yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

日本の無責任体系

2015-09-30 05:18:16 | 文化
朝日新聞、2015年9月26日の「天声人語」に「日本の無責任体系」に関して下記のような記事がありました。

「戦後の日本は、どのようにして先の戦争に突入していったのか。」政治学者の丸山真男は、敗戦直後に執筆した論文で喝破している。「何となく何物かに押されつつ、ずるずると」。これは驚くべき事実だ、と▲ナチスの指導者は開戦への決断をはっきり意識していたに違いない。しかし、日本では、我こそが戦争を起こしたという意識を持つ指導者がいない。日本では主体的な責任意識が成立するのは難しいーーー。丸山の苦い診断である。「ずるずると」と形容すべき事態が今も繰り返されている。新国立競技場の旧計画が白紙撤回されるまでの経緯に関し、第三者委員会が報告書を出した。すべての重要な決定は「やむをえない」という「空気」を醸成することで行われていた、というのだから驚く。ツケを払わされる納税者のことは眼中にないのだろう▲警備主体の日本スポーツ振興センターも監督する文科省も、「誰も独自の決断
をしてこなかった」。そうした中で報告書が「特に」と断って批判するのが、森喜朗元首相らの有識者会議だ▲本来は諮問機関にすぎないのに、各界の重鎮が並ぶせいか、「実質的な主導権
や拒否権」を持ったと断じる。権限をふるうが責任を負わない。そんな組織が意思決定の頂点
にあれば、まさに丸山の言う「無責任の体系」が形作られてしまう▲大会組織委員長でもある
森氏は撤回前、3,4千億円かけてもいいと語っていた。それでも、おとがめなし。「ずるずる」
体質は骨がらみなのか。」

まことに同感です。まだ、遅くはないので、政府は、今すぐに、2020年の東京五輪に関して、「誰がトップか」、「誰がリーダーか」を、日本国内外に明確に公表するべきではないでしょうか。これは責任と権限を定めることであり、物事の始まりだと思います。

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「オフ・グリッド」生活

2015-09-27 05:45:59 | 文化
「オフ・グリッド」生活とはグリッド(配電線)、すなわち電力会社から電力の供給を受けない生活のことです。都会から離れた田園地帯や山小屋の話と思われがちですが、横浜市内に、このようなお宅があるそうで、驚きました。横浜市のS夫妻が、これを行うことになったきっかけは、3.11の東日本大震災で、その後、電気に対する意識が変わったそうです。まず、原発はよくないものと思うようになり、危ないものを前提に電気を使う生活が成り立っていたことを認識し、原発に依存しないで自立した生活をしたいと思うようになったということです。

「オフ・グリッド」生活の基本設備は次のような物です。
1,  太陽電池:パナソニックHIT240 240kWX8枚 合計1920kW    55万円
2,  充電用コントローラー: INVERTEK社 SS-80X MPPT     12.5万円
3,  インバーター: INVERTEK社 DAI-3000           19.5万円
4,  バッテリー:フォークリフト用中古品、倉庫に収納、27kWh分  142万円 
     合計  工事費を含めて 220万円

* 使用状況
  照明、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、炊飯器、トースター、掃除機、パソコン、
    プリンター が動いており、一般家庭と同じような生活ができているそうです。

今の私には、電力会社からの電力に頼らない生活は考えられないのですが、横浜のS夫妻の決断と実行力には敬意を覚えます。
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マッチ

2015-09-24 05:36:56 | 文化
私は日頃、マッチ(下の写真)を愛用しています。スーパーストアで12箱、160円で買えます。1箱に42本入っていますので、1本当たり約31銭という安価な物です。この価で作れることにまず驚きました。メーカー名を見たら「東亜」とありました。この工場は、中学校への通学路にありましたので、とても懐かしく思いました。マッチのラベルにあった安藤広重の東海道五十三次の絵も集めて楽しんだりしていました。
 さて、近頃、マッチを擦って火を付けることができない子供が多いようです。化学実験を指導する教師が、「マッチの擦り方」から教えないといけないと嘆いています。
 我が家では、毎朝、マッチを擦って、蝋燭に火をともし、それから線香に火を点けています。
ライターに似たチャッカマンに比べて、はるかに使い勝手がいいです。(チャッカマンは寿命が短い。) 西部劇などに出てくる昔のマッチは黄燐マッチですから、ヒーローは壁などにこすって格好良く煙草に火を点けていたように思います。わが愛用の赤燐マッチは、箱の側面にあるこげ茶色の紙にこすって、格好悪く点灯させています。


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楽遊原 李商隠

2015-09-21 05:03:05 | 文学
晩唐の詩人 李商隠(812~858)の五言絶句です。

楽遊原 

向晩意不適
駆車登古原
夕陽無限好
只是近黄黄昏

晩(くれ)ニ向(なんなんと)シテ意(こころ)適セズ
車ヲ駆りテ古原(こげん)に登ル
夕陽(せきよう)無限ニ好シ
只ダ是レ黄昏(こうこん)ニ近シ 


「訳」

夕暮れになるにつれて心落ち着かず。
馬車を走らせて楽遊原に登ってみた。
夕陽は無限に美しく輝いているが、ただひたすら黄昏に近づくばかり。


「鑑賞」
 楽遊原は長安の東南の高原で、古くから行楽地でした。李商隠は晩唐の詩人で、同時代の温庭筠(おんていいん)と「温李」と並び称されました。李商隠はこの詩において、最後の光芒を放ちつつ下降してゆく夕陽に、
迫りくる黄昏を鋭く予感しました。この詩が傑出するのは、沈みゆく太陽に没落の一途をたどる唐末の時代状況を重ねあわせて、重層的詩的世界を作りだしているところにあります。

井波律子「中国名詩集」岩波書店


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水戸黄門

2015-09-18 05:07:31 | 歴史
テレビでおなじみの水戸黄門は、開明的で好奇心旺盛な君主でした。「水戸黄門漫遊記」の中にある「自分は越後の縮緬問屋の隠居」というのはどうも作り話のようです。徳川光圀公(1628~1701)は、徳川家康公の十一男・徳川頼房公(水戸藩・藩祖)の三男でした。大名家の三男であっても若い時は不遇で、いわゆる不良の時代もありました。6歳で世子(跡継ぎ)となられ、元服の時(9歳)に徳川三代将軍の家光公から一字を拝受し、徳川光国(後に光圀と改名)と名乗られました。また、18歳の頃に「史記・伯夷伝」を読んで感銘を受け、以後、学問に励みました。34歳で水戸藩の2代藩主となられました。63歳で隠居して権中納言になられましたが、中納言の唐名を黄門と言う事から、水戸黄門と言われました。光圀公は生涯、あまり旅をされていませんが、祖母ゆかりの英勝寺(鎌倉に少ない尼寺)のある鎌倉を訪れています。(1674年)この時の旅行記が「新編鎌倉志」として世に知られ、後に鎌倉が観光都市になるきっかけになりました。また、彰考館を設立して「大日本史」の修史事業を始められ、史料の収集のために全国に家臣の儒者を派遣しました。その中にいた安積澹泊(覚兵衛)と佐々宗淳(介三郎)がカクさん、スケさんのモデルといわれています。「大日本史」の制作は、ずっと続けられましたが、黄門様は73歳で他界されました。黄門様の死後も、この事業は水戸徳川家で続けられ、明治時代の1906年にようやく完成したということです。
 ところで、黄門様が日本で最初に料理して食されたとされる食品にラーメンがありますが、その他にも、餃子、チーズ、醍醐(カルピスのような乳食品)、黒豆、納豆なども食されたそうで、かなりの食通でおられたようです。
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人文学無用論に懸念

2015-09-15 05:04:44 | 文化
同志社大学教授の狩野博幸氏が雑誌に人文学無用論を憂慮する意見を以下のように述べています。
今年、2015年、日本という国家が発狂したことについて語りたい。
文部科学省は、このほど、すべての国立大学に対し、人文学・社会科学系統の学部を縮小する方向で検討するように、「通達」を出した。何にでも欧米人の見解に従おうとする態度は僕のもっとも忌み嫌うところではあるが、来日した英国の友人にこのことを話さずにはいられなかった。友人は、絶句した。そして、何かまがまがしいことを聞いたかのように、大きく眉をひそめたものである。
経団連に代表される実業家・経済界のリーダーたちにとっては、即戦力として使えない学生などは無駄であり、彼らにはつまらぬ時間をとらせてしまう学問なんぞは愚の骨頂というものらしい。人文学系の知識は高校までのそれで十分ではないか、と。
それに反して、小学生から会話中心の英語を学ばせればグローバルな人材が育つそうである。いまや実践されている。幼児から英語が喋れるに越したことはないと思うが、では何を語るというのだろうか。これまで、吹けば飛ぶような僕でも様々な欧米のパーティに出て来たが、そういった場で自分の国の文化について自分なりの語りも出来ない人士は、にこやかな笑顔の蔭で蔑まれていることに気づかなければならない。
ずいぶん昔のことであるが、ヨーロッパにおいて日本の経済人(実は首相も含まれていた)、
ひいては日本人が「エコノミック・アニマル」と貶められたことがあった。パーティでは金や貿易の話が出ることは当然ではあるが、それ以外の話題は少しも語られなかったために、そうした不名誉な称号を与えられたのは疑いようもないだろう。店で物を買ったりするのではないそうした場面では、その人がもつ教養は常にシビアに計測されていることくらいは知っておいた方がよい。(中略) 大英博物館の「日本部」が「アジア部」の中の「日本セクション」に格下げされたが、在英の日本の実業界・経済界の精鋭たちの誰ひとりとして、日本文化発信の砦の「今そこにある危機」に対応しなかった。高校卒業程度の日本文化・歴史知識でグローバルに活躍出来るというのだから、もはや笑止というほかない。

同感です。英語が話せても、日本文化を理解して、日本語の文章でそれを表現することができなくてはならないでしょう。すなわち、国語を学んで理路整然とした日本語の文章を書くことが十分にできなければ、外国人に日本を理解させる事などできようもありません。

   狩野博幸 「人文学無用論について」學士會会報 No.914 2015―Ⅴ
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スポーツマンの引退

2015-09-12 06:05:25 | 文化
  去る9月1日に柔道の野村忠宏氏(40歳)が、9月3日に相撲の若の里関(39歳)が現役を引退しました。40歳前後が引退の潮時なのかも知れません。いつも感じるのですが、一流のスポーツマンの引退会見はさわやかです。
野村氏は、60キロ級で、1996年のアトランタ五輪、2000年のシドニー五輪、2004年のアテネ五輪で金メダルに輝く三連覇を達成しました。一本勝ちにこだわる爽快な柔道を貫きました。これからのアスリートには「負けを大事にして欲しい。悔しさを生かし、ここぞというときに本当に勝てる選手になって欲しい」とアドバイスを送りました。
 若の里関は、1992年が初土俵で、2001年に関脇に登り、引退までの23年間に歴代5位の1691勝を挙げました。怪我との戦いでもあった相撲人生でした。好きな相撲を続けることができ、悔いは何もないということです。
 二人とも、これからも後進の指導にあたるということです。まことにお疲れ様でした。
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送友人赴金陵  石川忠久

2015-09-09 05:01:45 | 文学
石川先生が著書「漢詩の稽古」に載せられた漢詩です。
「意見の詩もやんわりとした調子で」というテーマの章における
添削後の詩の例です。

送友人赴金陵 

一飲歓呼忽忘貧
路逢嬌女欲相親
他郷酒色雖稀重
莫作青楼落魄人


友人ノ金陵ニ赴クヲ送ル 

一飲歓呼シテ忽チ貧ヲ忘ル
路ニ嬌女ニ逢ハバ相親シマント欲ス
他郷ノ酒色 稀重ナリト雖モ
青楼落魄(らくたく)ノ人ト作(な)ルコト莫カレ

「訳」
友人が金陵に旅立つのを見送る、
君は酒を一口飲むや喜んで大声で叫び、忽ち自分が貧乏であることを忘れてしまう。
道で綺麗な女性と出逢えば、すぐに声をかけ仲良くなろうとする。旅先での酒や女性は
そりゃ尊重すべきものではあるが、どうか、妓楼に入り浸って、遊びほうけた杜牧のよう
なことにならないように。


「語釈」

金陵:南京市の古名。
青楼落魄人:芸者遊びが昂じた人。
 杜牧の「遣懐」の「落魄江湖載酒行、  贏得青楼落魄名」を踏まえる。

酔っぱらいのご仁も大詩人、杜牧になぞらえられたら光栄なことでしょう。

石川忠久「漢詩の稽古」大修館書店
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千葉県 難読地名 12問

2015-09-06 05:20:39 | 文学
地名の読み方には、原理原則というものがあまりないでしょうから、結構難読地名が多いようです。千葉県にも沢山あります。

問題編
(1) 酒々井
(2) 潤井戸
(3) 城下
(4) 匝瑳
(5) 飯給
(6) 百目木
(7) 神門
(8) 神々廻
(9) 犢橋
(10) 廿五里
(11) 小食土
(12) 海女有木

地元の私でさえ正解できたのは、6問だけでした。

解答編
(1) しすい
(2) うるいど
(3)  ねごや
(4)  そうさ
(5)  いたぶ
(6)  どうめき
(7)  ごうど
(8)  ししば
(9)  こてはし
(10) ついへいじ
(11) やさしど
(12) あまありき


 ところで「廿五里」という市原市の地名は、昔「つゆひぢ」とか「ついひぢ」と呼ばれていました。ここには昔、源頼朝が信仰した東泉寺があり、鎌倉から約25里あったのでこの字が当てられたという話があるそうです。
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一般と例外

2015-09-03 05:07:19 | 文化
ある文章について、一般的解釈と例外的解釈が存在すると仮定します。 一般的解釈とは大部分の人がする解釈だろうと思います。 例外的解釈は少数の人がする解釈ではないでしょうか。
さて、「ある文」が法律の条文だとしますと、人によって、解釈が異なると困ったことになります。例えば、「ごく少数とは言えない」人が一般と異なる解釈をしたら、この法律は問題ではないでしょうか。しかも、一般的解釈と例外的解釈との分別を、行政担当者が行えるとしたら、この法律は非常に問題だと思われます。法律とは大部分の人が同じ解釈をするように表現されるべきではないでしょうか。「丁寧に説明してやっとわかる」ものでは困るでしょう。
法律も含め、文章とは特段の説明をしなくても、殆どの人が読めばわかる程度のものであって欲しいと思います。
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