yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

コンピュータも間違える

2016-02-27 05:10:41 | 科学
元・国立大学教授のT先生が雑誌に書かれた話です。研究所で実施した研究において、大型コンピュータを使って数値計算をしていた所、結果に疑問がありました。調べてみたら、下記の計算が正しく行われていなかったのが判明しました。
ln2=0

2の自然対数を正しく計算すると、その数値は、0.6931 のはずであり、その大型コンピュータでln2だけを計算すると0.6931と正しく計算します。
最後に気付いたのは、実際の計算においては、ln2ではなく、ln(1.8/0.9)だったことである。そこで今度はln(1.8/0.9)を計算させたところ、なんと0.0という信じられない出力が得らた。2と(1.8/0.9)はコンピュータで用いられる2進法表示で違いが生じるのである。2進法
は数値を1と0の組み合わせで表わし、たとえば10進法の2は10となるが、小数点以下の数
は、1/2,1/4、1/8、、、すなわち0.5、0.25、0.125、、、の組み合わせで表わされる。そのため、小数を含む計算の結果、2進法で10の数値が、1.11,,,1あるいは10.00,,,1となることがある。
要するに本来は切りの良い数字が1bit多いか少ないかというわずかな違いを生じるのである。
 我々が把握した間違いを、このコンピュータのメーカに連絡したところ、次のような事実が明かになった。
「倍制度計算で、1bit多いか少ない場合、2だけでなく、2の倍数、つまり2のn乗の自然対数は0になる!」このような特別な条件の場合であるため見逃されていたのだろうが、対数関数は三角関数などとならぶ基本的関数であり、間違いが生じるのはまことに驚くべきことである。
ちなみに、私も自分のパソコンでln2とln(1.8/0.9)を計算してみました。
(1)Excel では、 0.693147181      と9桁を正しく表示しました。
(2)Basic では  0.6931471805599453  と16桁を正しく表示しました。
問題ないことがわかりました。

宅間 菫(たくまただす)「コンピュータも間違える話」電気学会誌」Vol.136 No.2
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贈劉評事 賈島

2016-02-24 05:22:39 | 文学
中唐の詩人 賈島(かとう)の七言絶句です。

三月晦日 贈劉評事

三月正当三十日
風光別我苦吟身
共君今夜不須睡
未到暁鐘猶是春

三月晦(かい)日 劉評事ニ贈ル
三月 正ニ三十日ニ当タリ
風光 我ガ苦吟ノ身ニ別(わか)ル
君ト共ニ 今夜 睡ルコトヲ須(もち)イジ
未ダ暁鐘ニ到ラズンバ 猶オ是レ春

「訳」

 三月、ちょうど今日は三十日。春の風光は、苦吟するこの身に別れ去ってゆく。君とともに今夜は眠らずにすごそう。暁の鐘が鳴らないうちは、まだ春なのだから。

「鑑賞」
みずから「苦吟の身」と称しているように、賈島は徹底した苦吟型の詩人でした。彼は五言律詩」を作ったとき、第四句の「僧は敲く月下の門」について「「敲く」とすべきか「「推す」とすべきか、悩みながら道を歩くうち、文壇の大物で韓愈の行列にぶつかってしまいました。話を聞いた韓愈は即座に「敲く」のほうがいいと助言し、以後、賈島に注目するようになりました。成語「推敲」を生んだ名高い故事です。僧侶であった賈島は韓愈の知遇を得て還俗、地方役人となりますが、終生、一字一句にこだわり悩みぬいて、「二句三年にして得、一吟 双眼涙流る」と、苦心に苦心を重ねながら詩作をつづけました。李白、「一斗詩百編」と対称的です。
詩仙、李白と比べるのは酷ですが。

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守道有天知

2016-02-21 05:36:04 | 文学
テレビドラマ「大岡越前」を楽しんでいます。「大岡越前」と言えば加藤剛主演が定番ですが、最近の東山紀之も良いと思います。さて、南町奉行所のお白州正面に掲げてある額に「守道有天知」とあります。
「道ヲ守ラバ天ノ知ル有リ」と読むのでしょう。人として人たる道を守れば天が知るところとなって、幸福が巡って来るという意味です。名奉行・大岡越前守の座右の銘とも思われます。
 「道(タオ)の思想」は、古来より老子が説いていますが、人が倫(みち)を守るべきことは、昔も今も変わりません。テレビドラマ「大岡越前」で、大岡は当時の法(御定法)の範囲内で人情味のある裁定を下し、関係者全員が納得できるような結論を出します。さわやかで心温まる気持ちが残るのは、大岡忠相(ただすけ)の人情と人柄から来るものと思われます。
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放送の規制機関

2016-02-18 05:27:08 | 文化
電波を利用した放送は、情報伝送の極めて有効な手段であることは言うまでもありません。この放送業務を規制する機関は世界ではどうなっているかを調べてみました。
世界では現在、政府から独立した放送規制機関が標準になっています。
ヨーロッパのEU指令は、加盟国のメディア規制機関の政府からの独立性を前提としています。ドイツはナチスによる政治利用の反省から、放送法制を分権化。民放は州レベルで独立した規制機関があります。アメリカでは1934年(何と昭和9年)にFCC(連邦通信委員会)という政府から独立した放送通信規制委員会を設置し、1987年に、表現の自由を萎縮させ、かつ憲法違反という理由でフェアネス・ドクトリン(公的に重要な論点を扱う場合に重要な対立する見解が提示されるように配慮すること)を廃止して放送の規制を撤廃しています。慶應大学の鈴木秀美教授(憲法学)は「権力を監視する言論機関を政府の大臣が監督するのは矛盾している」と話しています。また、識者は、権力が放送に介入することは許されないと発言しています。
 日本は、憲法により、表現の自由、言論の自由が保障されている民主主義国家にもかかわらず、権力から独立した「放送の規制機関」の設置については、立ち後れているのではないでしょうか。また、放送メデイアが、これを声高に放送しない点も不思議だと言われています。
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疑問符のつく慣習

2016-02-15 05:33:22 | 文化
疑問を感じている最近の慣習がいくつかあります。

ハロウィン:古代ケルト発祥の欧米の行事。日本古来の文化ではなく、現在の日本では単に商業主義や流行に踊らされている側面があるのではないかと思われます。
恵方巻き:関西発祥の節分行事の一つ。関東ではなじみが薄い。これも恵方巻きを売らんかな、という商業主義が感じられます。「今年から止めた」という知人もいます。
バレンタインデ-:日本固有の文化ではないし、チョコレートを贈るというのは、お菓子屋さんに踊らされている感もあります。異性間のお祭り(遊び)、とか贈り物の口実にされているように感じられますが如何でしょうか。
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メールソフト

2016-02-12 05:18:09 | 文化
皆様は色々なメールソフトを使用されていると思いますが、私の場合はWindowsにリンクしているメールソフトをずっと使用してきました。中でも「Outlook Express」を使った期間が長かったせいか、私にとっては使いやすいメールソフトでした。しかしWindowsのバージョンが変わる度にメールソフトも変わり、次第に使い勝手が悪くなってきて閉口しました。

 そこで、パソコンの達人の薦めにより、Windowsにリンクしていないメールソフトに乗り換えました。今はThunderbirdのMozzila(無料)を使っていますが、まだ慣れていないせいか、使いこなしていません。私の対応力が不十分なのでしょう。
 このメールソフトには使い勝手の悪い所がいろいろあります。たとえば、

1. メールを書く時に、第一番に宛先を決めなければならないという手順。この制約は不便です。メッセージを先に書きたい時もあるのに。(例えば古いメールを転送する場合がこれに該当します。)
2. 送信したメ-ルの日本語タイトルや添付ファイルの日本語タイトルが文字化けする事があります。(英数小文字の場合は文字化けがありません。)
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明治初期の優れたキリスト教徒

2016-02-09 06:41:42 | 文化
明治時代初期において、日本男性の中にはプロテスタントの教えに感化されてキリスト教に入信する過程で、女性への教育や女性の社会進出を強く叫ぶ者たちが現れました。彼らの大半は江戸時代の武士階級の出身者でした。なぜでしょうか。

内村鑑三(1843~1930)高崎藩士の子
新島襄 (1843~1890)上州安中藩士の子。同志社大学を設立しました。
成瀬仁蔵 (1858~1919)長州毛利家にゆかりの吉敷毛利家に仕える下級武士の子。後に、広岡浅子らの支援を得て「日本女子大学」を設立しました。なお、広岡浅子は明治時代に活躍した女性実業家であり、NHK「朝ドラ・あさが来た」のヒロインです。

司馬遼太郎は、明治初期の優れたキリスト教徒の出自について次のように述べています。

「かつて、武士が忠誠を尽す対象は主君でしたが、明治維新で主君が消滅してしまいました。武士たちの内ある者は、忠誠を尽す新たな対象を神と考え、神に忠誠を尽す道を選びました。」

また、作家の長尾剛氏も次のように述べています。

「つまり、歴史に名を残している優れた日本近代のキリスト教徒の男は皆、武家階級の出なのだ。(中略)こうした歴史背景の中で、建て前と本音、旧弊と新風入り混じり、近代日本の女子教育は、紆余曲折を重ねていく。女学校が立ち並び、少女たちは新しい教育を受け、ある者は、女性の自立に目覚めて立ち上がる。ある者は、旧態依然とした男尊女卑の家風との板挟みとなって、我が身を呪う。ある者は、上っ面だけのファッションとして新しい教育を受け、さして似合わない洋風のドレスに身を包んで、おぼつかないステップでダンスを踊り「これぞ新時代の女よ」とばかりに、悦に入る。そんな時代の中、浅子は、ある時は炭鉱の中で泥だらけになって荒くれ坑夫たちを従え、ある時は銀行のデスクで帳面と睨めっこしながら、男性行員たちに檄を飛ばしていた。(中略)少女時代に芽生えた自主独立の精神と学ぶことへの渇望は、決して衰えてはいなかった。」

  長尾剛「広岡浅子 気高き生涯」 PHP文庫

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立春偶成 張栻

2016-02-06 05:43:49 | 文学
南宋初期の学者 張栻(ちょうしょく、1133―1180) の七言絶句です。

律回歳晩氷霜少
春到人間草木知
便覚眼前生意満
東風吹水緑参差

律回(めぐ)リ歳晩(く)レテ氷霜少ナシ
春 人間(じんかん)ニ到ラバ草木知ル
便(すなわ)チ覚ユ 眼前ニ生意満ツルヲ
東風水ヲ吹キ 緑 参差(しんし)タリ


「訳」

 暦めぐって年が暮れ、氷や霜も少なくなった。春が地上にやってくると、まっさきに草や木が気配を察知し、たちまちあたりに生気がみなぎってくるのがわかる。東風が水面を吹きわたり、緑色をしたさまざまな波紋が浮かぶ。

「鑑賞」
立春のよろこびを平易に賦した佳品です。
張栻 は、誠実な学者として敬愛され、同時代の大学者朱子にも高く評価されました。

   井波律子 「中国名詞集」 岩波書店

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お梅 真田幸村の娘

2016-02-03 05:57:18 | 歴史
真田幸村は大坂城に出陣した際に、10人の子女を伴いました。 3男、7女でした。
男児は、大助(幸昌)、大八、幸信。女児は、阿菊、於市、阿梅、あくり、なな、阿菖蒲(おしょふ)、おかねでした。

最後の戦を前にして、幸村は娘の阿梅の行く末を伊達政宗公の重臣である片倉景綱の嫡男・片倉重綱(後に重長と改め)に託しました。片倉景綱は、伊達政宗公の腹心で、武勇に優れていて、鬼小十郎の異名があり、白石城1万7千石の城主でした。片倉重綱はこの景綱の嫡男で、武勇抜群で英明な武士でした。政宗公は徳川方でしたから、片倉重綱は幸村にとっては敵将でしたが、娘を託せる人物と見込んだのでしょう。さて、大坂城落城の後、白綾の鉢巻き、白柄の長刀を杖にした十六、七の美少女が城中から脱出して重綱の陣の前に表れました。重綱は彼女を保護して、白石城に連れ帰りました。重綱の正室・指月院が他界した後、お梅は、重綱の継室となり、片倉家三代目の景長の養母として片倉家を盛りたてました。江戸時代、真田幸村は徳川家に刃向かった者として歴史からその存在が抹殺されていたそうです。従って幸村の子女は厳しく探索されましたが、伊達政宗公の威光もあって、お梅は探索の目を逃れ、無事天寿を保ち、1681年に78歳で他界しました。法名は泰陽院殿松源寿清大姉で異母弟の大八(母は大谷刑部・吉継の娘)とともに、白石市当信寺に墓を並べて眠っているそうです。真田家から片倉家に移りつつ、数奇な運命をたどった生涯でした。それにしても片倉家は、気持ちがやさしくて、かつ気骨のある家風であったことに感動します。
真田氏は江戸時代を存続し、明治時代まで続きましたが、戦国時代末期には、存亡の危機にありました。真田昌幸の長男・信幸は徳川方につき、昌幸と次男・信繁(幸村)は豊臣方につくというしたたかな一族でもありました。
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