yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

三隣亡

2019-01-31 07:02:38 | 文化
暦を見ますと日付の数字の下に色々な文字が書いてありますがこれを暦注といいます。有名なのは、六曜で、大安(たいあん)、友引(ともびき)、仏滅(ぶつめつ)、先勝(せんしょう/せんかち)先負(せんぷ/さきまけ)、赤口(しゃっこう/しゃっく)などです。その他に三隣亡というのがあります。三隣亡(さんりんぼう)は、馴染みが少ないですが、三隣亡は江戸時代以降に文献にあらわれた概念です。この日に建築をすると、火災を起こし、近隣3軒を亡ぼすという忌日だそうです。
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文房四宝

2019-01-28 06:25:32 | 文化
「文房四宝」または「文房四友」は、中国の文人が愛する文房具のことで、筆、墨、硯、紙を指します。
筆は官吏の象徴でもあり、かつて、官吏の冠には筆が取り付けられました。紙も文人が大切にしました。「洛陽の紙価を高める」ということわざもあります。晋の左思が三都譜(さんとふ)を作った時、これを写す人が多く、洛陽では紙の値が高くなったという、「晋書」文苑伝にある故事から、著書の評判がよくて売れ行きのよいことのたとえ。
硯は端渓硯や歙州(きゅうじゅう)硯が有名。
墨は易州や微州産が有名です。
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富士山を詠ず  柴野栗山

2019-01-25 06:31:35 | 文学
江戸中期の学者 柴野栗山の漢詩、五言律詩の「富士山を詠ず」を紹介します。

詠富士山

誰将東海水
濯出玉芙蓉
蟠地三州尽
挿天八葉重
雲霞蒸大麓
日月避中峰
独立原無競
自為衆岳宗


富士山ヲ詠ズ

誰カ東海ノ水ヲ将(も)ッテ
濯(あら)ヒ出(いだ)ス玉芙蓉
地ニ蟠(わだか)マッテ三州尽キ
天ニ挿(さしはさ)ンデ八葉(はちよう)重ナル
雲霞大麓ニ蒸シ
日月中峰ヲ避ク
独立原(もと)競ウコト無ク
自(おのずか)ラ衆岳ノ宗ト為ル

「訳」

誰がいったい東海の水をもって、玉製の芙蓉にも似て美しい富士山を濯い出し磨きだしたのであろうか。それは人間の手に成るものではなく造化の神の手に成ったものである。裾野は遠く大地に拡がり、甲斐・相模・駿河の三国をおおい包み、頂上は遙か天空に分け入り、しかも蓮の八枚の花びらのように重なり合っている。雲や霞は広大な裾野から蒸してわき、日や月も中央の高峰をさけて通るかのようである。すっくと群山を抜いて聳える姿は、他に争うものなく、自ら衆峰のかしらとなっている。


「鑑賞」

この詩は、雲峰富士の崇高にして雄大なさまを讃えた作で、杜甫の「望嶽」「登岳陽楼」や孟浩然の「臨洞庭」の影響を受けているとみられます。一方、「万葉集」の山部赤人の歌の影響も強く、古来、富士を詠じた詩の中でも絶唱とされる作品である。

 「吟剣詩舞道漢詩集 律詩・古詩編」日本吟剣詩舞振興会 





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藤井七段 将棋 順位戦 18連勝

2019-01-22 06:28:47 | 将棋
1月8日に行われた、将棋 順位戦において藤井聡太七段は勝利をおさめ、デビュ-以来、名人位を目指す順位戦18連勝を決めました。これは、中原誠十六世名人(71歳)が、1967年度から1968年度かけて達成した歴代1位の記録に並ぶ記録となりました。これからの記録更新が楽しみです。
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「精力善用 自他共栄」 嘉納治五郎

2019-01-19 06:38:30 | 文学
嘉納治五郎は講道館柔道をおこしましたが、その精神を「精力善用 自他共栄」としました。
これは、現代にも語りつがれています。
嘉納師範は、単に技を習得するだけではなく、天下の大道を学ぶものとし、その教育の場を「講道館」と呼びました。
柔道の目的は、身体を鍛錬して強健にし、精神の修養につとめて人格の完成をはかり、社会に貢献することであると示されています。
「精力善用 自他共栄」とは、個人の持つ力を良い方向に効率よく使うことが、人類全体の平和に貢献するという趣旨です。
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韋駄天

2019-01-16 06:20:45 | 文学
「韋駄天」は、2019年のNHKの大河ドラマのテ-マでもあり、日本初の五輪のマラソン選手、金栗四三(かなくりしそう)と五輪の歴史を描いています。
韋駄天は、バラモン教の神であり、シヴァ神の子とされます。仏教に入って仏法の守護神となり、増長天の八将軍の一つとされます。小児の病魔を除く神ともいわれ、また、捷疾鬼が仏舎利を奪って逃走した時にこれを追って取り戻したという俗伝から、よく走る神として知られます。
また、食事などご馳走をいただいた後に「ご馳走さま」というのは、速く走り回ってご馳走
を準備してくれた韋駄天さまに感謝することを意味しているそうです。
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望蜀

2019-01-13 06:38:36 | 文学
読書中に「望蜀」の語がありましたので調べてみました。

「後漢書」岑彭伝に、「隴を得て蜀を望む。望蜀の嘆。」とあります。人足るを知らざるを苦しみ、既に隴(ろう)を平らげて、復(ま)た蜀を望むの意です。一つの望みがかなうと、さらにその先を望むこと。人間の欲望には限りがなく、満足を知らないことのたとえ。
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想定外 佐々木毅氏

2019-01-10 06:22:34 | 文化
元東大総長の佐々木毅(ささきたけし)氏が雑誌に寄稿された「年頭のご挨拶」の中に「想定外」に関する事項が色々ありました。以下に紹介します。
平成時代の「想定外」の出来事として真っ先に思い浮かぶのは阪神淡路大震災に始まる一連の大地震、特に、東日本大震災です。東日本大震災の規模の大きさと巨大な津波、更にそれに起因した深刻な未曾有の原発事故によって多くの国民は圧倒されました。
平成時代のダメを押したのが英国のEU離脱とトランプ政権の誕生という「想定外」の事実でした。かつてグロ-バル化の音頭取りであった米英両国が脱グロ-バル化の先頭に立つというのは正しく「想定外」の事態でした。そして台頭著しい中国をめぐって国際関係は新たな緊張
をはらみつつあります。人間は想定に従って生きる動物ですが、想定の幅をどうとるかは人間の側の問題です。思い込みといわゆる常識に寄り掛かることなく、想定の幅を広くとって生きるべきことを平成の時代は我々に教えているように見えます。勿論、よい意味での「想定外」も含めて。

佐々木毅 「年頭のご挨拶」 學士會会報 No.934 2019-Ⅰ

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技術革新と幸福度

2019-01-07 07:03:33 | 文化
技術革新と幸福度について、東京大学教授の日高邦彦氏が雑誌に、次のように寄稿されています。

技術革新において幸福度の向上を考えることが、実は倫理に適っていることに気付かされた。
これは、電気学会倫理委員会委員長を拝命し2年を経たところでの一つの体験である。
倫理、特に技術や研究に関する倫理は、近年、その考え方が大きく変わってきている。従来、不正の防止を目的とした法令遵守型の予防倫理を強調し過ぎたため、敬遠される原因にもなっていた。それが、米国を中心に、社会および個人のwell-being(身体的、精神的、社会的に良好な状態を示す幸福の概念)への貢献を目的とした志向倫理を前面に打ち出そうとする活動が進んでいる。志向倫理と言われても、まだピンとこない方も多いであろう。そこで、ある行為をすべきかどうかの判断基準は、社会の幸福、結果的には自分の幸福につながるかどうかである、となれば倫理に対するハ-ドルも低くなるであろう。(中略)人類とAIが協調して技術革新を進め、倫理の手本となるような社会が実現できることを大いに期待している。

 日高邦彦 「技術革新と幸福度」電気学会誌 Vol.139 No,1

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髪の落つるを歎ず 白居易

2019-01-04 06:49:24 | 文学
中唐の詩人、白居易の七言絶句を紹介します。

  嘆髪落

多病多愁心自知
行年未老髪先衰
随櫛落去何須惜
不落終須変作糸

髪ノ落ツルヲ歎ズ

多病(たへい)多愁 心自ズカラ知ル
行年(こうねん)未ダ老イザルニ 髪先ンジテ衰フ
櫛ニ随ヒテ落去ス 何ゾ惜シムヲ須(もち)イン
落チザルモ 終(つい)ニ須(すべか)ラク変ジテ糸ト作(な)ルベシ

「訳」
病気がちで悩みが多いことは、われながらよく承知しているが、
まだ老齢に達していないのに、頭髪のほうが先んじて衰えてしまった。
櫛とともに抜け落ちようと、惜しむ必要があろうか。
抜け落ちずとも、結局細い白糸のようになってしまうのだから。

 「鑑賞」
801年頃の作。「行年未だ老いざるに」と嘆くのも道理、白居易はこのときまだ三十歳でした。彼はこの前年、科挙に合格しましたが、当時の制度では、吏部の試験に合格しないと官職につけないため、これを目指して猛勉強中であり、心労が重なって頭髪に衰えがあらわれたのでしょう。苦労のかいあって803年に試験に合格。生涯の友である元稹(げんじん)と同僚になりました。その元稹への手紙で「まだ老齢でないのに、歯が抜け髪が白くなった」と愚痴をこぼしたということです。
試練のときが長すぎ、さすがに楽天的な白居易も気が滅入ることが多く、めずらしく虚無的な影が漂うこの詩は、そんな彼の姿を如実に映しだしています。

 井波律子 「中国名詩集」岩波書店
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