yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

パソコン 対 人間

2015-01-31 05:56:45 | 将棋
将棋においてパソコンと人間の戦いに興味が尽きません。
1996年に、羽生名人は、パソコンが将棋のプロに勝つのは今年、2015年(今年)と予想したそうです。ところが、2012年の将棋電王戦で米長邦雄永世棋聖はパソコン・ソフト 「ボンクラーズ」に敗北し、近年はプロよりパソコンが優勢です。羽生名人は、2015年という予想をした事に確固とした根拠がなかったとしていますが、素人から見ても、パソコンの棋力向上の速度には驚きです。羽生名人はさらに付け加えて次のように語っています。「今後も技術的な進歩や研究に対するコンピューターの影響力は間違いなく増していく。人間にしか指せない将棋もある。将棋ソフトに、いかに人間的なものを付け加えていくかが問われてくると思う。自分はプロデビューから今年12月で30年になるが、加藤一二三九段は60年。弱音を吐いたらいけませんね。、、、、、、、」羽生名人が記録を塗りかえるなど、さらに活躍されることをを祈念しています。
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歩(ぶ)留まり

2015-01-28 06:18:05 | 文化
 製造工場では「歩留まり」というと、100個を目指して製造した時に、例えば95個の良品が製造できたら、「歩留まり95%」と言います。すなわち、「歩留まり100%」が最高の製造ラインです。
最近、実生活に於いて、歩留まり96% を経験しました。昨年末、約100枚の喪中葉書を書きましたが、そのうち4人からは、結果として無視されました。4人のすべてに悪意があったわけではなかったのでしょうが、ともかく、96人にはこちらの意思が伝わったことになります。このことから、本例の意思連絡の歩留まりは96%程度だったということが分かりました。これが世間の常なのでしょう。
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わかりにくい標語

2015-01-25 07:00:51 | 文化
先日、1月7日にフランスでテロ事件が起きました。“Charlie Hebdo”という風刺週刊誌を発行するシャルリ・エブド社を過激派が襲撃して12人の社員が殺害されました。この直後にフランス国民は“Je suis Charlie”というスローガンを掲げて立ち上がり、デモ等を行いました。「Je suis Charlie」 は英語に訳すと”I am weekly Charlie ”。日本語だと“私は週刊シャルリ”でしょうが、これはわかりにくい標語ではないでしょうか。この事件で、「Charlie」は「言論と表現の自由」を象徴する語として使用されたと思われます。それなら固有名詞の「Charlie」と言わないで、例えば「自由」といえば、わかりやすいのではないかと思います。フランスには「私はシャルリ週刊誌は嫌いだ」「俺はシャルリではないぞ」という人もいるでしょうし、そうした人々を許容するのがフランスだと思っていました。
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バカの壁

2015-01-22 06:16:35 | 文化
養老孟司先生の「バカの壁」は、かつてベストセラーでしたから、皆様は良くご存じの事と思います。
自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまう。ここには壁が存在しています。これが一種の「バカの壁」です。本当は何もわかっていないのに「わかっている」と思い込む点が怖いことです。

私も歳をとってきましたので、歳相応に、脳の柔軟性が退化して、思い込みや頑固さが増えてきていると思いますが、周囲にも「バカの壁」を持っている人が沢山いるようです。ところで「バカの壁」の向こうには何があるのでしょう。「バカの壁」の向こうにはロマンがあるそうです。何かの拍子に壁が壊れることもあります。そのときに、向こう側にこれまで見たことがないような新しい世界が広がっているかもしれません。それはロマンではないでしょうか。 と養老先生は書いています。
私も、せいぜい「バカの壁」を低くして壁の向こうにあるロマンを見てみたいと思います。
一方、友人・知人との会話では、置かれた壁に気づいても「バカの壁」とは言わないほうが
いいかもしれません。

        養老孟司 「死の壁」 新潮新書

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原理主義

2015-01-19 06:13:07 | 文化
原理主義者とは自分の思想を絶対視する人を、否定的に指す言葉です。原理主義者は自分の意見を否定されると怒り狂います。原理主義者は他人の意見を全く認めませんが、利口者は認める振りだけするのでタチが悪い、とも言われています。その結果として、原理主義が蔓延する場合があるそうです。またイスラム教やキリスト教の一部には原理主義者がいますが、両者が衝突すると深刻な争いや殺し合いになったりします。原理主義は、狂信と同じではないでしょうか。世界中の紛争の原因の一つに、原理主義者の宗教間や宗派間の対立があるようです。
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飲湖上初晴後雨 蘇軾

2015-01-16 05:51:36 | 文学
北宋の詩人 蘇軾の漢詩です。

飲湖上初晴後雨
(湖上ニ飲ス 初メ晴レ後ニ雨フル)

水光瀲艶晴方好
山色空濛雨亦奇
欲把西湖比西子
淡粧濃抹総相宜

水光瀲艶(れんえん)トシテ晴レテ方(まさ)ニ好ク
山色空濛トシテ雨モ亦タ奇ナリ
西湖ヲ把ツテ西子ニ比セント欲スレバ
淡粧濃抹(たんしょうのうまつ)総(すべ)テ相宜シ

「訳」
水の光はさざなみを浮かべ、晴れたときの景色はまさにすばらしい
一方、霧のように山をつつんだ雨の景色も、またひときわのながめだ
晴れても雨でも美しい西湖の姿を、いにしえの美女西子(西施)にたとえて見る
ならば、薄化粧、たんねんな化粧、なべてみな風情がある。

「鑑賞」
蘇軾は26歳で官に就いたが、36歳のとき地方転出を乞い、杭州の副知事となった。
この詩はその在任中の作。「湖」は市の西の名勝地西湖で、その優美さを巧みに表現した詩
として名高い。蘇軾は、この後、左遷された土地にあっても逆境に負けず、ひもじい時は口をぱくぱくさせる亀をまねて、空腹をまぎらわせたということです。また安価な豚肉をぐつぐつ煮て食したという話もあります。これは東坡肉として現在に伝わっています。亀のまねと東坡肉の発明は、秀才官僚らしくない蘇軾の人柄が窺えます。

石川忠久 「NHK漢詩紀行」 日本放送出版協会

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変則将棋

2015-01-13 05:11:06 | 将棋
将棋の駒はいわゆる「本将棋」を指すために使いますが、この将棋の駒を使って変則的な遊びができます。「がっちゃん将棋」「回り将棋」「挟み将棋」は子供の頃によくやりました。このほかに、「王手将棋」「二手指し将棋」などがあるそうです。いずれも、基本ルールは、将棋と同じですが、独特のルールがあります。

 王手将棋のルール
  一方が王手をかけた時点で勝ちが決まる。持ち駒で王手をかけてもよく、打ち歩で王手を
  かけてもいい。

 二手指し将棋のルール
  一度に二手ずつ指せる。最初の先手に限り一手しか指せない。王は詰めるのではなく取る
  まで行う。

プロ棋士でもミスすることがありますし、「王手将棋」も「二手指し将棋」もルールは単純ですが、奥深いもののようです。
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反証主義

2015-01-10 05:52:58 | 文化
少々、理屈っぽい話です。ある本を読んでいましたら、「反証」とか「反証主義」という言葉があり、直ぐには理解ができませんでしたので調べてみました。
「反証」は、ある主張が偽であることを証明すること。
「反証主義」は、厳しい反証テストを耐え抜いた仮説ほど信頼性が高い、とみなす考え方
とありました。

科学には反証が必要と言われます。反証されえない理論は科学的理論ではないのです。

例えば、アインシュタインの相対性理論は、繰り返し、反証が否定されました。
「太陽の重力により、空間が歪まなければ、太陽の向こうにある星を見ることができない」という反対仮説は、日食の時に太陽の向こうにある星が観測された事実により、否定されました。
近年でも、ヨーロッパのCERNのある研究グループが、光速よりも速く飛ぶ粒子を発見したという仮説を提示した事がありました。私も推測しましたが、これは単に測定のミス(未熟な測定)が原因でした。

ところで、最近話題となった「STAP現象またはSTAP細胞はあります」ですが、この主張は、根拠となる証拠やデータが無く、再現性の確認もできませんでした。いわば科学的主張以前のものであり、O氏の妄想または空想と言われても仕方がないようです。

        養老孟司 「バカの壁」 新潮新書
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小さな改善

2015-01-07 06:21:47 | 文化
新年早々、自慢話をするようで恐縮ですが、昨年、地域のために行ったささやかな改善運動の話です。拙宅の前の道路は車の通行がかなり頻繁にあります。坂道で、かつカーブしているので見通しが悪く、高速で走行してくる車が良く見えないことがあります。いつも出すゴミの集積場が道路の向こう側にありますので、私の近所の16軒は、道路を横断してゴミを集積場に出す必要がありました。毎週のゴミ捨ては危険で、大げさにいうと命懸けでした。(実際過去に犠牲者も出ていました)。
当初、市役所の担当課に頼んで、「歩行者に注意」という立看板を出してもらいました。しかし、見ないドライバーもいて、これだけでは余り効果がありませんでした。そんな折、ゴミ集積場を道路の向こう側から、手前に移すことができたら、道路の横断が不要になり根本的な解決になると気づきました。ゴミ集積場の設置は、新しい集積場となる所の地主さんに、まずは同意してもらう必要があります。しかし誰しも自分の土地の前に集積場を設置されたら嫌に決まっています。ですから同意を取り付けることは困難だと、皆が考えていました。しかし、新集積場として候補に上がったのは、現在貸し駐車場となっている前の歩道ですので、そこならゴミ集積場を設ける事ができるのではないかと思いつきました。
まず、移動を要請する趣意書を作成し、新集積場を利用する近隣16軒の署名を集めました。これを町内の自治会長さんに渡し、ゴミ集積場の移動に関する交渉をお願いしました。
直ぐに現場確認がなされ、自治会長さんは地主および市役所の担当課と交渉して、承認を取り付けて下さいました。こうしてゴミ集積場の移動が実現し、現在では道路を横断することなく、安全にゴミを捨てることが出来るようになりました。改善運動は、企業などでは日常的に行なわれていることを承知していますが、地域でやれたのは珍しいことでした。今回の改善運動では、近隣の16軒の方々すべての署名をいただけたことが大きい力になったのではないかと考えています。身の回りの小さな改善活動(民主主義の第一歩)により、安全な生活ができるようになって皆が満足しています。
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知魚楽

2015-01-04 06:08:46 | 文学
紀元前約400年前の書物、「荘子外篇、秋水」の最後に「知魚楽」の一節があります。
ある時、荘子と恵施が濠水にかかる石橋の上を散歩しました。その時、荘子は橋の下を眺めながら恵施に言いました。「魚がいかにものんびりと泳ぎまわっているが、これこそ魚の楽しみである。」すると恵施は答えました。
「きみは魚でないのに、どうして魚の楽しみが分ろうか。」荘子は
「きみは僕でないのに、どうして僕に魚の楽しみの分らないことが分ろうか。」恵施は
「僕はきみでないから勿論きみのことはわからないさ。けれども僕にきみのことがわからないとすれば、同様にしてきみは勿論魚でないから、きみに魚の楽しみが分らないことも決定的だ。」荘子はいいました。
「そんな言葉の遊戯は止めにして、根本に立ち返って議論をしよう。きみはいま僕に魚でないのに魚の楽しみなど分りっこないといったが、それはきみが僕に魚の楽しみが分っていることを知っていて質問したのである。すべて真実なるものは人間の分別知や言論では捉えることができず、議論を超えた境地で体得されるほかない。きみが議論の上で肯定するにせよ否定
するにせよ、きみ自身は議論を超えたところで僕の知っていることを既に理解しているのであるから、それと同じく、僕はまた魚の楽しさをこの濠水の橋上にいて議論を超えた境地で理解するだけである。」
 
わかりにくい話です。恵施の完全否定は詭弁であるが、荘子の言葉も詭弁だと言う研究者もいるそうです。荘子は「真実は議論や言葉を超えた境地で体得するものだ」といっていますが、
禅宗などの宗教的な「悟り」にも通じているような気がします。中国では紀元前約400年頃に、このような高度な思索がなされ書物になっていることに驚きます。
一方、この同じ中国が、昨今、日本の小島周辺であまたの漁船をしたてて貴重な珊瑚を密漁している事実を思うと、その品格の落差に唖然とするばかりです。

        福永光司 「荘子 外篇」 朝日新聞社
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