yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

鉄文明の始まり

2009-03-29 07:42:21 | 文化

現代は鉄文明を謳歌しています。鉄文明の始まりは紀元前14-15世紀、小アジアのヒッタイトであると高校時代に世界史で知りました。ところが「鉄文明の始まりは紀元前約2000年のトルコである」と改めなければならない新たな発見が最近ありました。<o:p></o:p>

それは東京都三鷹市にある中近東文化センターが調査しているトルコのカマン・カレホユック遺跡で紀元前約2000年の地層から出土した小刀と鉄滓(鉄を生産する際にでる滓)から鉄器の製造が証明されたことです。<o:p></o:p>

  ヒッタイトは鉄製の武器で武装した強力な軍事力を背景にしてエジプトとメソポタミアの間に大帝国を築きました。中国においても鉄器が登場するのは紀元前7世紀頃であり、戦国時代の紀元前4世紀に普及したと言われています。日本にも丁度その頃、即ち弥生式時代の中期から末期に伝わったとのことです。<o:p></o:p>

 ところで晩唐の詩人、杜牧の七言絶句「赤壁」にも戦の主役である鉄の武器のことが出ています。<o:p></o:p>

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  折戟沈沙鉄未銷<o:p></o:p>

  自将摩洗認前朝<o:p></o:p>

  東風不与周郎便<o:p></o:p>

  銅雀春深鎖二喬<o:p></o:p>

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  折戟(せつげき)沙(すな)に沈んで鉄未だ銷せず<o:p></o:p>

  自(おのずから)摩洗を将()つて前朝を認む<o:p></o:p>

  東風 周郎が与(ため)に便ならずんば<o:p></o:p>

  銅雀春深うして二喬を鎖(とざ)せしならん<o:p></o:p>

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折れた戟(ほこ)が岸の砂にうずもれて、その鉄がまだすりへっていない。<o:p></o:p>

ああ、これはあの頃(208年 赤壁の戦)のものだとわかった。<o:p></o:p>

東風がもし呉の周瑜のために味方をしてくれなかったならば<o:p></o:p>

二人の喬姉妹は曹操に捕らえられ、春深い頃、銅雀台にとじこめられて<o:p></o:p>

いたであろう。<o:p></o:p>

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「三国志」で有名なこの「東風」は諸葛孔明が予言した通りに吹き、周瑜将軍の火攻めにより、魏の大兵船団が焼き尽くされました。周瑜は、気象までもあやつる孔明の軍略に驚嘆し、孔明が軍師として呉にいるうちに孔明を亡きものにしようとしましたが果たせませんでした。<o:p></o:p>

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この詩にもあるように紀元200年頃の武器の主役は鉄であることがわかります。<o:p></o:p>

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中原十六世名人 引退

2009-03-27 10:35:34 | 将棋

将棋の中原誠十六世名人(61歳)が3月末で現役を退くとのことです。<o:p></o:p>

「棋士生活43年。自分なりに精一杯やった。この辺が潮時かなと思った。<o:p></o:p>

 これ以上やっても無様な将棋を指したりすることもありますし、、、」<o:p></o:p>

と語られました。中原名人は1965年に四段になると毎年昇段を重ね、1972年の第31期名人戦で当時の大山康晴名人を降し、最年少の24歳で名人位に就きました。以後、名人位3連覇を2度達成し、第十六世名人となりました。昨年は銀河戦で羽生名人を破ったり、まだ充分に戦える力を維持していると思われますが、勝負の場は容赦のない厳しいものです。「無様な将棋を指す」ことを拒んで、潔く引退の決断をされた中原名人に敬意を表したいと思います。<o:p></o:p>

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お礼

2009-03-25 06:55:35 | 近況

いつも、私のブログをご覧いただきありがとうございます。<o:p></o:p>

お蔭さまで、昨日、アクセス数が3万5千に到達いたしました。<o:p></o:p>

平成18年の3月に書き始めてから約3年になりました。<o:p></o:p>

この間に35,000アクセスは、望外のハイペースではないかと思っております。<o:p></o:p>

引き続き、ご愛読いただければ、有り難く存じます。なお、折々にコメントを頂戴できれば大変、励みになると存じます。<o:p></o:p>

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あさつき

2009-03-24 17:32:38 | 近況

 浅葱(あさつき)は私の故郷(越後・長岡)の春の山菜です。(写真)蕗の薹と共に、雪解けの野に少しだけ顔を出す稀少なものです。郷里から送られて来ましたので、浅葱のほうの写真を紹介します。関東ではあまり見ることがありません。味噌をつけて茎(白いところ)と葉(緑色のところ)をすべていただきます。香りが強いですがとても美味しいものです。

                        

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人生における成長の戦略

2009-03-21 19:47:47 | 人生

経済評論家の勝間和代(かつまかずよ)さんが「人生の成長の戦略」についてテレビで語っていました。勝間和代さんは、ご承知の通り、2005年のウォール・ストリート・ジャーナルで「世界で最も注目すべき女性50人」に選ばれています。僅か19歳で取得が最も困難と言われている公認会計士の2次試験に合格した才媛です。彼女が言う「人生における成長の戦略」とは、一見、誰にでもできそうな次の3つでした。<o:p></o:p>

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1.本を沢山読むこと。<o:p></o:p>

2.人と会うこと。(テレビ出演も人と会うことと同じ効果がある。)<o:p></o:p>

3.こつこつと努力を続けること。1日0.2%の改善をすること。<o:p></o:p>

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第1の「沢山本を読むこと」についてはただ、読むだけでは不十分であり、その内容について深く考え、自分のものにすることが大事ではないかと思います。<o:p></o:p>

第2の「人と会うこと」は、他人との会話を通して視野や見聞を広め、自分からも考えを相手に伝える。そして相手からも新しい刺激を受けて、自分を以前より活性化させることが期待されます。<o:p></o:p>

第3の「こつこつ努力を続けること」。日々0.2%の改善は、自分の能力を1.002倍にすることです。1年間続けると1.002の365乗は2.07。確かに約2倍になります。2年で4倍、3年で8倍、すなわち、3年で約10倍になると計算されます。しかし、「言うは易く、行うは難い」と思いますが、このように前向きの姿勢を保ち続けるのがとても重要なことなのではないかと思いました。<o:p></o:p>

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仰げば尊し

2009-03-14 08:14:23 | 文化

嘗て卒業式の定番として唱われた「仰げば尊し」は胸にしみる良い歌です。この歌の作詞・作曲共に不詳ですがスコットランド民謡であり、この歌を小学唱歌に入れた伊沢修二の作という説もあります。格調高い歌詞は次の通りです。<o:p></o:p>

1.仰げば尊し 我が師の恩
    教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
    思えばいと疾(と)し この年月(としつき)
    今こそ別れめ いざさらば <o:p></o:p>

2.互(たがい)に睦みし 日ごろの恩
   別るる後(のち)にも やよ忘るな
   身を立て名をあげ やよ励めよ
   今こそ別れめ いざさらば <o:p></o:p>

3、朝夕馴(なれ)にし 学びの窓
蛍の灯火 積む白雪
忘るる間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば <o:p></o:p>

2番に「身を立て名を上げやよ励めよ」とありますが、立身出世主義を嫌った時代もあり、2番を省略して唱われたこともありました。<o:p></o:p>

私は元の歌詞の方が良いと思います。身を立て名を挙げる気概を持つことは良いのではないでしょうか。<o:p></o:p>

ところで伊沢修二(1851-1917)は高遠藩士の家に生まれ、藩校・進徳館の秀才でした。上京して大学南校(現、東京大学)に学び、その後、文部省に出仕しアメリカに留学しました。帰国後1879年に東京師範学校の校長になり、音楽取調掛(現、東京芸大)として「小学唱歌集」を編纂し、日本の音楽教育に大きな足跡を残しました。「小学唱歌集」の中には「仰げば尊し」や「てふてふ てふてふ。菜の葉にとまれ」の歌詞で有名な「蝶々」もありました。なお「仰げば尊し」は旧仮名遣いでは「あふげばたふとし」となります。<o:p></o:p>

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袖振り合うも他生の縁

2009-03-07 09:56:06 | 文学

私は「袖すりあうも他生の縁」と記憶していました。道端で袖が擦りあう程度のありふれた事柄も宿縁(運命)によるものであるという意味だと思っていました。また「他生」の替わりに「多少(いくばくか)」と誤って覚えている人も多いようです。「広辞苑」によれば「袖振り合うも他生の縁」と出ており、こちらが正しいようです。<o:p></o:p>

「袖振る」というと「万葉集」に額田王(ぬかだのおおきみ)の有名な相聞歌があります。王に袖を振るのは大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)です。<o:p></o:p>

  あかねさす紫野行き標野(しめぬ)行き野守は見ずや君が袖振る<o:p></o:p>

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この歌にありますように、「袖振る」は相手に親しみを込めて合図することで、恋心の表現です。つまり「袖振合う」は親愛の情を伝える動作ですが、人事万物すべてが宿世の因縁によるという仏教観に基づく言葉のようです。そうした仏教語の世界にありながらも、額田王の和歌などに見られる妖艶な背景が思い起こされます。<o:p></o:p>

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「しち」と「なな」

2009-03-02 09:52:48 | 文化

先日、NHKの女性アナウンサーが水戸の梅が「ななぶざき」と言ったところ、隣にいた男性アナウンサーに「しちぶざき」と訂正されていました。確かに「七」という字は「しち」と読んだり「なな」と読んだりします。「しち」が音読み、「なな」が訓読みです。漢字の熟語として読む時は「しち」が正しいと思いますが、いろいろと例外がありそうです。七分咲の「七分」は「しちぶ」と読みます。またNHK杯戦で優勝したこともある将棋界のプリンス、山崎隆之七段は「やまざきたかゆき・しちだん」です。嘗て、羽生名人が七つのタイトルを独占した時、羽生七冠でしたが、これも「しちかん」であって「ななかん」と読むのは間違っていると思います。しかし実際は「はぶ・ななかんおう」と多くの人が言っているようです。また「七転八起」は音読みでは「しちてんはっき」と言いますが、一般的には訓読みで「ななころび・やおき」と言っています。この一事をもっても、言葉の読み方はなかなか難しいものです。<o:p></o:p>

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コメント (4)
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