yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

高適 除夜の作 

2011-12-29 05:47:05 | 文学
歳末になると決まって思い出す高適(こうせき)の漢詩「除夜の作」です。
高適は盛唐の詩人で杜甫と親交がありましたが、晩年は不遇でした。

  除夜の作

 旅館寒灯獨不眠
 客心何事轉凄然
 故郷今夜思千里
 霜鬢明朝又一年

 旅館の寒灯獨り眠らず
客心何事ぞ轉(うた)た凄然
 故郷今夜千里を思ふ
霜鬢明朝又一年

結句、「霜鬢明朝又一年」は、白髪に又一年がむなしく加わる、という意味ですが
しみじみとしたものを感じます。






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囲碁ソフト アマ四段に到達

2011-12-26 05:49:25 | 将棋
最近、囲碁ソフトは長足の進歩を遂げています。従来、囲碁は、将棋に比べて盤面が広いので、パソコンソフトに関しての実力は、せいぜいアマ初段未満と言われていました。ところが、乱数とモンテカルロ法を使った思考エンジン「Zen」の登場により、様相が変わってきました。先日行われた世界大会では、Zenを搭載した囲碁ソフトが優勝を果しました。またエキシビションでこのパソコンソフトは、プロ棋士の鄭銘おう九段に六子で圧勝しました。鄭九段曰く、「囲碁ソフトはアマ四段以上の実力がある。」
最近は、優れた思考エンジンが開発されたので、開発者に必ずしも囲碁の高度な棋力が求められなくなりました。そこで、大学の情報処理学の研究者が学問研究の一環として囲碁ソフトの開発に取り組めるようになりました。
詰将棋解読ソフトなどは、1秒以下で超難解な問題でも解いてしまいます。ところがプロ棋士の中には、コンピューターより速くて正確に詰将棋を解く人がいます。例えば宮田淳史六段は、コンピューターより速く解き、そしてコンピューターのミスを訂正できる途方もない能力を持っているそうです。こういう人は、詰め手順の本筋が一目でわかり、余分な枝葉の手順を省略する能力があるのではないかと思います。まさに直感の世界です。人間がコンピューターに勝てるのは、直感と形勢判断を間違わない部分ではないかと思います。
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とうごうさんぴん 坊主丸儲け

2011-12-23 06:51:55 | 文化
昔から「くろよん」とか「とうごうさんぴん 坊主丸もうけ」とか言われる言葉があります。これは、直接税の補捉率のことです。直接税とは個人が国や地方自治体に納める所得税や住民税のことです。「とうごうさんぴん」とは、10割、5割、3割、1割の意味で、「坊主丸儲け」とはゼロのことです。すなわちサラリーマンに対する税の補捉率は10割、自営業は5割、農家は3割、政治家は1割、宗教法人はゼロという意味です。皆様、同じ日本国民でありながら、税の負担がこのように異なるのは不公平とは思いませんか。
仮に、各層の納税額が同じと仮定すると、(10+5+3+1+0)/40=19/40=0.48となり、つまり納税者が支払うべき税金の48%しか補捉されていないという事になります。取るべき所から税金をきちんと取れば税収は約2倍になります。きちんと徴税すれば、政府の言う13兆円の増税目標額はすぐに達成できそうです。ある東京の山の手の知人の近所には、ベンツをはじめ、車を4台も所有しているお寺があるそうです。つまり「とごうさんぴん」は直接税の補捉が難しいという現状を示しています。近頃、増税論議が盛んに行われていますが、まず、税収の確保を公平に行うべきではないでしょうか。
誇張かも知れませんが、かつて政治家が10%しか払っていなかったというのもあきれた話です。政治家にもサラリーマンと同様の捕捉率があれば、単に税収の面から考えれば現在の政治家の数を十分の一にしてもいいという事になります。(但し現在は捕捉率も改善されているそうですが。)
直接税をきちんと徴税するのはかなり難しく、一方消費税のような間接税は、所得の多少や職業の種類に関係無く、消費に比例して課税され、かつ確実に徴税できるので、より公平な税とも考えられます。直接税の比率を減らして間接税の比率を増す政策は、多くのヨーロッパなどの先進国が採用しているようです。ただし、低所得者の衣食住にかかる税負担が高額所得者に比べて相対的に大きいという課題もありますから、低所得者には一時金を与えるなどの配慮が必要かも知れません。
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お礼

2011-12-21 06:32:24 | 近況
いつも、私のブログをご覧いただきありがとうございます。
お蔭さまで、12月20日に、アクセス数が18万になりました。
平成18年の3月に書き始めてから約5年半になりました。
今年1年間でアクセス数が8万増えました。
これからも書き続けるつもりですのでご愛読いただければ、有り難く存じます。なお、折々にコメントを頂戴できれば大変、励みになると存じます。
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正岡子規のカンニング

2011-12-20 06:27:49 | 文学
正岡子規は明治16年に松山から上京し、大学の予備門に入学するために神田共立(きょうりゅう)学校(現在の開成高校)に通いました。同期生には夏目金之助(後の漱石)や、同郷の秋山真之(さねゆき)もいました。子規は外祖父で漢学者の大原観山に学んでいたので、漢学は得意でしたが、英語は苦手だったようです。大学予備門(後の一高)の入学試験において、英語の試験問題の中に、judicatureという単語がありましたが、子規はこの意味がわかりませんでした。隣の生徒にこっそり聞いたところ、それは「法官(ほうかん)だ」と教えてくれました。子規は幇間(たいこもち)と勘違いして、答案に幇間(ほうかん)と書いたそうです。しかし、子規はこの試験に落第せず、秋山真之等と共に合格したそうです。これは34年の短い生涯の間に俳句や短歌の革新をした正岡子規の青春時代の武勇伝の一つです。
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ラフカディオ・ハーン

2011-12-17 05:45:09 | 文学
ラフカディオ・ハーンは明治時代に来日した外国人で、日本文化に共鳴し、後に日本に帰化して日本名「小泉八雲」としても知られています。ハーンは1850年にギリシャ西部のレフカダ島で、アイルランド人で英国軍医の父とギリシャ人の母との間に生まれました。4歳の時、父の故郷のダブリンに住む大叔母に預けられました。その時、乳母が聞かせたのがケルトの妖精譚でした。これは彼の精神に大きい影響を与えたと言われています。彼は16歳の時に校庭で遊んでいた時、右目に縄があたり失明するという不幸に遭いました。19歳で単身、アメリカに渡り、印刷工や牧師の秘書を務めながら勉強し、24歳で新聞記者に抜擢されました。そして明治23年(1890年)40歳の春に、かねてから関心を抱いていた日本の土を踏みました。
ハーンは帝国大学のチェンバレン教授の斡旋で松江にある島根県尋常中学校の教師になりました。この時代に地元の怪奇譚を聞きとったり、神話を受け継ぐ出雲の信仰の中心である出雲大社に参拝したりして、日本文化に対する造詣を深めました。そして気管支カタルを患った時に看護してくれた武家出身の小泉セツと結婚しました。セツは生涯、ハーンを支えたという事です。一年余りの松江での生活は充実していましたが、熊本の第五高等学校の教授となって転出しました。ここでの同僚には、夏目漱石や元会津藩士の秋月悌次郎らがいました。ハーンは武士の風韻をもつ秋月悌次郎を特に慕ったということです。
46歳の時、帰化が認められ、小泉八雲と改名しました。なお八雲は、出雲に掛かる枕詞「八雲立つ」から取りました。彼はその年のうちに上京して帝国大学の教授となり、二男一女をもうけています。ハーンには「知られぬ日本の面影」などの随筆や、「耳なし芳一」「雪女」「怪談」「稲むらの火」など多くの著作があります。
ハーンは、自然と共生してきた謙虚な日本古来の精神を愛し、作品に綴りました。著書「仏の畑の落ち穂」の中の一編「生き神」は、庄屋の機転で津波から村人を守ったという話であり、今年3月の東日本大震災の後に改めて世界から注目されるなど、現在その精神性と世界観が再評価されています。
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本歌取

2011-12-14 06:17:23 | 文学
本歌取は和歌の作成技法の一つです。有名な古歌(本歌)の1句または2句を自作の歌に取り入れ、本歌を背景として用いることにより、歌に奥行きを与えて表現効果を重層化できる利点があります。

「万葉集」の「巻一」 額田王
三輪山の しかも隠すか 雲だにも 心あらなも かくさふべしや

この歌を本歌として
「新古今和歌集」の「巻二」 紀貫之の歌。
  三輪山の しかも隠すか 春霞 人に知られぬ 花や咲くらむ

これは本歌取の一例ですが、本歌の方が数段優れていることが多いようです。

俳句の世界にもあります。
正岡子規の有名な俳句
   柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

この句ができた直前に夏目漱石が作った俳句がありました。
   鐘つけば銀杏ちるなり建長寺  漱石
この俳句に関しては、正岡子規が漱石の句を本歌取したようです。

さて最近、北海道の名菓「白い恋人」をもじって、大阪で「面白い恋人」という菓子が売られていることに関して、「白い恋人」の本家本元が訴訟を起こしました。この件に関して、新しい名前を「面白い恋人」ではなく「面白い変人」としておけば問題が起きなかっただろう、と新聞記事にありました。
またこの頃、司馬遼太郎の「坂の上の雲」がテレビドラマ化され話題になっています。そこには日露戦争の頃の日本の姿が表現されていますが、これに対して、最近「坂の上に雲はなかった。坂の上にはまた坂があった」というフレーズを紙上に見つけ、思わず笑ってしまいました。この意味するところは「現代は日露戦争当時の欧米列強のような、追いつくべき手本がない」という現代の世相を風刺しているのかも知れません。


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祝 稀勢の里関 大関昇進

2011-12-11 06:55:43 | 文化
今年納めの九州場所の後、11月30日に稀勢の里関が大関に昇進しました。琴奨菊関に次いで最近では二人目の日本人大関の誕生です。
稀勢の里関は相手と真っ向勝負をして気持ちのいい相撲を取る力士であり、白鵬の63連勝を止めた実績もあり、その記憶は鮮明です。最近の白鵬との対戦成績も3勝3敗と五分の戦績を残しています。
ところで大関昇進の伝達式では、「大関の名を汚さぬよう精進します」と、口上を述べました。この言葉は、単純明快で意を尽くしていると思います。笑顔も控えめで、インタビューには、「新十両になったころは、大関は遠い存在だと思っていた。精神的にも肉体的にもまだまだ未熟。もっと稽古して、みんなから尊敬される力士になりたい」と答えています。
 横綱、白鵬からは次のようなエールがありました。「稀勢の里関はふてぶてしい所もあるが、普段は礼儀正しい。大関が最終目標ではないので、さらにその上を目指して欲しい。」
 稀勢の里関の今後の活躍に期待します。
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宇宙飛行士 山崎直子さん

2011-12-08 06:08:06 | 科学
日本人で二人目の女性宇宙飛行士 山崎直子さんは、1970年 千葉県松戸市に生まれ、アニメ 「宇宙戦艦ヤマト」などを見ながら育ち、これらから影響を受けて宇宙を志したということです。東京大学工学部航空学科および大学院修士過程を経て、宇宙開発事業団(現JAXA)に勤務しながら宇宙航空飛行士となり、国際宇宙ステーション(ISS)に滞在する宇宙飛行士候補者に選ばれました。2008年11月11日にスペースシャトルのミッションを遂行するため搭乗が決定。2010年4月5日から15日間、宇宙を飛行しました。これは日本人女性としては2人目となる快挙でした。当時、長女がいたので、ママさん飛行士といわれました。
1999年に宇宙飛行士候補者試験に合格してから、15日間スペースシャトルに滞在して2010年4月20日に地球に帰還するまでは4088日間(約11年間)でした。この間の記録をまとめて「夢をつなぐ 山崎直子の4088日間」という良本を出版しました。
その中に次のようなことが書いてあります。

波の音。砂の感触。地球に生まれたことに感謝せずにはいられない。ヒューストンに戻り、帰還式典を行った。その時私の口から出たのは、「この美しい地球に生まれたことを、誇りに思って下さい」という言葉だった。(中略)
宇宙から帰ってきてしみじみ思ったことは、夫と娘が自分のすぐそばにいるという平穏な生活が、なんて貴重なのだろうということだった。(中略)どんな存在も、決してムダというものはなく、世の中のすべてのものには意味がある。その美に満ちあふれた地球を、宇宙という外側の世界から見たとき、その思いは確信となった。どんなに悲惨な災害が人々を襲おうとも、飢餓や貧困、差別や格差が厳然としてあろうとも、それでも生きている世界は美しい。私はそう思う。そして、この美しい世界を、私たちは守って、次の世代に渡さなければならない。今より少しずつ、よりよい姿で。(中略)私一人の思いはほんの小さなものでしかない。でも、すべての大人たちの夢や希望が子供たちに受け継がれていけば、未来はきっと明るいものではないだろうか。私は今、そう思っている。

山崎さんは去る10月には次女を出産して、宇宙飛行士としての第一線の仕事から身を引かれたということです。

山崎直子 「夢をつなぐ」 角川書店
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最後だとわかっていたなら

2011-12-05 05:58:23 | 文学
2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロの後、世界中に配信された、ひとつの詩がありました。アメリカ人、Norma Cornett Marek (ノーマ コーネット マレック)原作の詩 “Tomorrow Never Comes”ですが、この詩を佐川 睦氏が訳して、「最後だとわかっていたなら」という本になりました。以下に珠玉のような詩を紹介します。

あなたは言わなくても
わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい
「あなたを愛している」と
わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか
伝えたい
そしてわたしたちは 忘れないようにしたい
(中略)
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつまでも いつまでも
大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから


ノーマは、1940年 ケンタッキー州ラインフォークに生まれ、美しい山々に囲まれた大自然の中で祖母に育てられました。詩や絵の才能にめぐまれ、幼い頃から数々の作品を残しました。「最後だとわかっていたのなら」の原作は、ノーマが長男のサムエルに捧げた詩で1989年に
発表されました。これらの詩はインターネットを通じて配信されました。しかし残念なことに、ノーマは2003年に癌を患い、翌年64歳で永眠しました。

ノーマのこの詩は、2001年9月11日のテロの時、救出作業の途中に亡くなった29歳の消防士が生前に書き残した詩として誤って紹介され、ネット上で爆発的に世界中に広まりました。かつてアメリカに留学していた佐川睦氏はこの詩に衝撃を受け、日本語訳を思い立ち、原作者のノーマに連絡をとろうとしましたが、彼女は既に癌で他界していました。そこで、ノーマの作品を管理しているノーマの親友のジュディに話して日本語訳について快諾を得て、本「最後だとわかっていたなら」が出版されました。

佐川 睦訳 「最後だとわかっていたなら」サンクチュアリ出版
 
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