仏教用語の他力本願は、自らの修行よって悟りを得るのではなく、阿弥陀仏の本願に頼って成仏することを意味します。ここでの「他」とはもっぱら阿弥陀如来を指し、「力」とは如来の本願力(はたらき)をいいます。「本願」とはあらゆる人々を仏に成らしめようとする願いのことであり、人間の欲望を満たすような願いのことではないとされます。転じて、一般用語としての他力本願は他人まかせ、他人に頼る態度を意味します。
仏教の宗派では、浄土宗と浄土真宗が他力本願です。日蓮宗は他力でも自力でもありません。他の宗派は自力です。
般若心経は、宇宙の真理と仏教の要諦が書かれているので、仏教のすべての宗派に尊重され、読まれているものと思っていました。ところが、最近になって浄土真宗と日蓮宗ではあまり読まないと知り驚きました。浄土真宗では、念仏の南無阿弥陀仏が重要であり、日蓮宗では南無妙法蓮華経が特に重要であり般若心経の出番がないようです。しかし、浄土真宗では、広く普及している般若心経の写経などの行為を禁止するということはありません。般若心経は他力本願ではなく、修行を積み善行を行い、自力で悟りに至ることを教えているようです。自力は、人としての格調が高く、格好もよいと不肖には思われます。故人のために般若心経を読むことは、布施波羅蜜を行うことでもあり、これからも続けたいと考えます。
仏教の宗派では、浄土宗と浄土真宗が他力本願です。日蓮宗は他力でも自力でもありません。他の宗派は自力です。
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