yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

「数独の解は唯一」とは言えない

2013-03-30 05:54:06 | パズル
新聞や雑誌には、よく数独の問題が出題されており、私もしばしば挑戦しています。今まで正解は唯一であろうと、漠然と信じていました。最近、難問に挑戦したところ、解いている過程で、「解は唯一」とは言えないことに気付きました。下図の問題には、解が二つ以上あることがわかりました。二つの解の説明は次の通りです。
 赤いセル以外のセルに入る正しい数値が、すべて決定された状態を想定します。
セルaとbは二国同盟の関係にあります。二国同盟とは、二つのセルに例えば4と6が配分されます。
セルcとdも二国同盟では6と2が配分さます。 セルeとfも二国同盟で2と4が配分されます。
また、セルaとcとeは三国同盟の関係にあります。(2,4,6が配分される)
   セルbとdとfも三国同盟の関係です。   (2,4,6が配分される)
この関係が成立していると
第1の解 (a,b,c,d,e,f)=(4,6,6,2,2,4)
第2の解 (a,b,c,d,e,f)=(6,4,2,6,4,2)
このように2種類の解がありますが、このほかにも解はあるようです。


一種の数学的パズルである「数独の解が唯一」とは言えない、というのは、私には大いに違和感があります。(詰め将棋に2種類の詰め手順があると、不完全作になるのに似ています。)

    「ナンプレ超難問 唐ガラシ」 日本文芸社
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「生きていることは」の歌を聞いて

2013-03-27 06:08:31 | 文学
先日、テレビで上条恒彦さんが「生きていることは」という歌を、見事に熱唱していました。いい歌だと思いますし、多くの人を励まし、感動を与えているようです
歌詞の中に、「生きていることは借りを作ること、生きていることは借りをかえしていくこと」とありました。私は将棋の故・米長邦雄元名人が言った、「人生は貸し方に回れ」という言葉を思い出しました。そして将棋界を牽引し、将棋に生きた人にふさわしい言葉だと思いました。
人生は借りを作ったり、返したりするより、貸しを与えるほうがすばらしいとは思いますが、しかし現実は理想通りに行かないのが通例でしょう。
キリスト教主義の大学、東京女子大学の校是は「犠牲と奉仕」です。この言葉には、「貸す、借りる」というような言葉より、もっと崇高で積極的、具体的な意志を感じます。なおこの言葉は、1918年に新生なったばかりの東京女子大学の全学集会で新渡戸稲造学長が語った言葉だそうです。
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広瀬旭荘 桜祠に遊ぶ

2013-03-24 06:17:00 | 文学
広瀬旭荘は江戸時代末期の漢詩人(1807~1863)。豊後、日田の人。兄、淡窓とともに有名です。漢詩、五言絶句 「桜祠に遊ぶ」を紹介します。

桜祠に遊ぶ

花開萬人集
花尽一人無
但見双黄鳥
緑陰深処呼

花開ケバ萬人集マリ
花尽クレバ一人無シ
但ダ見ル双黄鳥
緑陰深キ処ニ呼ブヲ



桜の花が咲くと何万とも知れぬ人たちが集まってくるが、さて、いったん花が散ってしまうと、だれひとりやってこなくなる。ただ一番の雌雄の鶯だけが、緑濃い葉桜の木陰で呼び交わしているのである。
(このように人は権勢利欲にあこがれ、招かないでも大勢の人が近寄ってくる。しかし、その人が財産、地位を失うと誰ひとりとして寄りつかなくなる。そうした折、旧に変わらない交情を示すものこそ真の人間である。)

この詩には、元になった中国人の漢詩がありますが、旭荘のこの漢詩のほうが優れているようです。

「吟剣詩舞道漢詩集(絶句編)」 日本吟剣詩舞振興会編
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わからずや

2013-03-21 06:24:11 | 文化
私個人の一方的な思いこみがあるかも知れませんが、世間には、様々な「わからずや」がいます。
例えば文書作成に関して言うと、今や、文書はワード・エクセルで作るのが多数派というのが私の認識です。ワードで作った文書を提出したのに、「400字詰めの原稿用紙に書かないといけない」と要求してくる人は、私から見ると「わからずや」に思えます。
収支報告書: 世間一般の団体の催しや活動などにおいて、収支報告は、(会計監査報告書)や領収書類を含めて、関係者に公開、周知するべきであるというのが私の常識です。
ある団体においては、それを「やらない」、「やれない」と言って平然としているような人がいると聞き、私にはそれは、社会常識のない「わからずや」がいる団体に見えます。
また、ある団体では、色々な文書を作っています。どんなに一生懸命にやっても文書の中に間違いをおかすことが結構多いのではないでしょうか。担当者の周囲の経験を積んだ人が校正を手伝ってあげると提案しても、「大丈夫」と言って受け付けない担当者がいます。蓋をあけてみると間違いだらけです。結局はその本人が恥を掻いて、やり直すことになるそうです。周囲の人のアドバイスを聞く謙虚さをなくしては進歩が止まってしまいます。こうした担当者は「わからずや」だと思います。私も、つい、これと同じような失敗をやっているかも知れません。
ある団体では、独自の数式を会の運営に利用しています。たまたま私は、この数式の根本となっている論理がおかしいと感じましたので、おかしいと思う根拠を添えて提示しました。これに反論できないのに、やり方を変えない人は、私には「わからずや」に思えます。こういう人に、さらに迫ると「昔からこれでやっているからいい」とか「提言の意味がわからない」というような訳のわからないことを言うのです。さらに私が追求すると、こういう人は自分の頭で考えることを止めて(思考停止状態)沈黙してしまいます。私から見ると救いようがないと思えます。
 この種類の「わからずや」は、結構、最高学府を卒業した優秀な人にいるのです。きっと、色々言われるのが嫌なだけなのでしょう。

 「わからずや」を分類してみると、次のようになります。
1. 新しい手法を理由もなく拒否して、古い手法を墨守するタイプ
2. 社会常識を無視する唯我独尊タイプ
3. 他人のアドバイスを聞くことができない、非謙虚で度量のないタイプ
4. 合理的プロセスを意味もなく受け入れない非論理タイプ(がんこ親爺)
上記のような人を私の周囲にはよく見かけますが、読者の皆様の周りにもいらっしゃるのではありませんか。
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米長邦雄の勝負哲学

2013-03-18 06:43:10 | 将棋
昨年12月に逝去した名棋士 米長邦雄には有名な勝負哲学がありました。「相手にとって
重要な勝負こそ全力を尽して絶対に勝つべし。」この米長哲学は将棋界に大きな影響を与えたと言われます。自分にとっては消化試合だが、相手にとっては降格や引退を賭ける試合を戦う場面がよくありますが、こういう試合こそ全力で戦うべし、としています。
森内名人は、この哲学について次のように語っています。「このテーマは将棋の世界ではよくある状況です。自分としてはその時々でベストを尽すしかない。これまでにも、相手の昇級や降級がかかった一番に向ったことも何度もありましたが、自分としてはその時々でベストを尽していました。それが相手に対する礼儀だと思う。」
 勝負を職業とするプロの基本的な態度だと思います。
一方、米長さんの先輩の芹沢九段は「米長、自分に関係ないときは目の前にいるやつを幸せにしてやるのが人生というものだ」とたしなめたそうです。芹沢九段のやさしさと甘さが滲みでていますが、こうした人間味には好感が持てます。
一般のアマチュアである私にはプロの世界の厳しさを伺い知ることはできませんが、相手にとって重要な戦いも含めてすべての勝負を全力で戦うのは、勝負師として当然の態度でありましょう。しかし、「そうした勝負こそ全力を出す」という発言には、少し気取りを感じますし、やや天邪鬼的で意地の悪い印象も受けます。
アマチュアの仲間が趣味として将棋を楽しむ時には、一人だけが、連戦連勝するのでは友達を無くす原因となりそうです。時々負けたり、失策をおかすほうが人間味があるようにも思われます。もっとも私などは、どんなに一生懸命にやっても失策だらけですが。
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電力王 福沢桃介

2013-03-15 06:10:28 | 科学
「電力王」と言われた福沢桃介は、明治元年(1868年)に、現在の埼玉県比企郡吉見町荒子の岩崎家に生まれました。そして明治7年に川越に移り住みました。桃介は幼い頃から聡明で、慶応義塾に進学し、後に福沢諭吉の次女「房」と結婚して福沢姓を名乗りました。その後、明治20年には米国に留学し、帰国後は財界で活躍しました。
桃介は木曽川水源開発を始め、中部地方から関西を中心に多くの水力発電を開発しましたので「電力王」と呼ばれました。昭和13年に渋谷の自宅で70歳の生涯を閉じています。
昭和60年のNHKの大河ドラマ「春の波濤」は福沢桃介を題材にしており、風間杜夫さんが桃介を演じました。実際の福沢桃介もなかなかの好男子であったそうで、風間杜夫さんははまり役だったのではないでしょうか。この大河ドラマには他に、松坂慶子さん(川上貞奴役)、中村雅俊さん(川上音二郎役)、壇ふみさん(福沢房役)が出演していましたが、水力発電所の建設に没頭した桃介が、リアルに表現されていました。

  渡部英二 「福沢桃介の生涯」電気学会誌 Vol.132, No.12 

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世界四大文章語

2013-03-12 06:38:49 | 文学
世界には四大文章語があるそうです。すなわち、ラテン語、漢文、古典アラビア語そして我が日本の文語です。ラテン語は欧米言語の元になっている古典語ですが、現代では広く使われているとは言えないようです。しかし、現代の日本に於いてさえ、朝の連続テレビドラマ「純と愛」で、ヒロインの純が就職した「オオサキ・プラザホテル」の玄関ロビーには、ホスピタリティーの真髄を表現するラテン語がありました。
 PAX INTRANTIBUS 歩み入る者に安らぎを
 SALUS EXEUNTIBUS   去りゆく者に幸せを

また、キリスト教主義の大学、東京女子大学の正面の本館には、次のラテン語が掲げられています。
「QUAECUN QUE SUNT VERA 」 (訳)およそ真(まこと)なるもの
ラテン語の上記の文は何と格調高いことでしょう。

漢文においては、かつての繁体字が簡体字に変わった今日、繁体字を読める中国人が少なくなったために膨大な中国の古典を読む人が減り、文章語としての漢文は危機にあるそうです。
日本の文語も似た傾向にあります。今や新聞もテレビも口語が主流であり、若者の使っている日本語には、聞くに耐えないものが横行しています。国語は日本のアイデンティティ一そのものです。国語が乱れると日本文化と日本語は危機に陥ります。
ある世田谷区立の小学校では「日本語」という授業があり、古典と漢文を学んでいるそうです。例えば、2年生の授業では漢詩の暗唱をしています。約40分の時間内に児童は孟浩然の漢詩、「春暁」を覚えてしまうそうです。

   春眠暁ヲ覚エズ
   処処啼鳥ヲ聞ク
   夜来風雨ノ声
   花落ツルコト知ル多少

児童は登下校の際にも暗唱を続けるので、楽しみながら完璧に覚えるということです。そして日本語の授業が好きと言っています。
美しい日本語(文語)を残す最も良い方法は、漢文の素読と古典の暗唱ではないでしょうか。何でも丸ごと暗記してしまうのがいいのです。素読や暗唱は、その時、意味が分からなくても、記憶さえしていれば後々少しずつ意味がわかって来るものだからです。

論語    子曰ク、學ビテ時ニ之ヲ習フ亦タ説(よろこ)バシカラズヤ
朋有リ遠方ヨリ来ル、亦タ楽シカラズヤ

李白    夫レ天地ハ萬物ノ逆旅、光陰ハ百代ノ過客ナリ。而シテ浮生ハ夢ノゴトシ

平家物語  祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色 盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず 只春の夜の夢のごとし。

源氏物語  いづれの御時にか。女御・更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いと、やむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。

徒然草   つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

江戸時代の藩校や寺子屋の頃に於いて素読や暗唱を続けながら、我々の祖先は美しい日本語を守ってきました。古典アラビア語のことはよく知りませんが、おそらくコーランと共に連綿と伝わっているのではないかと思います。

愛甲次郎 「美しい日本語を未来に引き継ぐ」 「學士會会報No.899 」2013―Ⅱ
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数学

2013-03-09 06:29:30 | 科学
数学は物理学とならんで、理系文化の基礎学問です。嘗て、旧制高校生にとっても、難しい学科であったようで、微かに分かる「微分」とか、分かった積もりの「積分」などと揶揄されたということです。学校で難しい事を色々と学びましたが、因数分解や2次方程式の解の公式などは、一般の人が生活をしていく上で、役に立つ場合は少ないようです。それでも学校で数学教育が行われているのは、論理的な思考を身に付けさせるのが目的ではないかと思います。
 先日、テレビで紹介していましたが、江戸時代には和算という日本独自の優れた数学があったそうです。和算の問題は、額に書いて神社などに奉納されました。これを「算額」と言いますが、愛媛県には、多くの算額があるそうです。例えば、1850年に松山市の伊佐爾波(いさにわ)神社に、花山金治郎によって奉納された「算額」があります。そこには次のような問題が書かれています。
 「1辺が20寸の正三角形があります。この中に同じ大きさの3個の円あります(下図)。この正三角形の外円の直径を求む」
 江戸時代の人は、「9寸零零有奇」という解答を残したそうです。「有奇」とは端数という意味です。現代の数学者、愛媛大学の平田浩一教授は、昔の和算の手法を調査した上で、極めてシンプルな解答式を導きました。その式によって計算すると、答は9.00393となりました。江戸時代の和算の結果も見事に一致しています。

因みに、その式は3次方程式の解tを用いて、次のように表されます。
       d=√3XtXa/(3-2Xt)
           d: 外円の直径
           a: 正三角形の一辺の長さ

    平田浩一 「愛媛和算家の数学力」   


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雑学クイズ

2013-03-06 06:45:56 | パズル
雑学クイズを出題します。

1. 次の漢字は魚です。何と読む魚でしょうか。
簳   
竹麦魚

2. 東京駅の駅長は何人いるでしょうか。
3. 天気予報で「未明」とは何時から何時でしょうか。

4.NHK総合チャンネル「おはよう日本」の放送開始時刻は何時何分でしょうか。

5. NHKの「のど自慢」が始まった時の正式名称は何でしょうか。

6. 合格の鐘は、何回鳴るでしょうか。



以下、答です。

1. やがら、ほうぼう。 魚穫量も少なく、あまり出回っていない「未利用魚」
に分類されています。
2. 2人。 JR東日本とJR東海にそれぞれ1名。
3. 午前0時から午前3時です。
4. 午前4時30分です。
5. 「のど自慢」は1946年1月19日から始まり、当時は「のど自慢素人音楽会」。 現在まで続いている超長寿番組
6. 11回。3回ではありません。
   のど自慢に出場したのをきっかけにしてプロ・デビューした超有名歌手は、わずかに4人です。
       美空ひばり(当時9才) 鐘1つ
       島倉千代子       鐘2つ
       北島三郎        鐘2つ
       五木ひろし       合格
   歌手ではありませんが、有名な作曲家の遠藤実(故人)は、鐘1つ ということです。
   上記のほかに、チャンピオン大会で優勝してプロ歌手になった人は沢山います。
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中庸 元田東野

2013-03-03 17:34:41 | 文学
幕末・明治の漢学者、元田東野(1818-1891)の漢詩です。元田の名は永孚(ながざね)です。

   中庸

勇力男児斃勇力
文明才子醉文明
勧君須擇中庸去
天下萬機歸一誠

  勇力ノ男児ハ勇力ニ斃(たお)レ
文明ノ才子ハ文明ニ醉フ
君ニ勧ム須ク中庸ヲ擇(えら)ビ去(ゆ)クベシ
天下ノ萬機ハ一誠ニ歸ス



勇気をたのみ、腕力をほこるものは、結局は粗暴と無分別によって身を亡ぼしてしまうものであり、ただ文明にあこがれる才子は文明に心酔するあまり、わが国固有の美点長所を忘れて無節操軽薄な人物となりかねない。そこで、君にぜひ勧めたいことは、常に不偏中正の道
を選び、これに則した考えをもち、行動をとることである。「中庸」にあるごとく、天下のあらゆることが起こる微妙な点は、すべてただ一つの誠によるものであるから、それを失わないようにしなければならない。

 起句、承句は平凡ですが、転句、結句は優れていると思います。特に、「天下ノ萬機ハ一誠ニ歸ス」は名言でしょう。

明治中期、明治政府は欧化政策を急速に推進したのですが、元田は、この風潮を苦々しく思い、この漢詩を賦して、東洋の心を示して、社会に警鐘を鳴らしましました。

 元田東野は熊本藩士の家に生まれ、祖父、自泉より厳しい漢学教育を受け、藩校、時習館では横井小楠らと知り合い、その感化を受けました。明治4年には明治天皇の侍読となり、以後20年に亘って天皇に進講をしました。この間、教育勅語の起草にも参加しました。明治
天皇が「朕は菊花よりも元田が詩吟を愛するなり」仰せられたという詩吟の名人でした。

        「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」  日本吟剣詩舞振興会編
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