yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

過ちを改めず 論語

2018-12-29 14:43:38 | 文学
「論語」衛霊公にある 言葉を紹介します。
子曰、過而不改、是謂過矣
子曰ク、過チテ改メザル、是ヲ過チト謂フ
先生がいわれた。「過ちをしても改めない、これを本当の過ちというのだ」
人は自分の過ちに気づきにくく、それを他人から指摘されても過ちと認めたく
ない。まして、改めることを潔しとしない傾向があります。こうした事を孔子
は諫めました。

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筍を焼く 高啓

2018-12-14 06:17:38 | 文学
明の詩人、高啓の五言絶句を紹介します。

 

焼筍

幽人嗜焼筍
出土不容長
林下孤煙起
風吹似竹香

筍ヲ焼ク

幽人焼キシ筍(たけのこ)ヲ嗜(たしな)ミ
土ヲ出(い)ヅレバ 長(の)ブルヲ容(ゆる)サズ
林下 孤煙起コリ
風吹ケバ 竹ノ香ルニ似タリ

「訳」

ひっそりと隠れ住む人は焼いた筍を好んで食べ、
土から出ると、大きくなるのを許さない。
林のなかから、煙がひとすじ立ちのぼり、
風が吹くと、竹が香るようだ。

 「鑑賞」

高啓は身近な風物や家族から、歴史や自然にいたるまで、多種多様の題材をとりあげ、巧緻に歌う多作型の詩人ですが、実人生は波乱万丈でした。

  井波律子 「中国名詩集」岩波書店



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羽生竜王 2000対局に到達

2018-12-11 06:08:33 | 将棋
将棋の羽生善治竜王が、11月21日に行われた対局に勝ち、対局数2000回に到達しました。これは史上、最速の偉業でした。過去に2000対局に到達した棋士は他に6人いましたが、皆、名棋士です。プロ棋士になってから、速い期間に達成した順にその勝率と共に下に列記しました。
   氏名      期間     勝率
 羽生善治    32年11ヶ月   0.709
 谷川浩司    37年8ヶ月   0.620
 中原 誠    38年4ヶ月   0.535
 加藤一二三   43年6ヶ月   0.583
大山康晴    45年10ヶ月  0.664
 内藤國雄    46年10ヶ月  0.554
 有吉道夫    50年4ヶ月   0.530

羽生竜王の数値は、期間、勝率共に飛び抜けて優れています。
5位の大山氏の場合は、時代は古いですが、勝率の高さが目立ちます。
最高対局数記録は、2505対局であり、76歳で引退した加藤一二三九段が達成しました。

ちなみに藤井聡太七段は、約1年で100対局をしていますので、これが継続すると
仮定した場合、2000対局になるのは20年と計算されます。




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放てば手に満てり

2018-12-08 07:01:19 | 文学
「正法眼蔵」にある道元禅師の言葉です。
放てば手に満てり
放つのは、金品、名誉欲、欲望、執着、煩悩などです。これらを一旦、捨てると、新たな価値が手に持てない程獲得できるという意味だそうです。物品の整理をする時などにも参考になる教えではないでしょうか。

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パンドラの箱

2018-12-05 06:06:03 | 文化
パンドラの箱の話はギリシャ神話にある禁断の箱です。全能の神、ゼウスは、ある人類の女性に箱を渡して、この箱を絶対に開けてはならないと言いました。ところが、ある日、その女性、パンドラは、好奇心に負けて、つい、箱を開けてしまいました。すると、あらゆる悪と災厄がこの箱から世界に飛び出して行きました。箱の中に最後まで残っていたのは希望であったそうです。
さてパンドラの語源は、ギリシャ語のpanのパン(all、すべてを意味します)ドラはギリシャ語のdoron(gift、贈り物を意味します。パンドラは、神々からあらゆる美質を与えられた人類最初の女性とも言われています。このような美しい女性が、災厄の元となった話には
深い含蓄を覚えます。

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江戸城は難攻不落

2018-12-02 06:13:18 | 歴史
江戸時代 初期、1651年に軍学者、由井正雪が企てた 慶安の変がありました。計画は未然に発覚したのですが、江戸城を攻略して幕府転覆を狙った事件でした。歴史に関して造詣が深い4人の論客が、首謀者、由井正雪に成り替わって江戸城を攻略する仮想の方法を議論しました。4人の論客とは千田嘉博氏(城郭考古学)、磯田道史氏(歴史学、)小谷賢氏(歴史学)、門井慶喜氏(作家)でした。千田教授によれば、徳川家康が全国の大名に命じて普請をした江戸城の堀は深く、広い、石垣は堅固で高い、門は堅固でかつ、枡形という防御陣地があって、外部からの攻略は困難、場内の通路は屈曲が多く、弓、鉄砲では攻撃困難、各所に忍者や武士の監視所があるなど、万全の対策が施してあり、江戸城を武力で攻略するのは不可能というのが主張であり、他の論客もこれに上回る攻略法を提案できませんでした。
さて、慶応4年(1872)に、この難攻不落の江戸城は武力攻撃されることなく、無血開城され、江戸城も江戸の市街も住人もすべて無事でした。諸外国の介入もありませんでした。政権交代の際に、万事無傷であったことは、他に殆ど例がなく、歴史上の奇蹟といわれます。人が守るべき道、社会があるべき姿をわきまえた、私利私欲の無い優れたリ-ダ-の存在が首都と日本を救った快事だったと思われます。


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