yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

この木なんの木

2010-10-29 06:38:47 | 文化
毎週土曜の夜、日立製作所が提供しているテレビ番組、「世界ふしぎ発見」でCMソングになっているのが「この木なんの木、気になる木」です。日立製作所は今年で創業百年、「世界ふしぎ発見」という番組も五十周年を迎えました。さて、このCMソングは、伊藤アキラ作詞、小林亜星作曲です。
  この木なんの木 気になる木
  名前も知らない木ですから
  名前も知らない 木になるでしょう
  この木なんの木 気になる木
  見たこともない木ですから
  見たこともない 花が咲くでしょう。

意味がよくわからないナンセンス・ソングですが、メロディーも親しみやすく、この大木を見ていると豊かな未来が期待できるような気がします。また、私にとってはハワイ旅行を思い出させてくれる木です。
2003年にハワイに行った際、ホノルル郊外のモアナルア・ガーデンを訪れて、この木を見ました。(写真 下)直径45m、高さ25m、樹齢130年ということです。
この木は合歓(ねむ)の大木であると聞きました。ところどころに美しい薄紅の花も咲いていました。

 

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月下独酌

2010-10-26 07:12:51 | 文学
詩仙 李白の有名な漢詩、「月下独酌」を紹介します。李白には、月や酒を賦した
詩がいくつもあります。当時の李白は翰林供奉という役職にあり、宮廷詩人として
活躍していたのですが、宮仕えの身では、気配りや追従など、自分には不本意な
事もする必要があったと思われます。そんな李白にとっては、月も自分の影も酒の友として相応しかったのでしょう。

     月下独酌
   花間一壺酒      花間一壺ノ酒
   独酌無相親      独リ酌ンデ相親シム無シ
   挙杯邀名月      杯ヲ挙ゲテ名月ヲ邀(むか)へ
   対影成三人      影ニ対シテ三人ト成ル
   月既不解飲      月既ニ飲ヲ解セズ
   影徒随我身      影徒(いたず)ラニ我ガ身ニ随フ
   暫伴月将影      暫ク月ト影トヲ伴ヒテ
   行楽須及春      行楽須(すべから)ク春ニ及ブベシ
   我歌月徘徊      我歌ヘバ月徘徊シ
   我舞影繚乱      我舞ヘバ影繚乱ス
   醒時同交歓      醒時ハ同(とも)ニ交歓ス
   酔後各分散      酔後ハ各(おの)オノ分散ス
   永結無情遊      永ク無情ノ遊ヲ結ビ
   相期遥雲間      相期シテ雲間遥カナリ

「訳」

   花咲く木かげに酒壺ひとつ
ひとりぼっちの手酌で相手がいない
そこで杯をあげて、のぼって来る月を招き
影も出て来て三人となった
月はもともと飲めないし
影もひたすら私の真似をするだけ
心ゆくまで楽しんでこの春をのがさぬようにしよう
私がうたえば月はふらふらと舞い
私が踊れば影は乱れ動く
酒が回りきらないうちには三人で楽しみ合い
酔ってしまえばそれぞれ別れてゆく
いつまでもこのような、しがらみのない交遊を続け
次にはあのはるかな天の河ででも再会するとしよう

酒仙・李白ならではの作です。
余談ながら、島根県の松江を訪れた際に「李白」という銘酒に出会いました。
「酒中の仙」と自称した李白に因んで命名したとのことです。なお、杜甫は李白のことを
「李白一斗詩百篇」と言ったとのことです。
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戦国武将 長野業政(なりまさ)

2010-10-23 07:42:44 | 歴史
戦国時代に長野業政という武将がいました。西上野(にしこうずけ)を治め、箕輪城の城主でした。地方の一武将でしたが、生涯、小田原の北条氏、甲斐の武田氏に屈することがありませんでした。また流亡を余儀なくされた真田幸隆が一時、身を寄せていたこともあります。長野氏の第一の重臣に上泉信綱がおりました。信綱は新陰流の流祖であり、弟子をつれて全国を回りましたが、その途次に奈良と柳生を訪れ、柳生石舟斉を打ち込みましたので石舟斉は恐れいって信綱の弟子になりました。「活人剣」を授かった剣の柳生一族は江戸時代も繁栄し、新陰流の道統は今日まで続いています。
業政は、北条氏に追われた関東管領、上杉憲政(のりまさ)を援けて長尾景虎(後の謙信)に会わせ、景虎が関東管領を引き継ぐ橋渡しをしました。景虎は足利将軍の承認のもとで、関東に乗り出し、瞬く間に関東を平定し、小田原城を包囲しましたが、堅牢な小田原城を抜くことができませんでした。しかし、景虎は鎌倉鶴岡八幡宮に諸将を集めて関東管領就任式を行いました。長野業政はこれを見届けた後に病没しました。業政は知略をもって武田信玄に負けることなく箕輪城を守りぬいた智将と言われています。たとえ弱小勢力といえども、巨大な相手の理不尽には誇りをもって戦いを挑みました。その姿は現代の私達にも共感を与えてくれます。享年63、箕輪城の近くの長純寺に葬られています。
       火阪雅志著 「業政駆ける」角川学芸出版

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コンピューター 将棋のプロに勝つ

2010-10-21 07:11:13 | 将棋
去る10月11日に、情報処理学会が用意したコンピューター軍と、清水市代将棋女流王将が東大工学部で対局し、史上初めて、プロがコンピューターに敗れました。清水女流王将は女流六段ですが、正式のプロ棋士ではありません。正式の男性プロ棋士にはやや劣りますが、時々は男性棋士をも負かす強豪であることには変わりはありません。
一方コンピューター軍は、東京大学のクラスターマシン「阿伽羅 2010」と呼ばれるシステムです。
*ハードウェアはIntelの最新のCPU 4コア 169台。
*ソフトウェアは、現在強い方からベスト4の将棋ソフト4種の多数決で、次の一手を決めるもの。すなわち、プロ側は1人で4人の人工頭脳を相手にするのに相当します。
*持ち時間は、各3時間。無くなれば1手1分未満という過酷な条件です。
(なおプロの通常の公式対局、順位戦の持ち時間は各6時間です。)

因みに「阿伽羅」とは10の224乗という大きい数です。この数は将棋の標準的な手数から想定される局面の数に相当する数だそうです。大きい数を漢字で表記するのに億、兆、京、、、と進んで「無量大数」が最高と思っていました。この「無量大数」が10の68乗です。世の中には「不可説不可説転」というのもあり、「10の37218 38388 19776 44441 30659 76878 49648 128 乗」という途方もないのもあるそうです。

ところで3年前にプロ棋界の最強者の一人 渡辺明竜王が、当時の将棋ソフト「ボナンザ」を退けておりますが、その時も負ける可能性がありました。コンピューターも将棋ソフトも日進月歩している今日、負けるリスクの高い勝負に対して挑戦を受けて立った清水女流王将の勇気と度胸に敬意を表します。しかも、お化けのような人工頭脳を相手に、ただ一人の人間の頭脳が、中盤戦まではほぼ互角に戦い、一時優勢と見られましたが、終盤で秒読みに追われてミスを出して負けたのですが、よく戦ったというべきでしょう。
しかし遂に、コンピューターの将棋ソフトがプロを破る日がきました。将棋は頭脳のゲームですから、この日が来るのは止むを得ないことですが、とうとう来たか、という思いがします。
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本の良さ

2010-10-18 06:12:38 | 文化
今どき、古い考え方と言われるかも知れませんが、昨今、電子書籍が流行し始めました。しかし私はそれに魅力を感じることがありません。ご承知の通り最近発売されたiPadなどは、約5万円で購入でき、月々数千円の使用料を支払うと、膨大な書籍を液晶画面上で手軽に読むことができるそうです。その費用が惜しいと言うわけではありませんが、紙でできた古来の本とは比べものにならないように思います。紙の本は、まず表紙を眺めて、タイトルの文字や著者名が一目でわかります。続いて装丁を見て著者の趣味や嗜好や意気込みを知ることができます。何よりも人間味のある温もりがあります。それからページを捲っていくと、目次やまえがきがあります。紙の手触りや匂いまでも楽しみながらページを繰り、内容を読んで楽しむことができます。最後にあとがきや著者の略歴、出版社や出版の年月まで労することなく見ることができます。気に入った本は本棚に入れておけば、後でいつでも取り出して何回でも読むことができます。
ところで紙の本は、本棚という広いスペースを確保しておかなければならない点が電子書籍に劣ります。そこで最近は、近所の図書館に頼んで、読みたい本を確保してもらうことが多くなりました。人気のある本の場合、かなり待たされることがあります。これは我慢するより仕方ないようです。読みたい時に本棚から本を取り出し、読みたい本を著者の息遣いを感じながら読めること、これが古来の本の良いところです。人それぞれの好みの問題ですが、電子書籍では、この楽しみを代行できないのではないでしょうか。
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太陽の道

2010-10-16 06:50:51 | 文化
太陽の道とは北緯34度32分にあたります。これは奈良の写真家、小川光三氏が発見した道で、冬至の日には三輪山から日の出があり、春分の日と秋分の日には二上山(ふたかみやま)の雄岳と雌岳の峰の間に夕日となって沈んでいきます。このラインは全長約200kmもあります。このラインに沿って、太陽信仰の古墳、神社、寺が多くあります。東の端は伊勢の斎宮で、伊勢久留間神社・箸墓古墳(はしはかこふん、卑弥呼の墓ではないかという説が有力)・三輪山・平城宮・二上山などで、西の端は淡路島の女人禁制の石上(いわがみ)神社です。いずれも古代から太陽信仰の跡となっているものです。また、太陽の道に沿って、日置・弊岐・戸岐・戸木・部木・引・疋・曳など、「ひき」又は「へき」と呼ばれる太陽と関係のある地名が多いということです。また、日置が転じて日企(ひき)氏になったということです。「古事記」の「国生みの伝説」によれば、伊耶那岐命(いざなきのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)が国生みをされた時、最初にできたのが淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)、すなわち現在の淡路島であり、淡路島の人々は、今でも日本最古の島の住人という誇りが高く、また島には太陽信仰の遺跡も多く古い信仰が残っているということです。

    内田康夫著 「神苦楽島(かぐらじま)」 文藝春秋
    水谷慶一著 「知られざる古代―謎の北緯34度32分をゆく」 NHK出版協会
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勝負の機微

2010-10-11 08:42:04 | 将棋
将棋の河口俊彦七段は「将棋ペンクラブ」の初代会長をつとめ、将棋のプロ集団である「日本将棋連盟」という外部の一般社会からは隔絶した村社会を、内側から見た多くのエッセイを書いています。そこから「勝負の機微」と題した文中のエピソードを紹介します。
ある時、若手棋士たちとゴルフをやった。そのかえり、渋谷でうまいものを食べようと話がまとまり、以前から知っている、魚を食べさせる店に寄った。その折、ふと思いついて、若手棋士のA君に「タイトル戦で旅館で対局する時、係のお手伝いさんがつくだろ。その人にチップを渡したかい。」と聞いた。A君は「いいえ」とけげんな顔である。「着物の着付け、その他いろいろと世話になるだろ。お礼はするもんだよ」A君は今度からそうしますとうなずいた。
それからしばらくして、若手棋士のB君、C君と喫茶店でいっしょになった。ちょうどよい機会と、同じことを聞いた。答は同じく「渡していません」であった。A君に言ったのと同じことを話すと、両君はうなだれ「教えてくれればよいのに」と呟いた。知らぬばかりに、つまらぬことで恥をかいた、と後悔しているようであった。ついでに言えば関西のD君は、初めて
タイトル戦に出たとき、誰かがチップのことを教えた。するとD君は、自分の名入りの扇子を
チップのかわりに渡したそうである。
 こうして比べてみると、みんな優等生というレッテルをはられているが、それぞれ感性の違いが表れて興味深い。「次から気を遣えばよい」で、すますA君と、反省するB,C君とでは将棋の考え方も違うのではないか。それは、どちらが大成する、という問題ではないけど、勝負に対する辛さ、という面で違いが表れるような気がする。
 チップは渡さなければ渡さずにすむものである。日本ではそうなっている。そして渡すにしても、多くても少なくても馬鹿にされる、さらに渡す人とタイミングもある。まったく些細な
ことながら、人づきあいの機微といえるかもしれない。
 著者はこのように結んでいました。

               河口俊彦著 「覇者の一手」 NHK出版
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みちびき

2010-10-08 06:17:20 | 科学
去る9月11日、JAXA(日本宇宙航空開発機構)は「みちびき」という衛星を打ち上げました。この衛星は日本のほぼ真上(準天頂)にあるので準天頂衛星と呼ばれています。GPS(全地球測位システム)衛星と似たものです。これはGPSよりも精度の高い測位ができることが期待されています。その理由はGPS衛星からの電波はビルや山で遮られることがあり、機能しない場合があるからです。
それに比べて「みちびき」は日本の上空にあるので、そこからの電波は常に捕えやすく、GPSの誤差が約10mあるのに対して「みちびき」の場合は、誤差が1メートル以内になることが
期待されています。こちらを使えば、カーナビの精度が格段に良くなるはずですが、現在、市販されているカーナビは「みちびき」の電波を識別できないということです。未だ一般には
「みちびき」を利用できる段階ではありませんが、トラクターの無人運転で北海道の広大な
農場を耕作したり、建設機械の運転に試験的に採用され始めたりしています。「みちびき」の一回目の打ち上げには735億円かかりましたが、将来、3機体制にするためにはさらに700億円かかるということです。
しかし、将来の広い利便性などを考えると、今後、準天頂衛星の打ち上げに対する要請は高まって行くのではないでしょうか。
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脾肉の嘆(ひにくのたん)

2010-10-04 06:45:56 | 歴史
「三国志」の話です。後漢末、劉備玄徳は曹操との戦に敗れ、荊州の牧(ぼく)であった劉表のもとに一時、身を寄せていました。ある時、劉備は自分の内股の肉(脾肉と言います)が厚くついているのに気付き、愕然として涙を流しました。それを不思議に思って見ていた劉表に向かって劉備は言いました。「自分は、かつて、来る日も来る日も馬に乗って戦っていたので、内股の肉はありませんでした。しかし、今では馬に乗らないため、内股に贅肉がついてしまいました。月日は瞬く間に過ぎ、老いが忍び寄ろうとしています。しかし、私は何の功業もたてていません。それが悲しいのです。」  このように平和で安らかな日が続くために手柄を立てる機会が無いことを「脾肉の嘆」と言います。この後、劉備は曹操のもとを脱出して、隠棲していた臥龍(がりょう、諸葛孔明のこと)を三顧の礼をもって迎え、孔明が唱える天下三分の計を実現させ、蜀の国を興し、曹操の魏と孫権の呉に鼎立して三国の時代を開きました。
 旧制高校生はこうした歴史に精通していたのでしょう。金沢の第四高等学校を代表する寮歌
「南下軍」はこのことをふまえて次のようによんでいます。
嵐狂へば雪降れば
いよゝ燃え立つ意気の火に
血は逆巻きて溢れきて
陣鼓響きて北海の
「健児脾肉を嘆ぜしが」
遂に南下の時到る
第四高等学校生は、この寮歌を歌いながら四高六高戦(六高は岡山)に向けて攻めこんで行きました。この時、四高柔道部で大活躍したのが正力松太郎氏だったということです。
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お礼

2010-10-03 06:56:14 | 近況
いつも、私のブログをご覧いただきありがとうございます。
お蔭さまで、昨日、アクセス数が95,000に到達いたしました。
平成18年の3月に書き始めてから約4年半と言うところです。
この間に95,000アクセスは、望外のハイペースではないかと思っております。
引き続き、ご愛読いただければ、有り難く存じます。なお、折々にコメントを頂戴できれば大変、励みになると存じます。

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