yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

「情報が錯綜」に違和感

2013-01-29 07:25:13 | 文化
日本人10人が犠牲になった「アルジェリア人質事件」の報道において、「情報が錯綜」という言葉がよく言われました。「錯綜」という言葉の意味は、「複雑に入りくむこと。入りまじること」です。アルジェリア発の情報は不確実で入りくんでいたであろうことは事実なのでしょう。複数の情報発信者があり、異なる情報がたくさん出ており、その上、軍による情報統制が厳しく行われていたようです。
しかし、テレビ局などのメディアや政府発表における「錯綜」という言葉を聞いて、私は強い違和感を持ちました。メディアや政府機関には、国民(視聴者)に正しい情報を迅速に公表し、伝える義務があると思っています。以下、偉そうな発言をお許し願えれば。
情報を発表する当事者は、情報を集め、分析して、内容を確認して発表するのが任務のはずです。その当局が「情報が錯綜して分からない」と言うのは、自身の無策、無力を公言し、悪いのは、あたかも、他人(アルジェリア側)だと、言っているのと同じ様に聞こえます。
発表はもっと謙虚に客観的に行うべきではないかと思います。すなわち、「現時点では、確実な情報をつかんでおりません。引き続き情報収集に努力しているので、わかり次第発表します」とするべきではないでしょうか。
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晁卿衡(ちょうけいこう)を哭す  李白

2013-01-26 06:40:21 | 文学
李白が阿倍仲麻呂を悼んで賦した七言絶句です。

哭晁卿衡

日本晁卿辞帝都
征帆一片翹蓬壺
明月不帰沈碧海
白雲愁色満蒼梧


晁卿衡ヲ哭ス

日本ノ晁卿 帝都ヲ辞シ
征帆一片 蓬壺ヲ翹(めぐ)ル
明月帰ラズ 碧海ニ沈ミ
白雲愁色 蒼梧ニ満ツ



「訳」

わが友、日本の晁衡どのは、都長安に別れを告げ、一艘の帆かけ船に乗って、遠く東方の海上にある蓬莱の島を翹り去った。清らかな月のような晁衡どのは深い海に沈んで帰らぬ人となった。白い雲が憂いをおびて、蒼梧の山に広がっている。

晁衡(朝衡)は阿倍仲麻呂の中国名。遣唐使の随員として、吉備真備と共に唐に渡り、717年に長安に到着し、唐王朝に仕えて玄宗の厚遇を受けた。入唐後35年、56歳の時(753年)に、ようやく帰国を許され、蘇州から乗船したが嵐にあって難破、安南(ベトナム)に漂着した。それから再び長安にもどり、日本には帰らなかった。李白は、仲麻呂の遭難を知って、仲麻呂が死んだ(誤報)と思いこの詩を作ったという。王維も晁衡の帰国の宴で五言古詩を贈っている。
なお「小倉百人一首」に収められている仲麻呂の歌、
 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
にあたる仲麻呂の漢詩「望郷詩」は西安の興慶公園に記念碑となって刻まれている。
  
望郷詩

翹首望東天
神馳奈良辺
三笠山頂上
想又皎月円


首(こうべ)を翹(あ)げて東天を望み
神(こころ)を馳す 奈良の辺り
三笠 山頂の上
想うに又た皎月(こうげつ)は円(まどか)ならん

という優れた漢詩です。
皎月は白い月のことです。

はるか昔、奈良時代には、阿倍仲麻呂のように唐にわたり、玄宗皇帝に仕える官吏となって、皇帝の親任を得、李白や王維と親交を結んだ立派な文人がいたものです。

石川忠久 「漢詩紀行」日本放送出版協会
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大山康晴 「助からないと思っても助かっている」

2013-01-23 06:21:38 | 将棋
将棋の大山康晴十五世名人は、「助からないと思っても助かっている」という言葉を好んだということです。(下の写真は私が持っている駒箱の上蓋です。)この言葉は、名人自身が言ったようにも思われていますが、実は支援者の某会社社長が、陶芸家の河井寛次郎氏に頼んで名人に贈った陶板に記されていた言葉だそうです。将棋では二枚腰を身上とした大山さんならではの重みがあります。大山さんの将棋には「終盤が二度ある」と、よく言われたように、大山さんの二枚腰には多くの挑戦者が苦杯をなめさせられました。
 この言葉には戦況が悪い時でも諦めない不屈の意志を感じますし、このような気持ちを持つことが大切なのでしょう。








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毛利家の正月

2013-01-20 06:34:28 | 歴史
江戸時代、長州の毛利家の新年には、藩主と重臣の間で次のような問答がされてきたということです。
家老 「殿、徳川追討の件、今年はいかがいたしましょうか。」
藩主 「いや、時期尚早ゆえ、来年に延期するとしよう。」
関ヶ原で敗れてから264年間、この問答は恒例として毎年引き継がれていたといいます。ただし、このエピソード、真偽のほどは定かではありません。
1600年、関ヶ原の戦で西軍であった毛利家は、東軍・徳川家に敗れました。この後、西国11国の大守であった毛利公は、中国地方の西の端、防長(周防・長門)2州に押し込められました。11ケ国とは、出雲、伯耆、安芸、岩見、隠岐、因幡、備後、備中、備前、美作、播磨を指します。関ヶ原の後、毛利公は家臣団を捨てることなく、すべて防長(長門・周防)2国に引き連れて行ったということです。養うべき家臣団の数は同じなのに、11ケ国から2ケ国に減封されたのですから、石高は約5分の1になったのです。当然収入は5分の1になり、貧困にあえぎ、毛利家の家臣達が徳川将軍を怨んだであろうことは想像にかたくありません。家臣団は寝る時、足を東に向けるのが慣習になっていたとも言われます。冒頭のエピソードのようなことが本当にあったのかも知れません。
 つまり、戊辰戦争は、260余年に亘って蓄積された長州藩の怨念が原動力の一つでした。
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恩師からの賀状

2013-01-17 06:43:41 | 文学
新年に恩師から嬉しい賀状が届きました。

「恭頌新禧」のほかに、「并祝文祺」とありました。「文福を祝う」と受け止め、ありがたく頂戴しました。
中に次の漢詩がありました。

新年書懐

相携再訪古遼州
往昔青梅今好逑 
共喜迎春偕老誓
八旬翁媼不知愁

相携ヘテ再ビ古遼州ヲ訪フ
往昔ノ青梅 今好逑(きゅう) 
共ニ迎春ヲ喜ビ 偕(ともに)老ユルヲ誓フ
八旬ノ翁媼愁ヲ知ラズ

先生は昨年の秋に旧満州を旅行されました。
逑(きゅう)は「詩経国風」にもありますが、妻という意味です。
お健やかで仲睦まじいご夫妻の様子が伺えます。
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懸賞詰将棋

2013-01-13 06:38:56 | 将棋
将棋に関する月刊誌に、毎月「懸賞詰将棋」が出題されます。「将棋世界」2013年1月号には、元名人の谷川浩司九段(現在、日本将棋連盟会長)が出題していました(下図)。いつも、懸賞詰将棋は30~60手と手数が長く、解くのが難しいのですが、この問題も私にはとても難しいものでした。延べ3日間、睡眠と食事などの時間を除いて正味20時間程度考えて、結局諦めました。
私は将棋ソフト「柿木将棋」というのを持っており、パソコンの中に保存してありますので、このソフトに問題を解かせました。その結果は「パソコン恐るべし」。パソコンは僅か2秒で答を出しました。総手数101手でした。(私が解いた手順は44手目までは、正解手順と合っていました。)
プロ棋士でもコンピューターと対戦して負けることがありますが、101手の詰将棋を僅か2秒で解くことを見れば、コンピューターが非常に強いことがよくわかります。
正解手順を求めることのみが目的の場合には、3日間も考えるのが馬鹿馬鹿しくなってきます。(しかし勿論、詰将棋問題を考えることは、棋力向上に有効であることは言うまでもありません。)
正解では、王手を続けながら相手の玉を左右に移動させ、手順を尽くして、飛車でまず2四の桂馬を取り、続いて8四の歩と9四の香車を取って持ち駒を増して詰めるという凝った趣向を秘めています。(金知恵の輪)





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春望  杜甫

2013-01-10 06:54:53 | 文学
杜甫の有名な五言律詩です。

春望

国破山河在
城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭掻更短
渾欲不勝簪

国破レテ山河在リ
城春ニシテ草木深シ
時ニ感ジテハ花ニモ涙ヲ濺(そそ)ギ
別レヲ恨ンデハ鳥ニモ心ヲ驚カス
烽火 三月(さんげつ)ニ連ナリ
家書 万金ニ抵(あた)ル
白頭掻(か)ケバ更ニ短ク
渾(す)ベテ簪ニ勝(た)エザラント欲ス

「訳」

国都 長安の町は賊軍のためにすっかり破壊され、あとには山と川が昔のままにある。
荒れ果てた町にも春がやってきて、草や木が深々と生い茂っている。
この戦乱のなげかわしい時節を思うと、花を見ても涙が落ち、
家族との別れを悲しんでは、鳥の声にも心が痛む。
戦ののろしは三か月もの長い間続き、
家族からの手紙はなかなか来ないので、万金にも値するほど貴い。
たび重なる心痛のため、白髪はかけばかくほど短くなり、
まったく冠をとめるピンもさせなくなりそうだ。

唐代の中期、756年から763年の間、玄宗皇帝の時に「安史の乱」がありました。安録山、史思明が主導し、洛陽・長安は反乱軍に奪われ、華北の地は荒廃しました。荒れ果てた国を目の当りにした杜甫の絶唱です。さしもの大唐王朝もこの後、急速に衰退しました。

石川忠久 「漢詩紀行」日本放送出版協会
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松井秀喜選手 引退

2013-01-07 06:27:16 | 文化
昨年の12月28日に、大リーガーの松井秀喜選手が引退会見をしました。ゴジラと呼ばれた大打者で、2009年にニューヨーク・ヤンキースを大リーグ・ワールドシリーズ制覇に導き、自らもMVPに輝く活躍をしましたが、最近では、「思うような結果が出せなくなった。命がけのプレーもひとつの終わりを迎えたと思う」と述べました。選手人生においては、自分の成績より、チームの勝利を第一に考える選手でした。高校野球で甲子園に出場した際には、5打席、連続敬遠をされることもありましたが、他人に怒りを見せることなく全力走塁、全力プレーを続け、対戦相手からもジェントルマンと言われて敬愛されたということです。
松井選手の次の言葉には共感を覚えました。「コントロールできない過去よりも変えて行ける未来に賭けます。」未来の自分はコントロールできる。少なくとも過去より思い通りにできる可能性を秘めている。それなら前に向かうしかない。
 さわやかな引退でしたが、野球界の宝である松井選手には今後も後進の指導などに活躍されることを祈念します。
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海外でも日本食

2013-01-04 06:24:05 | 文化
貧乏人的な侘しい話ですが、田舎者の私は食事に関しては特に保守的で、海外旅行中でも日本食が食べたい人間です。かつて、パックツアーでスイスを訪れた時のことです。
スイスのツェルマットで無性にラーメンが食べたくなり、「春華園」という小さな店で漸くラーメンにありつき、生きた心地がしました。(全くワイルドではないぜ)
ストックホルムでは「香港」という中華料理店で春巻きを食べて、ひどくぼったくられましたが、味は上々でした。
オーストラリアのパースでは、「名古屋寿司」という小さな店で何度も寿司を食べました。パースでは、他に中華料理店には行ったものの、オーストラリアンステーキは遂に一度も食べずに帰ってきたという超保守的な食生活を送りました。
ホノルルでの食事も似たようなものでした。
ニュージーランドでは持参した「インスタントおむすびセット」や「お茶漬けセット」で食事を済ませました。
 パリのサン・タンヌ通りは日本街で、ここにある「来々軒」という店では、日本の昔ながらの美味しいラーメンが出されているということです。そこでは、常時フランス人が割り箸でラーメンを食べているということで、ラーメンも国際的になったようです。
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2013年 癸巳(きし) 謹賀新年

2013-01-01 07:27:30 | 文学
新年おめでとうございます。今年もこのブログへのご来訪をお待ちしております。
よろしくお願い申し上げます。

今年、西暦2013年の十干・十二支は「癸巳(きし)」です。癸は十干の十番目 みずのと、十二支はみ歳 です。「巳」の音読みは「し」、訓読みは「み」、意味は「へび」です。

「癸」の意味
「癸」は下図にある象形文字のように、矢尻を四方に突き出すような形をしており、ぐるぐる回して使用した武器、または道具の働きをするもので、「測る」という意味や、ぐるっと回った後を連想して、十干の最後とする字になりました。「測る・道・法則」などの意味があります。付け加えると、「万事筋道を立てて物を考え、処理してゆく。それを誤ると混乱し、あるいはご破算にならぬとも限らない」という警告の意味もあります。

「巳」」の意味
春になって陽気を迎えると、啓蟄と言って、地中から冬眠していた動物が外に出てきます。今まで伏在していたものが頭をもたげて外に出て動き始める。その形を象ったのが「巳」の字です。一番分かりやすいのが「へび」です。従来の因習的なものを捨てて、新しいものが躍動することを意味するようです。
安岡正篤 「干支の活学」 プレジデント社


癸巳の象形文字
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