yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

多数決

2013-06-30 05:08:35 | 文化
民主主義は「多数決」により成り立っています。一見もっともらしい根本原理ですが、「過半数が賛成」といってもほぼ同数の「約半数が反対」ということがあり得ることをよく承知していなくてはならないと思います。憲法96条には、下記のように書かれています。
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
衆参両院の各々で三分の二以上が賛成するとその憲法を変更する議案を発議できるとしています。
三分の二の賛成を得るのが難しいから、ルールを変更して半数の賛成で発議できるようにするという提案があります。憲法を変更したいと考える人達にとっては都合のいい提案です。
たとえば、サッカーにおいて、自分がゴールするのが難しいから、ルールを変更して「ゴールの大きさを50%大きくしよう」という意見を提案することと似ているような気がします。
従来からのサッカーのルールが、存続している背景と歴史とそのルールが使われている必然性を無視した乱暴な議論のように思われます。

三分の二の賛成という高いハードルは、先人の知恵なのではないかとも思います。衆議院と参議院のどちらにおいても、反対数が、各々三分の一以下というのは、国民の意見の大勢が賛成である、ということに近いのではないかと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漢字の数

2013-06-27 06:14:38 | 文学
「漢字の数は一体いくつあるのか」については、「イギリスで話される英語で使われる単語の合計はいくつあるのか」という問いと同様に、永遠に答がでない問題だそうです。
まず、漢字の数を例にとれば、次のようになります。
「大漢和辞典」に収録された漢字の総数は約五万字。
20年ほど前に中国で出版された「漢語大辞典」の総収録字数は約六万字。
それから数年後に刊行された「中華辞海」には八万五千もの漢字が収められているそうです。このように、漢字の字数が多くなった理由を以下に述べます。

漢字は、字自体に意味がある表意文字です。従って新たな発見(例えば、うなぎが発見されれば、鰻という字ができます。)新たな発明があれば新たな漢字ができます。また、新たな概念が生まれれば、新たな漢字ができます。すなわち、漢字には本質的に、高い造字能力が備わっているのです。
また漢字には、数千年という時間的に長い使用履歴があったことが、字数を増やしてきた原因の一つです。また、漢字を使う地域と人口が大きいことも漢字数の増加を促進してきました。
それでは、私達、漢字文化圏の人間は気が遠くなるような数の漢字を覚える必要があるかというとそうではありません。日本の場合、3000字程度で十分に日常の用は足りるようです。例えば常用漢字表の漢字数は2136字です。
阿辻哲次 「漢字はいくつあるのか」 學士會会報 No. 900 2013―Ⅲ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無責任の横行

2013-06-24 05:55:01 | 文化
日本には、戦前から無責任体制が横行していました。政治学者の丸山眞男氏は『日本の思想』の中で次のように分析しています。
明治憲法は天皇に大権を集中させていた。にもかかわらず、当時の政治の仕組みは、内閣や議会のほかに、元老や重臣といった「超憲法的存在」が幅を利かせ、「多頭一身の怪物」ともいわれた。誰がものごとを決めるのか、誰がその責任をとるのかをはっきりさせない。「神輿担ぎ」のように主体を欠いた、もちつもたれつ。それは「巨大な無責任」体制に陥る可能性を孕んでいた。(以下略)
そこには自己保身と組織存続至上主義が根底にあるような気がします。それは昭和の政府や軍部などの重要組織に見られ、戦後の官僚体制にまでつながっているように思われます。現代では、大相撲、柔道、日本野球機構(NPB)などのスポーツ界にまで蔓延している無責任体制です。
ころしも、アメリカ政府がネット上の個人情報を極秘に収集していたことが問題になっています。当事者のアレキサンダー国家安全保障局長官が議会で述べたそうです。「この国を危険にさらすより、あいつは何かを隠していると言われたり、世論に批判されたりすることを選ぶ」と。事の是非はともかく、自らの職務についての責任意識は確固たるものです。(朝日新聞より)
そこにすがすがしさを感じます。日本のサムライは、腹を切る覚悟をもって公務に当たっていたからこそ尊敬されてきました。2009.6.27に掲載したブログの一篇「阿南惟幾(あなみこれちか)」陸軍大将を思い起こしました。阿南大将は敗戦の責任をとって、終戦の前夜に割腹自決をしました。日本のサムライは偉かったと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

至誠測怛(しせいそくだつ) 山田方谷

2013-06-22 05:15:44 | 文学
山田方谷(1805~1877)は幕末の儒家、陽明学者で備中聖人といわれました。越後の河井継之助や會津の秋月悌次郎も教えを受けました。
山田方谷が河井継之助に送った言葉に「至誠測怛」があります。「至誠」は「まごころ」、「測怛」は「いたみ悲しむ心」です。
方谷は下級武士出身でありながらも儒家となり、備中松山藩(現在の岡山県高梁市周辺)が多額の借金に苦しんでいた時に政務を担当し、新産業政策、藩札刷新政策などの七大政策により財政改革を成功させました。わずか7年で十万両の借金を返済して逆に十万両の蓄財を実現しました。この功により、藩主、板倉勝静は、幕府の筆頭老中に昇進し、方谷も行政顧問として幕政に参与しました。方谷はまた、教育者としても知られ、備中の閑谷学校を再興しました。弟子には、北越戦争を主導した河井継之助、三島中洲(大正天皇の侍講、二松學舎大学の創立者)、福西志計子(しげこ、岡山初の女学校、順正女学校を創立)らがいます。さらに方谷の思想は渋沢栄一の著書「論語と算盤」につながっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノアの箱舟には工学の叡智がつまっていた

2013-06-19 05:53:12 | 文化
ご承知の通り、「旧約聖書、創世記」には「ノアの箱舟」の話が以下のように書いてあります。

神はノアに言われた。「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。あなたは、いとすぎの木で箱舟を造り、箱舟の中にへやを設け、アスファルトでそのうちそとを塗りなさい。その造り方は次の通りである。すなわち箱舟の長さは三百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトとし、箱舟に屋根を造り、上へ一キュビトにそれを仕上げ、また箱舟の戸口をその横に設けて、一階と二階と三階のある箱舟を造りなさい。」(以下略)

大阪府立大学の学長、奧野武俊教授(船舶工学専攻)は、箱舟を工学的に以下のように評価しています。

箱舟の寸法は長さ135m、幅22.5m、深さ13.5mで、三菱重工業が建造した「アルゼンチナ丸」の大きさ、長さ145mの三層甲板船と大きさも構造も似ている。船を設計する時は、長さ(L)と幅(B)、幅と深さ(D)のなどの比が重要である。ノアの箱舟はL/B=6、B/D=1.5~2であるが、最近の造船技術を駆使して造っている大型タンカーは、L/B=5~6、B/D=1.5~2である。造船技術の知識を全く持っていなかったと思われるノアに神が命じられて造った船は、現代の船と比較して、その形状が少しも変わっていないと言えるのである。また、インカ帝国の建造物や仁徳天皇陵などが、かなり進んだ土木技術を使って造られたという話を聞くと工学者として厳粛な気持ちになる。我々が今、手にしている先端的な科学・工学技術の多くは、最近になってから発明・発見された新しい物質や知識によって実現したものであるが、実は昔から変わっていなかったり、同じであったりすることが多い。現代の最先端を走り続ける学問や技術に携わる者は、いつも現実を見つめて謙虚さを失ってはならないと思うのである。
 奧野武俊 「電気学会誌」2013 Vol.133 No.5
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人は侍が好き

2013-06-16 06:21:43 | 文化
野球やサッカーなどで、世界で活躍することが期待される時、日本人はその合言葉としてよく「サムライ・ジャパン」と言います。つまり日本人は侍が好きなのでしょう。

以下は司馬遼太郎が「アメリカ素描」の中に書いた日本人観です。

よく繁盛している自動車のパーツ屋さん、あるいは銀座の名店の長男が東大法学部を出てしまった場合、かれは次男に店をゆずり、自分は三菱に入るなり官僚になるなりしてしまう。アメリカ人なら収入のいい生家の店や農場をつぐ。「日本人は平気で損な人生をえらぶ」こう言うアメリカ人に対して、司馬はできるだけ単純なことばをさがした。「かれらはサムライになりたいんです。」幕藩体制のころ、武士が行政官を兼ね、学問もした。藩校は町家の子弟にはひらかれていなかった。武士たちは貧しくはあっても牧民官であることと、多少の教養をもっていることの誇りのために、信じがたいほど汚職のすくない社会をつくった。商人たちはそれを見ていてお侍さんはえらいものだ、と階級や身分よりむしろ形而上的なものへ心をゆだねている人間への尊敬心に似たものをもっていたのだろう。貧を恥じぬという伝統的日本文化は江戸期ににわかにはじまったものではなく、戦国のころにすでにあった。たとえば薩摩がそうであった。そこへ上陸してきたキリシタン僧が、武士が貧しくとも平然としていることにおどろいた。さらにこの国では貧しさがときに誇りにさえなる、このあたりがヨーロッパとちがっている、という旨の報告書をローマ法王に書き送っている。明治後、そういう風が、新政府の“新士族”ともいうべき役人にうけつがれた。その後、本郷に大学ができ、法科大学が置かれて、役人はそこで養成されるようになった。やがて明治末年、大学出がふえ、供給が過剰になるころ、財閥企業が育ってきていて、最初はわずかながらその方面にゆく者がでてきた。帝大法科を卒業して住友コンツェルンに入り常務理事になった川田順もその一人である。

現代にも、「サムライ好き」の気分は伝わっているように思います。士は食わねど、天下国家のために身を捧げるといった気風。不肖、私もサムライが好きです。

 司馬遼太郎 「アメリカ素描」読売新聞社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反正天皇、明正天皇

2013-06-13 06:12:17 | 歴史
反正天皇、明正天皇は各々、18代、109代の天皇ですが、難読です。皆様は正しく読めるでしょうか。私は、「はんしょうてんのう」、「めいせいてんのう」と記憶していましたが、間違っていました。正しい読みかたは「はんぜいてんのう」、「めいしょうてんのう」です。

反正天皇は、大和時代(4世紀~6世紀)の仁徳天皇の第三皇子で中国の歴史書、「宋書」にもある、倭の五王、「讃・珍・済・興・武」の中の「珍」と言われています。「武」は雄略天皇です。大阪府堺市に反正天皇陵があります。平和な御代であったといわれています。

時代が下って、明正天皇は江戸時代の女帝(1624~1696)です。後水尾天皇の第二皇女で、母は徳川秀忠と江の娘、和子(まさこ、東福門院)です。明正天皇の時代は三代将軍・徳川家光の権勢が強く、公武が調和して平穏な時代であったと思われます。
後に会津藩祖となった保科正之公は寛永8年(1631)に肥後守に叙任され、寛永11年(1634)に上洛して侍従に任じられて明正天皇(正之公の姪にあたる)に拝謁しています。
会津藩は当時から朝廷の信が厚かったのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アトランティス大陸

2013-06-10 05:54:01 | 文化
アトランティスは、1万2000年以上前に現代文明をはるかに凌ぐ超古代文明が繁栄していたが、ゼウスの怒りに触れ一夜にして海中に沈められたとされる大陸。古代ギリシャの哲学者プラトン(BC427―BC347)が著書「マイテイオス」および「クライテイオス」の中に書き
残しています。アトランティス大陸の位置は、「ヘラクレス柱の外側」と記述されているのみで、有力視されている大西洋説以外にも地中海説、南極説、インド説、エジプト文明やマヤ文明がその起源であるとする説など1000を越える説が提唱されています。大変ロマンのある話なので、日本だけでも多くのアトランティス・ファンがいるそうです。
 この度、日本の海洋研究開発機構の探査船「しんかい6500」がブラジル、リオデジャネイロの沖の海域で潜水し、900メートルの海底を調査しました。すると海底には相応しくない岩の崖を発見しました。この岩は花崗岩でできており、周囲には石英を含む大量の砂が見つかりました。花崗岩や石英は、陸上のみで生成される物質です。この地域は長さ1000kmもの台地であり、大陸の痕跡ではないかと発表されました。話が発展して、これがアトランティス大陸の一部ではないかという説が生まれ、騒然となりました。アフリカ大陸と南米大陸の間には10万年以上前に超大陸があったとする説が有力なので、今回見つかった石はこの超大陸のかけらではないかとも言われます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漢字クイズ

2013-06-07 07:08:51 | 文学
漢字クイズを出題します。

□ に同じ漢字を入れて熟語を作って下さい。

第1問  □間、□賀、□輪
第2問  原□、景□、□紙
第3問  □屋、□数、□言
第4問  □和、明□、□夜

読み方の問題です。

第1問 飯事
第2問 海星
第3問 行火
第4問 手水
第5問 東雲
第6問 間八
第7問 小火
第8問 勇魚
第9問 山茶
第10問  産着
第11問  後志
第12問  和毛
第13問  不束
第14問  生業
第15問  気障

□の解答は、 年、色、小、日 だと考えます。
 読み方の解答は、上から
  ままごと、ひとで、あんか、ちょうず、しののめ、
  かんぱち、ぼや、いさな、つばき、うぶぎ、しりべし
  にこげ、ふつつか、なりわい、きざ
 だと思います。「ままごと」と「いさな」は難問でした。
 「いさな」というのは鯨の古称のようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三択問題

2013-06-04 06:01:53 | 将棋
新聞に出題されている「将棋の次の一手」問題で、三個の解答の中から一つを選ぶ三択問題に毎週挑戦しています。クイズなどの問題の種類によっては、二択や四択というものもありますが、三択というのが平均的で手頃なのではないかと思います。三択だから簡単に解けるはずと思われるでしょうが、やって見るとなかなか難しい場合もあります。
正解の候補は三個、AとBとCがあります。まず、正答と思われるもの、例えば、Bを選ぶことから始まります。この時、Bが正答であることを合理的に説明できなくてはなりません。続いてB以外の候補、AとCが正答ではないことを証明しなくてはなりません。ここまでできると、かなり高い確率で解いたということになります。
いつもこのようにやっているつもりですが、時に間違えることもあります。
正答と思われる答が、BとCと二つある場合もあります。こうしたケースは問題が良くないのでしょうが、たまに見かけます。(出題者に通報してこれが認められると、応募者全員が正解になります。つまり出題者の失敗を意味します。)
また、Bを正答と思った根拠を自分で間違っていることもあります。さらには、間違いだと思った答が、よく考えてみると間違いではないこともあります。
「それじゃあ、ダメではないか」ですが。失敗に呆然としていると、心やさしい友人が「
まだ、強くなる伸びしろがある」と慰めてくれます。縮めることが難しい壮大な「伸びしろ」に苦笑せざるを得ません。
高が三択問題ですが、奧が深いものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする