yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

現代の修行僧

2009-09-24 19:48:16 | 人生
  現代にも修行僧がいます。しかも、普通の生活をしている身近な知人に、二人もいるのにはびっくりしました。その一人は飛行機で旅行をすることを趣味(生き甲斐)にしています。例えばJAL(日本航空)のクラブ・ゴールドA会員、ANA(全日空)のSFC会員(Super Flyers Card会員)等のことで、これらの会員は、世界の飛行機、空港を利用する時に大きい特典と待遇が与えられ、旅行者にとって垂涎の的だそうです。しかし、会員資格を得るには規定の短い期間内に、定められたフライト回数やフライト総距離を飛ぶ必要があります。資格獲得は容易ではありません。体力と時間とお金を消耗すると共に、飛行機の狭い座席に長時間乗っていなければいけないという心身の苦痛を伴うために、僧侶の修行にたとえられて「修行僧」と呼ばれているのです。
  さて、スポーツの世界にも修行僧のような男がいます。マリナーズのイチロー選手は
 そう呼ぶのにぴったりではないかと思われます。過日、9月13日に9年連続で200本安打を記録し、1901年にウィリー・キーラー選手がマークした8年連続の記録を108年ぶりに抜きました。しかも9月6日には大リーグ史上2番目の速さでリーグ通算2000本安打も達成しています。これは高い目標を掲げ、常にバッティングに工夫を加え、厳しい自己研鑽と完璧に近い健康と精神の管理を続けた末に到達した偉業ではないでしょうか。こうして黙々と安打を打ち続けたイチローこそ修行僧と呼ぶのがふさわしいと思います。
彼のバットを日本刀に持ち替えた風貌を想像すると、彼はまさしく「日本のサムライ」に他なりません。
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円周率

2009-09-18 07:21:39 | 科学
円周率Π(パイ)は円周とその円の直径の比率、3.14のことであり、小学校で習いました。ところで円周率は昔から世界的にも強い関心の対象であったらしく、 遠くギリシャのアルキメデスの時代から約3であることが知られています。私は中学生の頃、3.14159265 あたりまで覚えたように思いますが、不規則な数値が無限に続く不思議な数です。最近、筑波大のチームがスーパーコンピューターを使って円周率を約2兆桁まで求め、世界新記録を樹立したと8月17日に発表しました。検証計算を含めて約73時間を要したとのことです。皆様は、このような計算をすることにどういう意義があるのか疑問に思われるかも知れませんが、今回の計算は筑波大に導入されたスーパーコンピューターの性能評価が目的だったとのことです。従来の世界記録は東大と日立製作所の合同チームが2002年に1兆桁を計算しています。
 そこで不肖、私もノートパソコンでΠ(パイ)の計算に挑戦しました。計算法の原理は色々ありますが、逆正接(三角関数)の級数展開式とTan30°=1/√3を使います。使い慣れたエクセルで求めることができたのは、3.141 (4桁)が限界でした。エクセルでは15桁以上の数値が取り扱えないのでこれ以上の桁を求めることができませんでした。
そこで、エクセルではなくて、プログラミング言語、BASICを使いました。無限級数の最初から21項までを計算した結果、3.1415926535 (11桁)まで求めることができました。
筑波大チームや東大チームにしても、まず、兆の桁の数値を取扱う計算手法を開発することが必要であったと思われ、それを含めて、円周率を兆の桁まで求めたことに敬意を抱きました。
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埴生の宿

2009-09-13 07:41:01 | 文化
皆様はイギリス民謡「埴生の宿」をご存じのことと思います。

  埴生の宿も、わが宿
  玉のよそい、うらやまじ。
  のどかなりや、春の空、
  花はあるじ、鳥は友
  おーわが宿よ、たのしとも、たのもしや。

  書(ふみ)よむ窓もわが窓、
  瑠璃の床も、うらやまじ。
  清らなりや。秋の夜半、
  月はあるじ、むしは友。
  おーわが窓よ、たのしとも、たのもしや。

   Mid pleasures and palaces through we may roam,
Be it ever so humble, There’s no place like home.
A charm from the skies Seems to hallow us there,
Which seek thro’ the world, is ne’er met with elsewhere,

Home, home, sweet home,
There’s no place like home, there’s no place like home
I gaze on the moon as I tread the dear wild,
And feel that my mother now winks of her child,
As she looks on that moon from our own cottage door,
Thro’ the woodbine whose fragrance shall cheer me no more.

Home, home, sweet home;
There’s no place like home, there’s no place like home.
An exile from home splendor dazzles in vain;
Oh, give me my lowly thatched cottage again;
The birds singing gaily that came at my call:
Give me them that peace of mind dearer than all.
Home, home, sweet home;
There’s no place like home, there’s no place like home,


名曲「埴生の宿」(Home Sweet Home)はアメリカの俳優で劇作家のジョン・ハワード・ペイン(1791-1852)が1822年に作詞しました。作曲はイギリスのヘンリー・ローリー・   ビショップ(1786-1855)です。日本では、明治時代に文部省音楽取調掛(とりしらべかかり)の里見義(さとみ ただし1824-1886)が見事な日本語に訳詞し、「日本の歌百選」の一つに選ばれました。
この歌にまつわる有名なエピソードがあります。
第二次世界大戦の末期のビルマの山中。日本軍の部隊が「埴生の宿」を歌い終え、英軍に突撃しようとした寸前、英国の部隊からも歌声が上りました。「Home Sweet home」でした。敵味方は合唱し、手を握り合いました。終戦から3年後に出た竹山道雄の名作「ビルマの竪琴」にも書かれている名場面です。民謡「埴生の宿」は国境を越えて郷愁を誘う力を持っていると言えます。
また、アメリカの南北戦争の際には、川を挟んだ南北両軍の兵士がこの歌を歌ったことから戦闘が休止となり、兵士はコーヒーやたばこを交換したということです。
わが埴生の宿も「花はあるじ鳥は友、月はあるじ虫は友」という点が少し似ています。

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歌「戦友」

2009-09-09 08:31:44 | 文化
皆様は「戰友」という歌をご存じのことと思いますが、愛唱された方は少ないのではないでしょうか。十四番までと少し長いのですが以下に全文を記します。

一、 此處は御國を何百里 離れて遠き満州の赤い夕陽に照らされて 
友は野末の石の下

二、 思へば悲し昨日まで 眞つ先驅けて突進し 敵を散々懲らしたる
    勇士は此處に眠れるか

三、 嗚呼戰の最中に 隣に居りし我が友の 俄にはたと倒れしを 
    我は思はず驅け寄りて

四、 軍律厳しき中なれど 是が見捨てて置かれうか 「確りせよ」と
    抱き起し假繃帯も彈丸の中

五、 折から起る吶喊(とっかん)に 友は漸う顔上げて 「御國の為だ構はずに
    後れて呉れな」と目に涙

六、 後に心は残れども 残しちやならぬ此の體 「それぢや行くよ」
    と別れたが 永の別れとなつたのか

七、 戦濟んで日が暮れて 探しに戻る心では どうか生きて居て呉れよ
    物等言へと願ふたに

八、 空しく冷えて魂は 故郷に歸つたポケットに 時計許りがコチコチと
    動いて居るも情無や

九、 思へば去年船出して 御國が見えず為つた時 玄界灘で手を握り
    名を名乗つたが始めにて

十、 それより後は一本の 煙草も二人で分けて喫み 着いた手紙も
    見せ合ふて 身の上話繰り返し

十一、 肩を抱いては口癖に どうせ命はないものよ 死んだら骨を頼むぞと
    言ひ交はしたる二人仲

十二、 思ひもよらず我一人 不思議に命永らへて 赤い夕陽の満州に
    友の塚穴掘らうとは

十三、 隈無く晴れた月今宵 心染み染み筆執つて 友の最期を細々と
    親御へ送る此の手紙

十四、 筆の運びは拙いが 行燈の陰で親達の 讀まるる心思ひ遣り
    思はず落とす一雫

 これは明治38年、日露戦争の時代に生まれた歌であり、庶民の言葉で訥々と綴られており、哀切な良い歌です。京都府大江町出身の小学校教諭・真下飛泉(ましもひせん)が日露戦争に従軍した義兄の話を聞いて作詞しました。同じく京都府小学校教諭の三善和気(みよしかずおき)が作曲したものです。軍歌のひとつではありますが、戦争のむなしさが滲み出ており、反戦歌とも言えます。そのため太平洋戦争の頃は歌うことを禁止されたそうですが、今なお歌い嗣がれている名歌です。
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蝉の声

2009-09-03 06:23:29 | 近況
芭蕉が山形の立石寺で詠んだ有名な俳句で、「おくのほそ道」に載せている句があります。その部分は下記のようなものです。

 「山形領に立石寺と云ふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地也。一見すべきよし、人々のすすむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮れず。ふもとの坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松柏年旧り、土石老て苔滑に、岩上の院院扉を閉て物の音きこえず。岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ。

  閑さや岩にしみ入蝉の声」
            以上、日本古典文学大系「芭蕉文集」岩波書店より引用 

ところで芭蕉がここで聞いた蝉はニイニイゼミかアブラゼミではないかという説があります。つまり東北地方の夏にはこれらの蝉が多いのではないかと思います。ところで千葉市郊外のわが家でも夏の間、蝉の声が絶えません。7月になると「カナカナ」が先ず鳴き始め、もっとも長い期間に亘って鳴き続けます。暑い盛りにはアブラゼミが大合唱しますので「蝉しぐれ」という表現がぴったりです。8月下旬になるとミンミンゼミが特徴のある声で鳴きます。やがてツクツクボウシの声が優勢になると夏が終わり、秋風が吹きはじめます。それと共に夜には秋虫の音が際立って来ます。(虫の音や小鳥のさえずりなどの自然な音に含まれている高周波音には、心を癒す効果があることが最近発見されたということです)。
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