yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

大正天皇の漢詩

2010-02-25 08:24:48 | 文学
大正天皇、明宮嘉仁(はるのみやよしひと)様(1879-1926)はご病弱であり、また、明治と昭和に挟まれた大正時代は僅かに11年でしたので、大正天皇への人々の印象は弱いといわれています。しかし、この天皇は文学に秀でられ、侍講、三島中洲(みしまちゅうしゅう)の指導のもとで、生涯に1367首もの漢詩を賦されました。この数は歴代天皇のうちでもだんとつの一位であり、後光明天皇(第110代)の98首、嵯峨天皇(第52代)の97首を圧倒されています。

 明治29年5月に目黒村をご遊行され、ついで西郷従道(つぐみち)侯爵の別邸でご休息になった際に、目黒村のことを詠まれた七言絶句を以下に紹介します。

   過目黒村

   雨余村落午風微
   新緑陰中胡蝶飛
   二様芳香来撲鼻
   焙茶気雑野薔薇

   雨余の村落午風微なり
   新緑陰中胡蝶飛ぶ
    二様の芳香来りて鼻を撲(う)つ
茶を焙(い)るの気は雑(まじ)はる野薔薇に

この漢詩はきちんと韻が踏まれています。前半二句の導入の後に続く後半の二句の、茶を焙る香と野薔薇の香、この二つの異質の香のどちらも快い芳香である、という着眼は、閃きがあり秀逸であるといわれています。
  さて、大正天皇の侍講、三島中洲(1831-1919、元備中松山藩士)は、初め備中の山田方谷に弟子入りをし、後に昌平黌に学び、漢学塾の二松学舎を創設し、その後に東京大学の漢学教授も務めました。南摩羽峰(なんまうほう、元会津藩士)、重野安繹(しげのやすつぐ、元薩摩藩士)とともに文章家として明治三大家と言われました。

   石川忠久 「漢詩人 大正天皇」 大修館書店
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儒教と漢字文化圏

2010-02-22 06:47:58 | 文化
儒教は孔子を始祖とする思想と信仰の体系です。紀元前に中国で興り、東アジア各国(中国、台湾、南北朝鮮、日本、ベトナム等)に2000年以上に亘って強い影響力を与えてきました。尭、舜、文武周公などの古代の君子の政治を理想の時代として、仁義、忠孝の道を実践し、徳による王道で天下を治めるべきであるとして、武力による統治、覇道を批判してきました。儒教の聖典を四書・五経といいます。四書は大学、中庸、論語、孟子であり、五経は、易教、書経、詩経、礼記(らいき)、春秋です。日本の江戸時代には、儒学の中でも宋時代に始まった朱子学が盛んでしたが四書、五経を学ぶことをもって学問とされました。即ち、修身・斉家・治国・平天下に努めることが男子の本懐とされました。つまり、自身は学問を修め、一家を斉(ととの)え、国を治め、天下の安泰をはかることです。一方、儒教は礼儀と節義、廉恥を重んじた武士道とも深く関わっていました。
 また、東アジアは漢字を使う漢字文化圏でもありますが、実際の内容は中国語を話す文化ということではなく漢文を読み書きする文化圏であり、儒教国家と見事に重なっています。漢字文化圏、儒教国家は、礼節を重んじ、穏健であり、国家間の紛争が比較的に少ない地域と言えるのではないでしょうか。
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早春賦

2010-02-19 08:29:33 | 文化
有名な唱歌「早春賦」は1913年(大正2年)に吉丸一昌が作詞し、中田章が作曲し、「日本の歌百選」に選ばれている名曲です。長野県の安曇野の早春の情景が歌われています。

   春は名のみの 風の寒さや
   谷の鶯 歌は思へど
   時にあらずと声も立てず
   時にあらずと声も立てず

   氷融け去り 葦は角ぐむ
   さては時ぞと 思ふあやにく
   今日も昨日も 雪の空
   今日も昨日も 雪の空
   春と聞かねば 知らでありしを
   聞かば急かるる 胸の思ひを
   いかにせよとのこの頃か
   いかにせよとのこの頃か
   
旋律は「知床旅情」と似ています。どちらも抒情豊かないい歌です。
コメント (1)
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木村一基八段の激励

2010-02-16 07:48:55 | 将棋
  将棋のプロ木村一基(きむらかずき)八段は、将棋の順位戦ではバリバリのA級棋士です。今期(昨年4月から開始)は今までのところ、3勝4敗と成績が振るっていません。
先日の4勝3敗の郷田正隆九段との戦いでは、持ち味の粘りを発揮して奮闘しましたが、善戦むなしく郷田九段に敗れ、A級に残留するための貴重な一戦を失い、落胆の表情が隠せなかったそうです。さて深夜に感想戦が終わり、郷田九段が退室すると、木村八段は傍で記録をとっていた鵜木学三段に微笑を向け、「三段リーグは残念だったね。でも、これまでの努力はどこの世界に行っても報われるから頑張ってね」と言ったということです。鵜木三段は年齢制限で、3月にプロの養成機関である奨励会を去ることが決まっていました。「それにしても大事な将棋に負けた直後に、このような言葉をかけられる棋士がほかにいるだろうか」と「朝日新聞」の観戦記者の大川慎太郎氏は書いています。
 鵜木三段にとっては大先輩からの激励が何よりも嬉しかったのではないでしょうか。また、敗戦の失意の中にもかかわらず、奨励会を去る後輩にこのような激励をすることを忘れない木村八段の優しさには胸を打たれます。
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太公望 呂尚

2010-02-11 08:05:30 | 歴史
ご承知の通り、太公望というと釣り人を指します。江戸川柳にも
「釣れますか などと文王 そばにより」というのがあります。
中国では太公望の魚釣り、すなわち「太公釣魚」は「下手の横好き」というニュアンスがあるそうです。呂尚、後の太公望は、もともと釣りによって魚を採るという意志がなかったため、釣り針は曲がりが無く真っ直ぐで、また釣り針は水中になくて水面上三寸のところにあったと言われています。この姿には何やら哲人めいた雰囲気さえ感じます。
こうしたある日、呂尚が渭水(黄河の支流)で釣りをしていたところ、周の文王がそこに来て「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と言い、召し抱えたということです。その後、呂尚は軍師として文王の子の武王をたすけて「牧野の戦」で殷に勝利し、周王朝を開くのに貢献しました。
呂尚の政治姿勢は、従来の血縁主義より実力を重んじた合理的なものであったとのことです。やがて呂尚は斉の国(現在の山東省など)に封じられて斉の始祖になりました。古い始祖を持つ歴史ある斉の国は、春秋五覇の一人である桓公(かんこう)を生み出すなど、格上の国として繁栄しました。
 現在の中国の「釣魚台(ちょうぎょだい)国賓館」は、中国政府が外国の賓客をもてなす施設です。嘗て皇帝が魚を釣ったための台があったことから「釣魚台」の名がついています。このように中国の貴人は昔から魚釣りを好んでいたようですが、我が国でも江戸時代、庄内藩などでは藩士に釣りを奨励していました
 大昔の紀元前11世紀のこの太公望の故事、すなわち魚釣りのことが、歴史の記録として残っている中国文化は誠に驚くべきものだと思います。
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包丁

2010-02-08 06:45:30 | 文学
包丁は食品を加工するための刃物で料理器具の一つです。ナイフは押し切りますが包丁
は引き切るという特徴があります。
包丁の語源は紀元前4世紀に書かれた『荘子』の「養生主篇」(ようせいしゅへん)に出てくる庖丁(ほうてい)の話に由来します。「庖」は調理場、「丁」は召使いの男、すなわち、調理場で働く男を意味します。「包丁一本晒に巻いて、、、」と「月の法善寺横丁」に歌われているごとく、刀が武士の魂であるように包丁は板前の魂のようなものです。

 「荘子」に書いてある逸話は次のようなものです。

庖丁文惠君ノ為ニ牛ヲ解(りょうり)セリ。手ノ觸ルルトコロ、肩ノ倚ルトコロ、足ノ履ムトコロ膝ノカガマルトコロ、カク然キョウ然トシテ オトタテ刀ヲ奏(すす)メ ウゴカスコトカク然トシテ音ニ中(あた)ラザル莫(な)ク 桑林ノ舞ニ合(かな)イ、乃(すなわ)チ経首ノ會(しらべ)ニ中(あた)ル
文惠君曰ク、「アア、善イカナ。技モ蓋シ此ニ至ルカ」ト
庖丁ハ刀ヲ釈(お)イテ対(こた)エテ曰ク、「臣ノ好ムトコロノモノハ道ナリ。技ヲ進(こ)エタリ。始メ臣ノ牛ヲ解(りょうり)セシ時、見ルトコロ牛ニ非ラザルモノナカリキ。三年ノ後ニシテ未ダ嘗ツテ全キ牛ヲ見ザリキ。今ノ時ニ方(あた)ツテハ、臣(わ)レ神(こころ)ヲ以テ遇(あつか)ヒ、目ヲ以テ視ズ。官知(かんち)止ミテ神欲(しんよく)行ハル」

料理の名人・庖丁が、ある時、梁の惠王のために牛を料理して見せました。手の触れる様子、肩の寄せ具合、足のふんばり具合、膝の曲げ具合など、その身のこなしが堂に入っていて、何とも見事でした。王は「技も此に至るか」と感嘆の声をあげました。すると庖丁は刀をおいて
答えました。「私が好むところのものは道です。技を越えたものです。始め牛を料理した時分
には目にうつるものはただ牛ばかりで、どこから手をつけてよいのか見当もつきませんでした。しかし三年たってようやく牛の体のそれぞれの部分が見えるようになりました。今では私は、形を超えた心のはたらきで牛をとらえ、感覚知覚に頼って仕事をすることがなくなり、精神のはたらきだけが活発に行われるようになりました。」

道に達した、料理の名人、庖丁にちなんで、今日では料理用の刃は包丁と呼ばれるようになりました。
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お礼

2010-02-08 06:42:03 | 近況
いつも、私のブログをご覧いただきありがとうございます。
お蔭さまで、昨日、アクセス数が7万に到達いたしました。
平成18年の3月に書き始めてから約4年になりました。
この間に70,000アクセスは、望外のハイペースではないかと喜んでおります。
引き続き、ご愛読いただければ、有り難く存じます。なお、折々にコメントを頂戴できれば大変、励みになると存じます。

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大サン・ベルナール峠

2010-02-04 08:20:51 | 文化
スイスのローヌ渓谷からヨーロッパ・アルプスを越えてイタリアのアオスタ谷に行くのに通るのが大サン・ベルナール峠(標高2472m)です。フランス語表記はCol du Saint Bernard、イタリア語表記はColle del San Bernardo、これらの英語読みはセイント・バーナードです。この峠のホスピスで育てられている犬が有名なセント・バーナード犬です。(写真)首にブランデーの樽を下げたおとなしい巨大犬で、嘗て山岳救助犬として活躍しました。私は1992年にユング・フラウの麓のクライネシャイデックでこの犬を見て、あまりの大きさに驚きました。撮影の時も一緒に入ってくれる気のいい犬です。嘗て、イギリスの雑誌には「セント・バーナード犬を求めるにはサン・ベルナール峠の麓の町マルチニで買うのが良い、ただしブランデーは別売り」などという広告もあったとか。峠には修道院やナポレオン時代の馬車の轍が残っていて、小さな湖もあり、美しい場所だそうです。
ここはフランスとイタリアを結ぶ交通の要衝で、1800年5月には4万の兵士を率いたナポレオン・ボナパルトが大砲を運搬しながらこの峠を越えてイタリアに攻め込みました。この時、峠でワイン約2万本、チーズ1.5トン、肉800kgを調達しましたが、この時には料金は一部しか支払わず、峠のホスピスに対して残金分として4万フランの借用書を書きました。その借用書がこのホスピスに今日まで約200年もの間残っていたため、1984年にフランスのミッテラン大統領がこの借用証に基づいて精算をしたそうです。現在のレートで4万スイスフランは日本円で約300万円です。1800年(江戸・寛政時代)のお金を最近の時価に正確に換算することはできませんが、多分、億円の単位になると思われます。何百年も前の事を請求するスイスもスイスらしいですが、支払ったフランスもおおらかで、お国柄が出ていると言えるのではないでしょうか。

コメント (2)
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豆腐と納豆

2010-02-01 08:53:49 | 文化
学生時代の恩師から豆腐と納豆は、その漢字が実際の物と異なっていて入れ替わっているようであるという話を聞いたことがあります。すなわち、豆を腐らせたのが納豆であり、豆乳を箱に納めて固まらせたのが豆腐だということでした。
 豆腐は、歴史が古く紀元前2世紀、前漢の時代に淮南(わいなん)王、劉安により発明された食品と言われており、日本には奈良時代に遣唐使が唐から持ち帰り伝わりました。貴重な蛋白源としてアジアでは、中国をはじめ、韓国、ベトナム、タイ、ミャンマー、インドネシアなどで日常的に広く食べられています。豆腐の「腐」という字の原義は「肉が腐る」とか「乳状の物を凝固させる」という意味があり、豆乳を凝固させた豆腐にこの「腐」という字が当てられました。牛乳を発酵させて凝固させたチーズは「乳腐」といわれます。豆腐は中国音でdoufuですので日本では最初からとうふと呼ばれていたようです。
 一方、納豆は中国雲南省、ネパール、ベトナム、タイ、カンボジア、ラオス、インドネシア
など東南アジアで広く食べられている食品です。日本では、昔から寺院の納所(なっしょ、台所)で大豆を発酵させて作られたことから納豆と呼ばれました。日本では豆を納めるという意味はありませんので、確かに豆腐と納豆は、内容と漢字が入れ替わっているように思われます。
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