yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

三代目

2017-10-29 05:47:41 | 歴史
初代、創業者が営々と築いた店があります。二代目は、父を手本にして父の店や財産をしっかり守ります。ところが、三代目は生まれつきのボンボンのことがあり、趣味・道楽にあけくれて店をつぶしてしまうケースも多いといいます。
江戸時代の川柳に
売り家と唐様で書く三代目

というのがあります。唐様は江戸時代に流行った粋な明風の書をいいます。

徳川将軍の場合は初代、家安が幕府を開き、二代、秀忠はそれを守って発展させました。
三代家光は、生まれながらの将軍でしたが、英邁であり、幕府を盤石なものにしました。
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聾瞽指帰

2017-10-26 05:40:44 | 文学
聾瞽指帰(ろうこしいき)」は延暦16年(797)、空海が24歳の時に、出家決意書として書いたた書です。直筆の書が、高野山の霊宝館に現存しています。「聾瞽」は耳や眼が不自由な人ですが、ここでは仏法に暗い人を指します。「指帰」は従うべきこと、規範を意味します。この書の中に「尊円寂一切通」という語があります。仏法の尊者はすべてのことに通じる、という悟りの言葉です。空海は、この言葉を心に刻んで人々を救うことを目的にして仏法修行に励んだということです。空海はこの他にも、儒教、道教、仏教を比較して仏教が最も優れていることを説いた「三教指帰(さんごうしいき」」を書いています。
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平塚神社、平塚亭

2017-10-23 05:40:20 | 歴史
平塚神社は、東京都北区にあります。平安後期、後三年の役の帰路、源家の三兄弟がこの地に立ち寄りました。すなわち、源義家(八幡太郎)、源義光(加茂二郎)、源義綱(新羅三郎)の三人です。新羅三郎は、戦国大名の武田氏(甲斐)、佐竹氏(常陸)などの先祖です。三兄弟は、この地で手厚いもてなしを受けましたので、感謝の験に、鎧一領と十一面観音像を下賜しました。この地の人は、地域の守り本尊として塚を作り、この鎧を埋めました。この塚は高めで上が平坦でしたから平塚と呼ばれました。これが平塚の由来です。ここに平塚神社が建立され、義家、義光、義綱を祀りました。神社の近くに平塚亭という和菓子の店があり、串団子がうまいとのことです。
 内田康夫氏作「ミステリー、「浅見光彦シリーズ」に度々登場します。
(平家伝説殺人事件、金沢殺人事件
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范蠡(はんれい) 越の名臣

2017-10-20 05:35:38 | 歴史
范蠡(はんれい)は中国・春秋時代の政治家(生没年不詳)で、越王・勾践(こうせん)の臣です。

「呉越抗争」 
呉と越は中国南部にあり、敵対していましたが、臣下の范蠡たちの補佐により、越が呉に勝ちをおさめました。

「引退」
悲願が達成されて有頂天になる勾践を見て、范蠡は密かに越を脱出しました。范蠡は同僚への手紙の中で「私は『狡兎死して走狗烹(に)られ、高鳥尽きて良弓蔵(かく)る』(狡賢い兎が死ねば猟犬は煮て食われてしまい、飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓はしまわれてしまう)と聞いていますので、あなたにも引退を勧めます」と、書きました。結局、この同僚は引退をしなかったのですが、後に主君の意向で自決することになりました。

「伝説」
范蠡は、呉王・夫差の軍に一旦敗れた時に、夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(しいこう・西施(せいし)のこと)を密かに送り込みました。思惑通り夫差は施夷光に溺れて国政をおろそかにしました。夫差を滅ぼした後、范蠡は施夷光を伴って斉へ逃げました。

「その後」
越を脱出した范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得ました。范蠡の名を聞いた斉は范蠡を宰相にしたいと迎えに来ましたが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去りました。 斉を去った范蠡は、かつての曹の国都で、既に宋領となっている定陶(山東省陶県)に移り、陶朱公と名乗りました。ここでも商売で大成功して、巨万の富を得ました。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮しを送ったと言います。陶朱公の名前は後世、大商人の代名詞となりました(陶朱の富の故事)。このことについては、史記の「貨殖列伝」に描かれています。

「その他」
范蠡の見事な活躍と出処進退は後世の憧れとなり、好敵手の伍子胥と共に長く語り継がれています。
范蠡は日本でも名臣として有名です。『太平記』巻第4「呉越闘事」には、後醍醐天皇の臣、児島高徳が「天勾践を空しゅうする莫れ 時に范蠡無きにしも非ず」という句を贈ったという話があります。後醍醐天皇を勾践にたとえ、名臣が出現しないわけではないのだから諦めないようにと励ましたのです。この逸話は「児島高徳」という文部省唱歌に詠み込まれ歌われました。
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9マス将棋

2017-10-17 06:32:42 | 将棋
9マス将棋は、プロ棋士の青野照市9段が考案しました。普通の将棋は、9X9の81マスを使用しますが、9マス将棋は3X3の9マスだけを使用します。すなわち、将棋盤の右上の1、2,3筋と、一、二、三段目だけを使います。ルールは基本的には普通の将棋と同じです。ただし、先手にとって、敵陣は一段目のみ、後手にとって敵陣は三段目のみです。この事は、
普通の将棋の感覚と太いに異なるので注意が必要です。敵陣に進入した時、敵陣内で駒を移動させた時、敵陣から自陣に齣を引き上げた時に駒が成り駒に出世します。なお、初期の形は40通りということです。
下図は9マス将棋の例題図です。先日テレビで、芸能人4人による9マス将棋チャンピオン
戦が行われましたが、その中の一局にあらわれた図面です。先手はTアマ3段、後手はKアマ初段でした。T三段にミスがあったので、K初段が勝ちました。1手のミスも許されない厳しい戦となりますが、変化が多いのでとても奥深いゲームだと感じました。先手ならどのようにして勝つのかを考えてみました。すなわち、2一飛成、同玉、2二飛、1一玉、2三玉、2一飛、同飛成、同玉、2二歩、3一玉、1一飛までで先手勝ちです。



    
     
   
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デカンショ

2017-10-14 05:34:04 | 文学
昔、高等学校生の間で「デカンショ節」というのが歌われたそうです。「デカンショ、デカンショで半年暮らすヨイヨイ、あとの半年、寝て暮らすヨイヨイ」。デカンショはデカルト・カント・ショウペンハウエルの略で、高校生は難しい哲学に悩みました。数学も難しく、「微分は微かに分かり、積分は分かった積もり」などとも言われたとのこと。

さて、黒崎教授は「哲学について」次のように述べています。
哲学の課題の一つに「木が緑に見えるのは、木が緑だからだ」というのは本当でしょうか。
<えっと?そんな当たり前のことまで疑ってみるわけ?>という声が聞こえてきそうですが、そうです。こんなことまで疑って考えてみるわけです。しかも、ちょっとじっくり考えてみるだけで、いま挙げた常識のような考えは、大きく誤っていることがわかります。さらにそれだけではなく、この問いは哲学の最深淵とも言われるカント「純粋理性批判」の、もっとも根本的な問いに直結するものですらあるのです。
さて、「本当にある」とはどういうことか、に対する哲学的考察はこんなところから始まると言っていいでしょう。リアルだと考えていた世界。世界が緑だから、世界は緑に見える。このような実在観は、通常、哲学の世界では、素朴実在論と呼ばれています。しかし、見る側の条件によって世界のあり方そのものが変化するのだとしたら、世界は、本当に、私たちに先立ってリアルに存在しているのでしょうか。木が緑に見えるのは、我々の<都合で>そう見ているから、です。世界のものが、何色をしているのかはわからない。そもそも<色>という形で世界をとらえること自体、我々人間の都合に他ならないかもしれないのです。ほら、このように考えてくると、最初に挙げた常識「木が緑に見えるのは、木が緑だからだ」は本当ではない、ということがわかったでしょう。このように当たり前だと思っていることを、「そもそも」と根本から考えてみることが哲学なのです。

   黒崎政男 「カント哲学入門」東京女子大学 同窓会会報 第64号 2017.3

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徳川家康

2017-10-11 05:30:27 | 歴史
徳川家康は、狸親爺と言われたりして、人により好き嫌いや評価は様々ですが、江戸時代約260年間の平和な時代を築いたことは特筆されてもいいのではないでしょうか。
織田信長と比べて、下記のような逸話もあります。

武田勝頼が、織田信長に討ち取られた時のことです。武田勝頼の首を見て、織田信長は「信玄には苦しめられた。天罰である」と言ったそうです。それに比べ徳川家康は、「勝頼殿は、お若い故に致し方ないこと」と同情したと言うことです。そして、家康は武田家の家臣、約1000人を引き取り、領地を安堵しました。その後、武田家遺臣の武士団は、天下分け目の関ヶ原の戦で大いに活躍し、家康の勝利に貢献しました。
一方、織田信長は、武田家攻略に大功のあった明智光秀を冷遇したこともあって、本能寺で落命することになりました。
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一つ話

2017-10-08 05:13:59 | 文化
一つ話」という語を、私はあまり使いませんが、辞書によると次のような意味です。
1. いつもきまって得意になってする話。
2. 後々までも語られるめずらしい話。
3. 奇談。


2項目の意味をもつ「一つ話」が時々あります。(以下すべて実話です)
・ ある身近な老人が、かかりつけの循環器の医院に行きました。
先生「今日はどうしましたか?」。
老人「入れ歯がガタガタして・・・」
先生「ここは、心臓の病院なので入れ歯を治すことは出来ないなあ。」

・ 知人の息子は、A子さんと交際していました。息子のお母さんにA子さんから届いた年賀状には「お母さん、今年もよろしく願いします。」と書いてありました。
ふと、差出人のA子さんの住所を見ると息子のアパートの住所が書いてあるではありませんか。お母さんは一瞬、目が点になったと言うことです。
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春秋の筆法

2017-10-05 06:27:00 | 文学
春秋」は孔子が書いたとされる四書五経に数えられる聖典ですが、「春秋の筆法」というように使用される場合には、ややマイナスの響きになるようです。
即ち、些事をとりあげて大局との関係を説く記述スタイルを採ることです。
また、「牽強付会」「曲筆」という語も連想されます。
「牽強付会」は、自分の都合のよいように無理に理屈をこじつけること。
「曲筆」は事実を曲げて書くこと。
江戸落語の「風が吹けば桶屋が儲かる」も思い出します。(原因と結果の関係が大きく隔たっている例)
大風が吹くと、ごみが舞う、盲人が増す、その人達の生業用に三味線が使われ、
それがよく売れる、すると猫の皮が取られるので猫が減る、すると鼠が増えて桶をかじる、
新しい桶が売れる、桶屋が儲かる。と言った回りくどい話です。
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断捨離

2017-10-02 05:18:15 | 文化
断捨離は不要な物を減らし、生活に調和をもたらそうとする思想です。
「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心をヨーガの行法である断行・捨行・離行を応用し、
断: 入ってくる要らない物を断つ。
捨: 家に、あまり要らない物を捨てる。
離: 執着から離れる。
上記を実行して、自分自身が作り出ている重荷からの解放を図り、身軽で快適な人生を手に入れることを目指します。
 これは、自分と物との関係だけではなく、仕事、人間関係、趣味、様々な欲求など人生のすべてに関わることのようです。また、「断捨離」の内、「捨」を実行するのには、大きいエネルギーと手間、そして時に費用も必要であり、少なからぬ決断力もいると思います。。
 「断捨離」関しては山下秀子氏の著書もあり有名です。2010年には流行語になりました。
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