yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

叡王戦

2016-01-31 05:56:57 | 将棋
将棋の世界に「叡王戦」という、ちょっと聞き慣れない棋戦があります。人対コンピューターの戦、「電王戦」の流れをくむ棋戦です。初代の「叡王」は関西の棋士、山崎隆之八段です。
昨年12月20日に郷田真隆王将との決勝戦に勝利して優勝しました。「叡王」はこの春に予定されている「第3回将棋電王トーナメント」への出場資格があり、将棋ソフトの間で優勝したソフト、ポナンザと二番勝負をすることになっています。山崎八段は西の王子の異名もあり、第54回NHK杯将棋トーナメント(2004年)で、優勝した経験もあり、最近では1分切れ負け将棋のチャンピオンでもあります。
「1分切れ負け将棋」は見る者にとっては、とても楽しいのですが、閃きと直感を頼りに殆ど時間を使わずに指す必要があり、戦う者にとっては極めて過酷な勝負です。もし、私などがやりますと実力の1%程度しか力が出せないことになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2=1 数学界で論議 ?

2016-01-28 05:37:20 | 文化
過日、友人から聞いた話です。 2と1が等しいことを証明したとされる論文が数学界で話題になっているそうです。ロシアのカラシニコフ通信が伝えたところでは、この論文の執筆者は国立ヨハネスブルグ大学教授のイワノフ・ボスコノビッチ博士です。博士が夢の中で見た式を枕もとのメモに書き残し、翌朝、それを少し変形したところ2=1という結論になったということです。「2=1」のはずがないですから、論文はどこかがおかしいはずですが、どこがおかしいのかが話題になっているということです。論文内容を下に記します。
a=b

a2=ab
a2―b2=ab-b2
(a+b)(a-b)=b(a-b)  4式
a+b=b          5式
2b=b
2=1


    a2はaの2乗のことです。

 上記の式の変形は中学生にもできそうに思えますが、結論は2=1。
不思議なことです。さて、どこがおかしいのでしょうか?

私は、少し考えてわかりました。
4式から5式に進んだのが誤りです。
4式において、左辺と右辺を各々(a―b)で割ると5式が得られるとして   
いるようです。しかし、これは錯覚であり、間違いです。  
(a―b)=0ですから0/0の計算をしています。 0/0の答は不確定、すなわち不定です。不定なのに、論文では、1と確定したのが誤りなのです。

しかし良く考えてみると、このように底の浅い問題を数学者が議論するはずがありません。私が友人から聞いた話自体がちょっとおかしいと思わざるを得ないようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蜀 考

2016-01-25 06:09:18 | 文化
「蜀」は、中国の四川省あたりの古名です。三国時代には魏、呉とならんで天下を三分しました。峻険な山々に囲まれた地で、霧や雲が湧いて空を覆います。
李白は「蜀道難し」という詩に険しい蜀の山岳を賦しました。蜀は中原から見ると僻地という印象があります。しかし、この地に眼をつけ、第三極の地と考えた諸葛孔明の戦略・政治
観は天才的でした。まさに「臥龍」というにふさわしいと思います。 
「蜀犬日に吠ゆ」という言葉があります。蜀の犬は太陽が珍しいので、太陽が顔を出すと
怪しんで吠えることを指します。また、見識の狭い人が、賢人の秀れた言行を疑ったり批判することにも使います。
杜甫は、高適の援助で成都(四川省の省都)に浣花草堂(かんかそうどう)を構えて、約4年間、家族と平穏な日々を送ったこともありました。
また、「隴(ろう)を得て蜀を望む」という言葉があります。「隴(甘粛省)を手中にした後漢の光武帝が、次は蜀が欲しい」と言った故事によります。人間の欲望には際限がないことの譬えです。蜀は西域への入り口に位置し、四川料理、麻婆豆腐などの独自の文化があり、パンダの故郷でもあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新成人へのメッセージ  茂木健一郎氏

2016-01-22 05:15:42 | 文化
成人の日に渋谷区で開催された「新成人を祝う会」において、脳科学者の茂木健一郎氏が、集まった新成人にメッセージを贈りました。その話をネットで聞いて私も大いに感銘を受けましたので以下に紹介します。

「諸君が自分だけの将来や幸せのことを考えるとしたら、諸君の将来のスケールは自分だけにとどまる。そうではなくて、他人のために何ができるかを考えてほしい。そうしたら諸君の人生は一挙に多くの人達のためになるスケールの大きい人生になるだろう。例えば、マザーテレサは他人を幸せにする人生を歩んだので、多くの支持者を得た。また、人間の脳はおもしろい。自分の個性を知るには他人という鏡が必要。いろいろな人に会い、わかってくる個性を宝物にしてほしい。」

茂木氏のメッセージに共感します。
生きる姿勢の中に、「世のため人のため」を含む人と「自分のためにだけ生きる」人の間には大きな違いがあります。「世のため、人のため」「他人のために何ができるか」を考えながら生きる人は立派だと思います。
茂木氏のメッセージには、古来よりある日本人の美徳、すなわち、「私」より「公」を重んじる伝統や汚職を嫌う道徳、自分の得を主張することを嫌う心意気や弱い者を助ける侠気などと、軌を一にするものを感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絶句 杜甫

2016-01-19 22:17:11 | 文学
詩聖 杜甫の五言絶句です。

江碧鳥逾白
山青花欲然
今春看又過
何日是帰年

江碧(みどり)ニシテ鳥逾(いよ)イヨ白ク
山青クシテ花然(も)エント欲ス
今春看(みスミス)又過グ
何レノ日カ是レ帰年ナラン

「訳」

 錦江は深みどりの水をたたえ、水鳥の白さがいっそう目にしみる。
山の木々は緑に映え、花は燃えるように赤い。
今年の春も、みるみるうちに過ぎ去ろうとしている。
ああ、ふるさとへ帰れるのはいつの日か。

「鑑賞」
杜甫は、五十三歳のとき成都で「絶句二首」を作っている。「看」、あれよあれよと春は過ぎゆき、望郷の念はつのるばかり。「何れの日か是れ帰年ならん」と夢を持ちちづけたが、ついに果たせなかった。

石川忠久「NHK 漢詩紀行 二」 日本放送出版協会

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年賀状 考

2016-01-16 06:59:11 | 文化
私は毎年、年賀状を書いています。昨今は年賀メールも流行っていると聞きますが、あまり利用しません。一年に一度、年賀状を交換して、知人・友人と近況をやりとりできる年賀状交際はそれはそれで意義があることと思います。高齢になるに従い、年賀状を書くのが億劫になって、止める方々も増えているようですが、その止め方にも個性が見られます。

(1)宣言型: 「寄る年波には勝てず筆を執りづらくなったため、誠に勝手ながらどなた様にも今後の年始挨拶を失礼させていただきます。」と小学校時代の恩師からいただきました。いつも変わらぬ誠実なお人柄が偲ばれました。
(2)無視型: 私は年賀状が元旦に届くように投函しておりますが、返信もなく、完全に無視される方があります。先輩・同輩・後輩すべてにありました。今年は13人もおり、特に多いと感じました。色々と事情があるとは思いますが、有り体にいえば、あまり愉快ではありません。私はこういう事は、やりたくないと思っています。
(3)消滅型: 無視型の一種ですが返信のない状態が数年続いたあと音信不通となります。健康上の事情が主な原因と推測しております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夫婦別姓

2016-01-13 06:07:46 | 文化
「夫婦同姓」のルールについて、去る12月16日に最高裁は、合憲という判断をしつつ、別姓も選べる制度について国会に議論を促しました。この判断に当っては、女性判事は3人とも反対しており、半分に近い判事が反対したということです。結婚にあたって、女性のみに改姓を促す現行法は、確かに女性にとっては不公平だという議論はあります。古来、家を基本とする日本的な家族制度を良しとする立場に立つと、最高裁の判断について、保守的な私は、それ程、違和感を覚えません。
一方、先進国である欧米においては、男女同権が当然でありながら、夫婦同姓も普通にあるようです。男女平等、故に、直ちに夫婦別姓を是とするとしたら、議論が短絡的に過ぎると思われます。
さて、近隣の中国・韓国は昔から夫婦別姓です。儒教の影響が大きいのかも知れません。夫婦別姓だと姓を同じくする同族が結婚をすることを回避する参考になり、近親結婚の弊害が少なくなるでしょう。これは生活の知恵でもあるようです。中国・韓国は、夫婦別姓だからと言って、男女同権の社会というわけでもなく、むしろ男社会と聞いています。
 日本は、欧米と中国・韓国の中間のような制度に位置しているように思いますが、この問題は重要なことですから、今後、国民的な議論が望まれるでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怨まず 誇らず

2016-01-10 05:05:14 | 文学
明の「酔古堂剣掃」に、次の文があります。

休怨我不如人。不如我者常衆
休誇我能勝人。勝如我者更多。

我ノ人ニ如カザルヲ怨ムヲ休(や)メヨ。我ニ如カザル者ハ常ニ衆(おお)シ。
我ノ能ク人ニ勝ルヲ誇ルヲ休メヨ。我ヨリ勝ル者ハ更ニ多シ。

「訳」
自分が人に及ばないとて、くやしがるのはよそう。自分にも及ばない人間は、はなはだ多いのだ。自分が人にすぐれているからとて、威張るのは止めよう。自分よりすぐれた人間はもっと多いのだ。

アフォリズム文学(驚句・金言、簡潔鋭利な評言の文学)は、明末清初に大流行し、「菜根譚」などのおびただしい清言語録集が生まれました。「酔古堂剣掃」も、その一つです。編者は陸紹珩(りくしょうこう)です。「酔古堂剣掃」は、自家の言を記録した創作ではなく、古今の名言嘉句を収集編著したものです。

剣掃は、「けんそう」とか「けんすい」と読みます。剣を抜いて邪気を掃いすっきりすることを指しています。

合山究 「酔古堂剣掃」明徳出版社

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いのちの授業 日野原重明

2016-01-07 05:22:31 | 文化
聖路加国際病院の名誉院長、104歳の日野原重明氏は雑誌に「いのちの授業」のことを下記のように掲載されていました。

現在私は、子ども達の未来を託したいという思いから、全国の小学校を訪問し「いのちの授業」を行い、子ども達に命の大切さを教えています。子どもに命の大切さを教え、自分の命と同様他人の命も大切にしなさい、と説きます。いじめは、戦争と同じです。やられても仕返しせず、相手を恕(ゆる)そうと教えます。命を大切にする人が、戦争をしようなどとは思わないはずです。子ども達が私の教えをしっかりと引き継いで未来の世界を作ってくれることを信じています。

   日野原重明 「随想 私の戦中戦後を振り返る」學士會会報 No.915 2015-Ⅵ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スーパーグローバル大学

2016-01-04 05:43:48 | 文化
世界経済のグローバル化は、1980年代に急速に進展しましたが、世界の大学のボーダーレス化は1990年代に始まりました。幸か不幸か、日本の大学は、1990年代に始まった世界の大学のグローバル化の影響をほとんど受けませんでした。つまり、日本人学生を対象にして日本語で教育を行う。それでも、大学は学生定員を満たすことができたからです。また、日本には日本語で高等教育ができるという特殊性があります。最先端の学問が教科書を含めて母国語で可能という国は、(英語圏を除いて)日本ぐらいしかないそうです。こうした事もあって、日本の大学は、グローバル対応に熱心ではなかったのかも知れません。タイムズ社が選ぶ世界大学ランキング・トップ100・2015版では、1位・ハーバード大学、12位・東京大学、27位・京都大学と日本の大学は低迷しています。そこで文部科学省は、トップ100の中に10大学が入ることを目指すと宣言しました。そして、スーパーグローバル大学を選定して目標達成に注力するとしました。スーパーグローバル大学の中で、私立理工系としては唯一、芝浦工業大学が選ばれました。村上雅人学長はグローバル推進モデルを構築する責務を痛感されているそうです。

   村上雅人 「スーパーグローバル大学」電気学会誌 2015 Vol.135 No.11

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする