yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

般若心経と金剛般若経

2013-08-29 06:00:14 | 文学
「般若心経」と「金剛般若経」は、仏教の真髄である最高の知恵「般若」や「空」というものを述べた重要な経典でしょう。「般若心経」は正式には「摩訶般若波羅蜜多心経」といい、原典はサンスクリット語ですが、唐の玄奘三蔵(三蔵法師)が漢訳した266文字が有名です。「金剛般若経」は「金剛般若波羅蜜経」というのが正確な言い方であり、原典はサンスクリット語ですが、西域生まれの高僧、クマーラジーヴァ(鳩摩羅汁)が漢文に訳しました。第32節に、師(世尊)が修行僧の長老、素菩提(スブーティ)に語った言葉があります。

一切有為法 如夢幻泡影 如露亦如電 応作如是観

一切ノ有為法ハ、夢・幻・泡・影の如ク 露の如ク、マタ、電ノ如シ マサニ、カクノ如
キ観ヲ作スベシ。



「この現象界というものは、夢・幻・泡のようなものにて、影・露・電のようなものである。このように考えるのが良い」

解釈は難しいところがありますが、英文学者の野尻抱影氏は、この文から自分のペンネームを決めました。

       中村元 訳註「金剛般若経」岩波文庫

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偶成 新島襄

2013-08-26 06:06:00 | 文学
新島襄の漢詩、五言絶句です。

偶成

看山高巍巍
観海闊洋洋
味得造化妙
小心少発揚

山ヲ看レバ高キコト巍巍(ぎぎ)タリ
海ヲ観レバ闊(ひろ)キコト洋洋タリ
味ワイ得タリ造化ノ妙ナルヲ
小心少シク発揚ス

「訳」

山を見れば、どこまでも高く、
海を見れば、広大無辺で広々として限りがない。
大自然のすばらしさを心ゆくまで味わえば、人もまた、山のように高く、海のように広々とした心をもつべきことに気づき、小さなことにこだわっていた私の心も、少しは活気をとりもどし、大きくなったような気がしてくる。

大自然の前に、虚心に向かい合えば、人間の行為がいかに小さく、とるに足らないものであるかを痛感させられるのは新島襄一人ではないでしょう。教育者であり宗教家でもあった新島らしく、謙虚に、しかも力を込めて喝破する趣がうかがえます。

吟剣詩舞振興会 「吟剣詩舞道漢詩集 続・絶句編」
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二人称は難しい

2013-08-23 05:59:47 | 文学
英語ならば、大抵、youで十分なのに、日本語の二人称はまことに難しいと思います。
普通は「貴方、貴女(あなた)」です。「広辞苑」によれば、「近世以後、目上や同輩である相手を敬って指す言葉」とあります。しかし、どこででも使えるかというと、そうでもありません。学校や芸道で先生や師匠に当たる人に対しては不適切ですし、会社の上役に対しても、また社会的地位の高い人にも使いません。そういえば、男性の私は、殆んど使ったことがありません。
ご近所づきあいでも、10歳以上も年輩の方に使うと気まずいことがあるようです。
姓名がわかっていれば、「中村さん」などと言うのが最も無難なようですが、わからない時や、咄嗟に呼びかける時には、つい「あなた」と言う場合があるかも知れません。今まであまり気にしたことがありませんが、難しいものです。

江戸時代ですと、「あんた」「お前」「お主」「貴公」「貴殿」。中には木久扇師匠が「笑点」(テレビ番組)でやっていますが、「あうい、手めっちは、俺をだっだっ誰だと思っていやがるだい」と凄む言葉の、「手めっち」という、やや下品な言葉もあったようです。
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女優は香車が好き?

2013-08-20 05:49:39 | 将棋
将棋の駒には、王将、金将、銀将、角行(かくぎょう)、飛車、桂馬、香車、歩兵(ふひょう)の8種類があります。今回は、この将棋の駒との相性の話です。プロにも好きな駒や、相性のいい駒というものがあるそうです。
大山名人は金将、升田元名人は角行、中原名人は桂馬、羽生名人は銀将、大野九段は飛車、丸田九段は歩兵といった具合です。これはプロ棋士各々の特長を象徴する駒とも言われています。
さて、女優の吉永小百合さんと岩崎ひろみさんは、共に「香車」が好きだそうです。ご承知の通り香車は前方にどこまでも行くことができる駒で、後に戻ることも左右に動くこともできません。(因みに香車みたいに猪突猛進する力士もいます。)
吉永小百合さんは、約40年前に大山康晴十五世名人との記念対局(多分、イベント等における対局)で、6枚落ち(上手は飛車、角、桂、香なし)を戦い、見事に勝ちました。一本気な性格なので、駒は「香車」が好きだということです。
また、NHK将棋フォーカスの司会をしている将棋好きの岩崎ひろみさんは、1996年のNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」でプロ棋士を目指すヒロイン、香子役を演じたこともあり、「香車」が好きということです。

不肖、私は、「へぼ将棋 王より飛車をかわいがる」の伝で、飛車が好きです。

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不幸の表現

2013-08-17 05:02:42 | 文学
あまり愉快でない話ですが、究極の不幸である「死亡の表現」についてです。
天皇の場合は「崩御」「お隠れになる」。
諸侯、貴人の場合は「薨去」。
僧侶の場合は「遷化」など様々です。
一般庶民の場合は「死亡」をはじめ、下品の言葉では、「くたばった」「おっちんだ」など沢山あります。
その他、「鬼籍に入る」「逝去」「他界」「死去」「死没」「永眠」「昇天」「逝く」「幽明界を異にする」など。

先日、ある雑誌を読んでいたら、「追悼 Y氏 死去」という見出しの記事があり、違和感をおぼえました。Y氏は、この雑誌と、その関連する世界においての功労者でした。そのY氏に対して「死去」という表現を使用していたのは、いささか敬意を欠く表現ではないかと感じました。私は、せめて、「追悼 Y氏 ご逝去」とでも表現するのが適当ではないかと思います。
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家の作りよう

2013-08-14 05:34:39 | 文学
ご承知の通り「徒然草」第五十五段に、兼好法師は家の作り方について述べています。
  
 家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。
暑き頃わろき住居は、堪へがたき事なり。
 深き水は涼しげなし。浅くて流れたる、遙かに涼し。こまかなる物を見るに、遣戸は蔀の
間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、灯暗し。造作は用なき所をつくりたる、見るも面白く、萬の用にも立ちてよしとぞ、人の定めあひ侍りし。

 簡にして要を得ています。蒸し暑い京都の住居は、夏場に涼しいことが重要なのでしょう。
 浅い水の流れがあると良いとか、蔀より遣戸が明るくて良いとか、天井が高いのは実用的
でないとか、無用なスペースがあるといいとか、なかなか細かい所にも気配りをしています。
 北欧の住居が、小じんまりしていて、暖房、照明が行き届きやすくなっている事とも、原理が似ています。

「徒然草」 日本古典文学大系30  岩波書店
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時間規律の誕生

2013-08-11 06:09:59 | 歴史
幕末に来日したお雇い外国人、オランダのカッテンディーケは、「日本人が時刻を守らない」と不平をこぼしました。不思議なことだと思いました。
腕時計がなかった江戸時代には時刻を守るという概念がなかったのでしょう。現代の日本では通勤電車は定時に運行し、宅配便は翌日の指定時に配達されます。幕末の日本が時間にルーズな社会であったのに、一世紀あまりの間に日本人はどのような経緯で時間を守るようになったのでしょうか。
東京大学の橋本毅彦教授は共同研究を組織して、このテーマを論文にまとめました。
その一人である鈴木淳教授は、明治期の官立工場において、出勤時刻を定める規則があったこと、鉄道運行において時間規律が徐々に定着していったことを挙げています。橋本教授は「時は金なり」という言葉は日本においては不正確であり、「時は命なり」と言うべきであろうと主張されています。しかも時間規律の定着は「二層構造」なっているという考察もあります。すなわち、学校、鉄道、工場などの近代制度においては、比較的速やかに時間規律が定着しましたが、それ以外の私的・公的領域においては、戦前には定着しておらず、定着したのは戦後以降のことになる、というわけです。ではそのような時間規律の定着はいつ頃のことになるのか。それが次の課題として残りました。日本人はいつからせっかちになったのか?現代人は社会のあらゆる場面で、時間の効率的利用が強く求められ、このような社会の「加速」の問題は、高度経済成長と関係があると述べています。携帯電話の普及が遅刻を終焉させたとか、各種新技術の登場は人々の時間の利用法に変化をもたらしています。また、コンピューターによる高速の株取引を頂点に、多くの領域で経済社会の加速化が進む一方、資源枯渇と地球温暖化により、有限な自然資源の消費速度の減速も、現在強く求められています。

橋本毅彦「遅刻の誕生」 「淡青」 東京大学
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嚢中三升の米 良寛

2013-08-08 06:05:18 | 文学
良寛の漢詩、五言古詩を紹介します。


生涯懶立身
騰騰任天真
嚢中三升米
炉辺一束薪
誰問迷悟跡
何知名利塵
夜雨草庵裡
双脚等間伸

生涯立身ニ懶ク
騰騰トシテ天真ニ任ス
嚢中三升ノ米
炉辺一束ノ薪
誰カ問ハン迷悟ノ跡
何ゾ知ラム名利ノ塵
夜雨草庵ノ裡
双脚等間ニ伸バス

「訳」

天性、立身出世ということにとんと欲がなく、ゆったりと自然のなりゆきにまかせて気をつかわない。袋にわずかの米と炉端に少しばかりの薪と、これが全財産といった暮らしぶりである。迷いや悟りといったことも論外のこと、まして名誉、利得のことなどには一切心は動かせぬ。雨の降る夜、誰にはばかることもなく楽々と足を伸ばして寝る。

極貧の生活で、物質的には恵まれていませんが、何物にもとらわれない豊かな精神を持ちつつゆったりとした境地に至っている良寛の姿が伺われます。この漢詩には現代の私達が得難くなった心境が述べられています。

吟剣詩舞振興会 「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」
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山本覚馬 管見

2013-08-05 06:29:09 | 歴史
NHK大河ドラマ「八重の桜」に出ている八重の兄、山本覚馬と、覚馬が著した「管見」の話です。山本覚馬(1828―1892)は會津藩の兵学の家に生まれ、若い頃より、刀、槍に長けていました。長じて「會津日新館」で文武を修めましたが、黒船が来航するや上京し、洋式軍事力の威力に驚嘆し、直ちに洋式兵学を学び、会津に蘭学所を創設して藩士を教え、三十歳にして藩の軍事取締役に就任しました。松平容保公に従って上洛し、砲術隊を率いて活躍する一方、洋学所を設けて諸藩の藩士にも講義をしていました。しかし鳥羽・伏見の戦の際に捕えられ、薩摩藩邸に幽閉されましたが、そこでは薩摩藩士との交流があったことや、その高い識見に敬意が払われ、一般の囚人と異なる厚遇を受けました。
慶応4年(1868)5月に約1ケ月かけて、「管見」という1万字におよぶ意見書を完成させました。これは、覚馬のこれまでの知識と経験のすべてを注ぎこんだものです。視力を失った覚馬が口述したものを、同じ会津藩士の野沢鶏一が筆記したという困難で根気のいる作業の賜でした。用語にも細心の注意が払われ、「管見」(細い管の穴から天下を見る意)というへりくだった表題がつけられています。
しかし、その内容は先見性にあふれた質、量ともに優れた意見書です。「管見」では、
21余りの項目に分けて論じています。内容が膨大なので各項目の要点のみを次に記します。

政権(体) 天皇制のもとでの三権分立
議事院   国会は二院にして大院(公卿、諸侯で構成)と小院(四民から選ぶ)
学校    京都、大阪、港湾地に学校を設置して政治、経済、法律、医学など国家建設に有用な学科を教授する。
国体    封建制から群県制に改める
建国術   国家の基本は農業ではなく商業・工業とする
製鉄法   鉄が文明の基本
貨幣    貿易を想定した上で紙幣を用いた金本位制
衣食    肉食と毛織物をとりいれた改善
女学    女子教育が重要、子供を立派な大人にするためにも肝要
平均法   遺産相続は全部の子供に平等、長男優遇を廃止
醸酒法   酒は主食の米からではなく、麦、ブドウ、ジャガイモから作る。
条約    外国軍艦の出入りを規制する
軍事    軍艦の建造は国家のみ
港制    兵庫開港時の受け入れ体制の構築
救民    種痘の奨励、性病防止の喚起
髪制    結髪の廃止
変仏法   墓守に堕落した僧侶に学問をさせ、寺を学校として開放
商律    損害保険制度の充実
時法    西洋と同じ24時間制
暦法    太陽暦を採用
官医    天皇の侍医は西洋医にする

全体を通して言えることは、効率と現実を見すえた合理性と驚くべき先見性です。
薩摩の西郷隆盛と小松帯刀はこれを見て驚嘆し、山本覚馬への待遇を変えたそうです。
また、岩倉具視は、「明治政府が実施すべき内容がすべて書いてある、このような事を書く人物が我が国にいたのか、しかも会津藩士にいたのか」と驚きました。後年、松方正義大蔵卿が、金本位制の創設に行き詰っていた時、明治初期にそれを唱えた「管見」の存在を知って驚き、覚馬と面会して意気投合したということです。
覚馬の知識は、師の佐久間象山、友人の横井小楠、交際のあった外国人や外国書に拠るものと言われます
覚馬は京都府顧問、京都市議会議長、同志社大学創立に携わり、1892年に65歳で永眠しました。
       鈴木由紀子「ラストサムライ 山本覚馬」NHK出版
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時代劇に出てくる剣術の流派

2013-08-02 05:01:29 | 文化
テレビで時代劇を楽しんでいますが、「子連れ狼」の拝一刀(おがみいっとう)と「酔いどれ小藤次」の赤目小藤次は共に剣術の達人、本当に強い。実際とドラマとでは、大変な相違があるのでしょうが、ドラマにおける達人は不敗です。
「子連れ狼」の拝一刀は、元・公儀介錯人で柳生一門と死闘を繰りかえします。剣術の流派は「水鴎流」、腰の剣は名刀、同田貫(どうたぬき)です。
「水鴎流」は、居合に剣術、鎖鎌術、杖術、薙刀術、さらには小具足と呼ばれる体術までを網羅した総合武術です。創始したのは、三間景延(みつまかげのぶ)で塚原卜伝の卜伝流の伝承者でした。居合は林崎夢想流を学びました。十二社権現に参籠して二十年目、鴎が水に浮いている光景を夢に見たことで悟りを開いたので、流派の名を水鴎流としました。「子連れ狼」の拝一刀を演じる北大路欣也が振う太刀は、とても派手なので、この剣技を観る者には衝撃を与えますが、現実の武道は昔ながらの伝統に基づく古武術です。現在も静岡県清水市に伝承されているそうです。
さて、赤目小藤次(あかめことうじ)は豊後国、森藩、久留島家(くるしまけ)の家臣でしたが、主君が恥ずかしめを受けたことを怒り、恥ずかしめを与えた大名家の行列から御鑓を拝借して仕返しをしたことがもとで浪人になりました。
小藤次が使う剣術が久留島水軍流で、船上での戦闘を想定した剣術です。小藤次は、義侠心に富み、心優しい武士であり、小気味のいい進退をするので見る者を魅了させてくれます。小藤次を演じるのが、竹中直人、「はまり役」で味のある演技をしています。美女にもてすぎるのが、少々気に入らないのは、私だけでしょうか。

      牧秀彦 「剣豪 その流派と名刀」 光文社新書
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