yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

シルバ- 川柳

2024-03-31 06:44:15 | 文学
  思わず吹きだすシルバ-川柳を紹介します。

お見舞いにぞろぞろ来たらそろそろか   
  何をしにここに来たかと考える
  ばあさんの手作りマスク息できず
  耳鳴りもピ-シ-ア-ルと音がする
  オレオレの相手をしたいほどの暇
  デイサ-ビス「お迎えです」はやめてくれ
  朝起きて調子いいから医者に行く
  「インスタバエ」新種の蠅かと孫に問い
「ご主人は?」「お盆に帰る」と詐欺に言い
マイナンバ- ナンマイダ-と聴き違え
家事ヘルパ-来られる前に掃除する
金が要る息子の声だが電話切る
やっと立ち受話器を取れば電話切れ
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霊雁泉 良寛の書

2024-03-26 06:14:48 | 文学
新潟市の岩室温泉は、高志(こし)の湯、新潟の奥座敷ともいわれます。この湯は、今から260年前の江戸時代に発見され、当時、雁が湯浴みをして傷を癒していたそうです。ここには「高島屋」という老舗料理旅館があり、将棋の棋聖戦の舞台になる事でも知られています。かつて、この旅館の主人が同郷の知人である良寛から手に入れたという書があります。(下 写真)岩室温泉の故事にちなんで、「霊雁泉」と書いてあります。良寛の書には偽物が多いそうですが、この書は真筆であると鑑定士の田中大氏は鑑定し、500万円という価格を提示しました。(テレビ東京「開運なんでも鑑定団」より

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慈恩塔に題す 荊叔

2024-03-23 05:55:25 | 文学
晩唐の詩人、荊叔の五言絶句を紹介します。(「唐詩選」にもとられています)

  題慈恩塔

  漢国在山河
秦陵草樹深
暮雲千里色
無處不傷心
 
         「読み方」

   慈恩塔(じおんとう)ニ題ス

   漢国 山河在リ
秦陵 草樹深シ
暮雲千里ノ色
處(ところ)トシテ心ヲ傷メザルハ無シ

         「訳」
長安の漢の地には、山河が変わらぬ姿を残している。
しかし、秦の始皇帝陵には、草木が深く生い茂っている。
日暮れの雲は、千里の彼方まで同じ夕べの色が続いていて、
どこを眺めても、心を傷めない処は無い。

         「鑑賞」   
       唐代の詩人。荊叔(生没年 不詳)
慈恩塔は、大慈恩寺の境内にある塔(通称、大雁塔)のことです。(下 写真)。652年に玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像を保存するために、高宗に申し出て建立した塔で、7層64メ-トルの仏塔です。
荊叔の生没年は不詳ですが、この塔に上って唐王朝の栄枯盛衰に想いを馳せて 詩作したようです。
杜甫の詩「春望」の、「国破れて山河在り、城春にして草木深し」と趣が似ています。

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成都 杜甫草堂 石川忠久

2024-03-20 06:49:22 | 文学
漢詩の石川忠久先生は1983年正月に、成都市の杜甫草堂(下 写真)を初  めて訪れ、次の律詩を賦されました。
    
       成都杜甫草堂
   
      此行不是夢中遊
      万里来尋似病癒
      花径霧消梅色白
      蓬門日傳竹叢幽
      面江堂屋雖新構
   隔岸村郊仍旧疇
      公後一千三百歳
      浣花渓水水西頭

       「読み方」

       此行是れ夢中遊ナラズ
      万里来リ尋ねて病癒ユルニ似タリ
      花径霧消エテ梅色白ク
      蓬門日傳(うすく)クシテ竹叢(ちくそう)幽ナリ
      江ニ面スル堂屋ハ新構トイエドモ
   岸ヲ隔ツル村郊仍(な)オ旧疇(きゅうちゅう)
      公後一千三百歳
      浣(かん)花渓水水ノ西頭(せいとう)

       「訳」
      この旅行は夢の中の遊びではない。
      万里を尋ね来て病が癒えるようだ。
      花咲く道の霧は消えて梅の色は白
      蓬の門にさす日光は薄く竹林は黒々。
      江の辺の家は真新しいが、渓流で隔たった村には旧い田畑
      がある。杜甫没後、1300年、
      浣花渓の西のとっかかりの水。
      石川忠久 「杜甫100選」NHK出版


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故郷を離るる歌 吉丸一昌

2024-03-17 05:57:38 | 文学
故郷を離るる歌は、ドイツ民謡「最後の夜」または「別れ」を原曲として、日本文学者の吉丸一昌が翻訳・作詞して、『新作唱歌 第五集』(1913年7月出版)に発表した別れの歌です。それ以来、今でも広く愛唱されています。ドイツ中南部のフランケン地方の民謡ともされていますが、今では原民謡はよく知られていないそうです。 

園の小百合、撫子(なでしこ)、垣根の千草。
今日は汝(なれ)をながむる最終(おわり)の日なり。
おもえば涙、膝をひたす、さらば故郷。
さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。
さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。

つくし摘みし岡辺よ、社(やしろ)の森よ。
小鮒釣りし小川よ、柳の土手よ。
別るる我を憐(あわれ)と見よ、さらば故郷。
さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。
さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。

      此処に立ちて、さらばと、別(わかれ)を告げん。
      山の蔭の故郷、静(しずか)に眠れ。
      夕日は落ちて、たそがれたり、さらば故郷。
      さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。


    

     



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李白の墓 石川忠久

2024-03-14 05:57:59 | 文学
漢詩の石川忠久先生は1989年3月に、かねて念願の李白の墓を尋ねられました。南京から車で2時間、安徽省馬鞍山市に着くと、太白楼や李白ゆかりの青山があります。青山は謝公山ともいい、李白の尊敬した謝 朓(しゃちょう)が遊んだ山です。そのふもとに李白の墓(写真 下)があり、前に小川が流れています。

        李白墓
       謝公山下碧渓傍
       三尺孤墳一草堂
       天上詩仙君識否
       海東亦慕大名長

         「読み方」
   
          李白ノ墓
       謝公山下 碧渓(へきけい)ノ傍(かたわら)
       三尺ノ孤墳 一草堂
       天上ノ詩仙 君識ルヤ否ヤ
       海東モ亦 大名(たいめい)ヲ慕ウコト長シ

        「訳」

謝 朓公の山の麓の緑の小川の傍
  三尺のお墓と草堂が一つありました。
  天上にいる李白翁、ご存じでしょうか
      はるか東の国日本では翁の雷名と詩が100年以上も慕われていますよ

       この詩について、「もとより、即興の腰折れに類するものだが、遠く日本からあなたを慕って来ましたよと、思わず呼びかけるように詠った」と石川先生は述べておられます。

        石川忠久 「李白100選」 NHK 出版


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澄邁驛(ちょうまいえき)の通潮閣  蘇軾

2024-03-11 06:07:58 | 文学
南宋の蘇軾の漢詩を紹介します。


澄邁驛(ちょうまいえき)の通潮閣(つうちょうかく)
  餘生欲老海南村    
帝遣巫陽招我魂
杳杳天低鶻沒處
青山一髮是中原  
 

          「詠み方」

          余生 老イント欲ス 海南ノ村
           帝巫陽(ふよう)ヲシテ 我ガ魂ヲ招カシム
           杳杳(ようよう)トシテ天低(た)レ 鶻(こつ)沒スル処
           青山一髮 是レ中原(ちゅうげん)

       「訳」

        私は、もはや余生をこの海南の村で過ごそうと心に思っていたのだが、
        天帝が巫陽に私の魂を呼びもどすようお命じになった。
はるかに遠く大空は水平線の彼方にたれて、そこにははやぶさの姿がか き消える。
   ひとすじの髪の毛のように細く連なる山なみ、あれこそ中国の地だ。

      「鑑賞」

    蘇東坡は左遷された海南島で死ぬ覚悟をしていたことでしょう。
    しかし、皇帝、徽宗(きそう)が即位すると、党派争いを緩和するた   めに旧法党の官僚をも用いるような状況になりました。
65歳の春、蘇東坡は、廉州(れんしゅう)安置に移す命を受けました。思いもかけぬ中国本土への帰還でした。
海南島の北岸、澄邁驛(ちょうまいえき)まで来て、対岸を望み見ました。そして今、目の前にする大陸。「青山一髪是れ中原」。万感をこめて蘇東坡はうたいきりました。
なお、頼山陽の名詩 「天草洋(あまくさなだ)に泊(はく)す」の、「水天 髣髴(ほうふつ)青一髪(せいいっぱつ)」は、蘇軾の上記の詩から借用されたのでしょう。

     石川忠久「漢詩紀行二」NHK出版


    

     


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クイズ 解答篇

2024-03-08 06:10:15 | 文学
前回のクイズ問題の解答です。
不肖には第二問が難解でした。

解答は、下記です。
第一問   医食同源
第二問   初志貫徹
第三問   一日千秋
    
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クイズ 問題篇

2024-03-05 06:41:49 | 文学
某飲料メ-カ-の「広報冊子」に載っていたクイズ問題を紹介します。
脳トレ チャレンジ「四字熟語当てクイズ」の三問です。不肖には難解でしたが、如何でしょうか。

問題:  2画目もしくは3画目まで書かれた四字熟語はなんでしょうか。(下図面)

解答は次回に掲載します。


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中国の詩人の没年

2024-03-02 06:02:14 | 文学
有名な中国の詩人の没年を調べてみました。

   杜甫 59歳  西暦770年
   李白 61歳  西暦762年
   王維 62歳  西暦759年
   杜牧 50歳  西暦853年
   
高適 63歳  西暦 765年
白居易 74歳  西暦 846年

陶淵明 62歳  西暦 427年
蘇軾  65歳  西暦1101年
 
     現代の日本人に比べると短命ですが、当時の中国人の平均に近いのでしょう。享年はほとんどが60歳台です。因みに、古稀という語の元になった「人生七十 古来稀なり」と言った杜甫でさえ、享年59歳でした。白居易の長命は別格として、王維、高適、陶淵明、蘇軾も60歳台でした。
     なお、杜甫の没後二百五、六十年たった北宋の時代に、王安石、蘇軾、黄庭堅らが杜甫の詩を愛し学び、蘇軾は「古今に詩人衆議(おお)し、而して杜子美(杜甫のこと)を首と為す」と言って尊敬しました。詩壇における杜甫の地位は、北宋の代表的詩人によって確立されたと言われます。

          石川忠久 「杜甫100選」NHK出版

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