yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

捨てない生き方

2022-04-28 06:20:26 | 文化
近頃、一般的には、「断、捨、離」を善とする風潮がありますが、作家の
五木寛之氏は、「捨てない生きかた」という著書の中で、物を「捨てない人生」の意義を説いておられ、共感するところが多々ありました。五木氏は次のように書いています。

ぼくはひねくれた人間です。流行に逆らうことにひそかな生き甲斐を感じてきたようなところがあります。表面的には時流に追従しているふりをして、心のなかではそれを演じている自分を面白がっている、そんなねじれた子供でした。
いまもその性格のねじれは、改まるどころか年とともに強まってきたらしい。
「不要不急」という表現に、おや、と思うのです。
必要を満たすだけで、人は生きていけるのでしょうか。
そもそもこの地球において、私たち人間こそが「不要不急」な存在なのではないか。
しかし、不要不急な人間にも生きる意味があるとすれば、不要不急なモノたちにも断捨離されない理由があるはずです。
・・・・・中略・・・・・

「捨てない生き方」も悪くない。
手に入れるのに苦労したとしても、たやすく手に入ったとしても、いまそこにあるモノには、手に入れた時の感情と風景、そして数年、数十年とともに時を過ごしてきた(記憶)が宿っています。
捨てるな、とはけっして言いません。しかし、モノをどうしても捨てられない生き方ということには、素敵な道理がちゃんとあるということを知っておいていただきたいのです。

また氏は、テレビで記者のインタビュ-に応えて次のような話をされました。

この中に袋が入っているんですが、黒いこう米粒みたいなものが入っています。これ、私が非常に親しくしていたある学者の方が、インドの「祇園精舎」の発掘を何年もおやりになっていてね。その発掘現場で、なんかズボンの裾に入り込んできて帰国して洋服をハンガ-に吊るそうと思ったらバラバラこぼれてきたっていう。それを分けてくださったんですけれども。2500年くらい前の米だっていうんですよ。一粒食べれば10年寿命が延びる、なんていうご利益があるかもしれないけれど。いずれにしても「祇園精舎」ってものがあった頃にその時代の人達が調理をして、あるいはストックしていたものが、地中に埋まって今こう出てきたっていうね。ロマンがあってね、面白いんですよ。その頃の人のことを思い出したり、自分がその時の人間だったらどうだったんだろうなって考えたりね、いろんなことがあってね。

不肖も、もし祇園精舎の米を入手できたら大事にするだろうと思いました。

五木寛之「捨てない生き方」マガジンハウス
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剛毅木訥 仁に近し

2022-04-25 06:21:25 | 文学
儒教では仁を大切にしています。仁者、仁術、仁義、仁愛、仁慈、仁徳、仁政、仁代、仁世、仁王、仁恩、仁君、仁將、仁傑、仁道、仁侠という語もありますが、仁は他人をいつくしむ、思いやるという意味であり、中国と日本では、とても尊重されています。「論語」の中に、仁を述べた語句があります。

「剛毅木訥 仁に近し」は「論語・巻第七・子路第十三」二七にある言葉です。
例えば、奈良のある宮大工は次のように言うそうです。「頭が切れたり、器用な人より、ちょっと鈍感で誠実な人の方がよろしいですな。」器用な人は苦もなく先に進んでゆけるので、往々にして「本当のものをつかまないうちに作業を終えてしまう。反対に不器用な人は「とことんやらないと得心ができない」から、要所を疎かにせずに熟達すると。

また、次の言葉もあります。
子曰く「巧言令色 鮮矣(すくないかな)仁」は、「論語 巻第一 学而第一」 三にある言葉です。
先生はいわれた。「言葉上手と顔良しには、仁徳はほとんど無いものである。」
  
  鷲田清一 「折々のことば」朝日新聞
  金谷治 訳註 「論語」岩波文庫  



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大道廃れて仁義あり 老子 道徳経

2022-04-22 06:22:31 | 文学
老子が著したといわれる約5000字からなる道徳経にある文を紹介します。

 大道廃れて仁義有り
 知恵出でて、大偽有り
 六親和せずして、孝慈有り
 国家昏乱して、忠臣有り
 
 「訳」
 無為自然の大いなる道が廃れたので、仁義という概念が生まれた。
 悪知恵を持った者(儒者)が現れたので、人的な秩序や制度が生まれた。
 親兄弟や夫婦の仲が悪くなると孝行者の存在が目立つようになる。
 国家が乱れてくると忠臣の存在が目立つようになる。

「解説」
 老子の思想は「人の手を加えないで、何もせずにあるがままにまかせること」を理想とする「無為自然」の考え方でした。これは仁義を重んじる儒教の考え方とは異なります。「大道廃れて仁義有」では、「無為自然の生き方が廃れてしまったからこそ人為的な道徳が説かれるようになってしまった」として、仁義を否定する見解が述べられています。





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過香積寺  王維

2022-04-19 06:27:03 | 文学
初唐の自然詩人、詩仏ともいわれた王維の五言律詩を紹介します。香積寺は長安の南、終南山の山すそにある寺。王維が終南山に遊び、この寺をおとずれたときの作です。
 
      過香積寺

      不知香積寺 
      数里入雲峰
      古木無人逕
      深山何処鐘
      泉声咽危石
      日色冷青松
      薄暮空潭曲
      安禅制毒龍 

        「読み方」
香積寺ニ過(よぎ)ル

      知ラズ 香積寺(こうしゃくじ) 
      数里 雲峰ニ入ル
      古木 人逕(じんけい)無シ
      深山 何処(いずこ)ノ鐘ゾ
      泉声 危石ニ咽(むせ)ビ
      日色 青松ニ冷ヤカナリ
      薄暮 空潭(くうたん)ノ曲(くま)
      安禅 毒龍ヲ制ス

      「訳」

     ここが香積寺の霊域とは知らぬまま、私は数里の間、雲にそびえる峰の奥 へと分け入った。あたりには古木が生い茂るばかり、人の通う道もない。その深山の奥で、どこからか、鐘の音が聞こえてくる。泉の水は高い岩にあたって、むせぶような響きをたて、日光は松のみどりにさして、つめたい色をたたえる(いかにも静澄な、ゆかしい世界だ)。夕ぐれ、人気のない淵のほとりで、心静かに坐禅を組みつつ、諸人に害をなすおそろしい竜を、そしておのれの煩悩を封じこめている一人の僧の姿を、私は見た。

           前野直彬 注解 「唐詩選 上」岩波文庫
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尊称 雅号 通称 諡号 法号

2022-04-16 06:27:37 | 文学
それぞれの分野の第一人者を尊敬して周囲や後世の人々が名付けた
称号が尊号ではないでしょうか。例えば以下があります。

詩聖 杜甫
詩仙 李白
詩仏 王維
詩郎 杜牧   (不肖の愚案)
詩翁 白居易  (不肖の愚案)
詩徹 蘇軾   (不肖の具案)
大豪(将棋)   升田幸三
大豪(囲碁)   藤沢秀行
俳聖 芭蕉
楽聖 ベ-ト-ベン
音楽の父 バッハ
音楽の母 ヘンデル
ワルツの父 ヨハン・シュトラウス
角聖 常陸山谷右エ門
棋聖(将棋タイトル)藤井聡太
棋聖(囲碁タイトル)井山裕太
 碩学、泰斗  学問においておおいに優れた人
 画伯  画家の中でおおいに優れた人
 名人  技芸、工芸においておおいに優れた人、例えば、左甚五郎
     木村義雄、大山康晴も長い間このタイトルを保持しました。
     尊称の最たるもの
 神君  徳川家康

   通称、幼名という呼び名もあります。
    吉之助 西郷隆盛
    正介  大久保利通
    弥助  大山巌
    真吾  西郷從道
    仲五郎 東郷平八郎

     なお、薩摩下鍛冶屋町に生まれた上記の吉之助から仲五郎の5人は後に大活躍をしました。明治維新から日露戦争までこの町内で一手にやってのけたとも言われます。

    生前の行いを尊び、死後に贈られる称号を諡号(しごう)といいます。
     義公 徳川光圀
     裂公 徳川斉昭
    
    死後のおくり名(戒名・法名)を「法号」といいます。
     不識庵  上杉謙信
     機山   武田信玄

  雅号は、文人・学者・画家などが本名以外につける風雅な別名。
   漱石  夏目漱石
   子規  正岡子規
   蒼龍屈 河井継之助
   青淵  澁澤榮一
   鈍翁  益田孝(茶人、三井財閥の総帥)
   耳庵  松永安左エ門、「電力の鬼」ともいわれた
   病翁  小林虎三郎(長岡藩士、米百俵)
   容堂  幕末の土佐藩主、 山内豊重
   謹堂  幕末、昌平黌の教授、古賀謹一郎
   木堂  犬養毅(総理大臣)
   岳堂  石川忠久教授(漢詩)
   祐堂  松平容保(会津藩主) 






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天道 是か非か

2022-04-13 06:31:10 | 文学
この言葉は、司馬遷の「史記 伯夷列伝」にあります。近頃、凄惨な事件が報道されるにつけ、果たして天道はあるのかと、不肖も疑問を覚えます。

「意味」 
   この世の秩序や運命は果たして正しい者に味方しているのか。この世には本当に正しい道理があるのか。「天道」は人間をつかさどる人力を超えた宿命。宇宙を支配する力。「是か非か」は、正しいのか、まちがっているのかということ。運命に対する基本的な疑問を提示した句です。

 「原文」
武王已平二殷乱一、天下宗レ周。而伯夷叔斉恥レ之、義不レ食二周粟一、隠二於首陽山一、采レ薇而食レ之。・・・・・・遂餓二死於首陽山一。由レ此観レ之、怨邪非邪。或曰、天道無レ親、常与二善人一。若二伯夷叔斉一、可レ謂二善人一者、非邪。・・・・・・行不レ由レ径、非二公正一不レ発レ憤、而遇二禍災一者、不レ可レ勝レ数也。余甚惑焉。儻所謂天道是邪非邪。

「読み方」
武王(ぶおう)已(すで)に殷(いん)の乱を平らげ、天下周(しゅう)を宋(そう)とす。而(しか)るに伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)これを恥じて、義として周の粟(ぞく)を食らわず、首陽山(しゅようざん)に隠れ、薇(び)を采(と)りてこれを食らう。・・・・・・遂(つい)に首陽山に餓死す。これに由(よ)りてこれを観(み)るに、怨(うら)みたるか非か。或(あ)るひと曰(いわ)く、天道親(しん)無し、常に善人に与(くみ)す、と。伯夷・叔斉の若(ごと)きは善人と謂(い)うべき者か、非か。・・・・・・行くに径(こみち)に由(よ)らず、公正に非(あら)ざれば憤りを発せず、而して禍災(かさい)に遇(あ)える者、数うるに勝(た)うべからず。余甚だ惑う。儻(も)しくは所謂(いわゆる)天道是か非か。

「訳」
殷(いん)の紂王(ちゅうおう)の家臣だった周(しゅう)の武王(ぶおう)は、殷の紂王の無道を平らげて、天下は周を宗主とするようになった。伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)は、おのが君主を討った武王に仕えるのを恥とし、正しい道を守って、周の国の粟(あわ)を食べることを潔しとせず、首陽山(しゅようざん)に隠れて薇(わらび)を採り、これを食べていた。・・・・・・とうとう首陽山で餓死してしまった。このことから考えるに、かれらは怨(うら)みを抱いていたのであろうか、それともいだかなかったのであろうか。ある人はこう言っている。「天の道は決してえこひいきはしない。いつも善人の味方だ」と。伯夷・叔斉などは善人というべきではないか、そうではないのか。孔子(こうし)の弟子の中で、最も正しい人だった顔回(がんかい)は貧困のうちに若くして死んだ。盗跖(とうせき)という泥棒は悪事の限りを尽くしながら、世に横行した。今の世でも正しくない者が、一生富み栄えている。どんなときでも大道を歩み、正しいことにかかわることでなければ怒りを発することをしない者、そういう人が、災いに遭っている例は数えきれないくらいだ。わたし(司馬遷)はこうした現実の世にたいへん迷わずにはいられない。果たして天道というものは正しいものなのか、そうではないのか。

「解説」
司馬遷(しばせん)は友人李陵(りりょう)の事件に連座して宮刑(きゅうけい)に処せられた。その非条理な世に対する恨みが、このような感慨となって表れたものとも考えられます。
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135億年前の星

2022-04-10 06:29:13 | 科学
138億年以前にビッグバンがあって宇宙が誕生したといわれています。宇宙の年齢は138億年とされていました。しかし、宇宙創成から約3億年後に生成した銀河を観測できた、というニュ-スには驚きました。(下 写真)
この快挙は、NASAが開発したジェ-ムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡と、それを利用した国際研究チ-ムの成果であり、このチ-ムには日本からも東京大学の播金(はりかね)優一助教等が参加しているそうですが、どのように135億年前に生まれた星が観測できるのか不思議に思いました。
調べてみたら、光のドップラ-効果により、遠方から飛んで来る光ほど波長が長くなる、すなわち赤く見える赤方偏移という物理現象があります。ジェ-ムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡はハッブル宇宙望遠鏡の後継機であり、赤方偏移を精密に測定できることを特長とする野心的な望遠鏡だそうです。この観測により、ビッグバンが138億年前にあったこともほぼ確実になったのではないでしょうか。 


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偶成 朱熹

2022-04-07 06:25:17 | 文学
南宋の詩人で、哲学者「朱子」として著名な朱熹(しゅき)の「偶成」を紹介します。少年時代に師から教わりました。

  偶成

少年易老学難成
一寸光陰不可軽
未覚池塘春草夢
階前梧葉已秋風 
 
     「読み方」
少年老イ易ク 学成リ難シ
一寸ノ光陰 軽ンズベカラズ
未ダ覚メズ 池塘 春草ノ夢
階前梧葉 已(すで)ニ秋声 

      「訳」
    若い時代はうつろいやすく、学問というものはなかなか成就しない。
    それゆえ、ほんのちょっとした時間すらも、おろそかにしてはならない。
    池のほとりに春の草が萌え出して楽しい夢からいまださめきらないうちに、
    早くも庭先の梧桐(あおぎり)の葉を落とす秋が来たことに驚くのです。

         「鑑賞」
朱熹は南宋の詩人であるばかりでなく、哲学者として朱子の呼び名で有名であり、その学問、朱子学は後世に多大な影響をあたえました。この詩は、そうした学者の面目躍如たるもの。夢多い青少年期の努力いかんで、学問の成果も決まるのだから、刻苦勉励せよ、という「少年老い易く・・」の有名な起句・承句が一篇の主題。このお説教の詩を、春草、梧葉のしゃれた比喩が救っています。朱子らしい機知にとんだ詩です。

        石川忠久 「NHK 漢詩紀行」NHK出版

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無用の用

2022-04-05 06:47:58 | 文学
マス・メディアに無用の用に関する記事がありました。

「三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。其の無に當って、 車の用有り」

   「三十本の輻(や)が、車輪の中心(轂 こしき)に集まる。その何もない空間に車輪の有用性がある。」おなじように、土の器も、家の戸口や窓も、空いていることに意味がある。何ごとも物あっての利益(りやく)だが、その有用性の意味はこの何もないところにあると。人の心も同じ。

   小川環樹 訳註 「老子 上篇十一章」より

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子夜呉歌  李白

2022-04-02 06:27:33 | 文学
詩仙、李白の漢詩を紹介します。

  子夜呉歌

長安一片月
万戸擣衣声
秋風吹不尽
総是玉関情
何日平胡虜
良人罷遠征
 

    「読み方」
    長安 一片ノ月
万戸(ばんこ) 衣ヲ擣(う)ツノ声
秋風 吹ヒテ尽キズ
総(すべ)テ是(こ)レ 玉関ノ情
何(いず)レノ日ニカ胡虜ヲ平ラゲテ
良人(りょうじん) 遠征ヲ罷(や)メン

「訳」
都長安の街に光を注ぐ満月ひとつ
都じゅうの家々から、衣を打つ音が聞こえ、
秋風はやむことなく吹きつける。
なにもかもが、玉門関にいる夫をしのぶ妻の心をかきたてる。
いつになったら胡虜(えびす)どもを討伐して
夫は遠い戦地から帰ってくることだろう。


「鑑賞」

「子夜歌」は、もともと南方(呉の国)の民歌で、江南の明るい風土の中での、愛や失恋を甘美なム-ドでうたったもの。それを李白は、舞台を北の都長安に移し、民歌の活力をとり入れて、新しい閨怨詩に作り上げています。月(視覚)と風(触覚)と砧(聴覚)による秋のものさびしさの底に、もとの「子夜歌」のもつ、なまめかしさ、やるせなさがひそんでいます。その息づかいが、「いつになったら、あなたは北辺の玉門関(甘粛省敦煌の西北)から・・・早く帰ってきて・・・」という終わりの二句に流露します。口ずさめばおのずとその情にひきこまれる、李白ならではの名篇といえるでしょう。

          石川忠久「 NHK 漢詩紀行」 日本放送出版協会



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