ、以来和歌の勉強に一層励んだそうです。
なお、太田道灌(どうかん)が江戸城築城(1457)の時、そこには千代田・宝田・祝田(いわいだ)の3村がありました。後に江戸城を千代田城とも言いましたが、千代田には「千年もの間、田が栄える」というめでたい意味があります。



     



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