yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

解りにくいコラム

2014-02-27 06:14:26 | 文化
ソチ冬季五輪が、テロもなく気持ち良く閉会した日、ある大新聞のコラムに次のような記事がありました。
「メダル8個に救われて。もう涙と笑顔の番組ではすまないNHK。場違い監督の下で値打ちを問われる選手たち。」

私には理解力が足りないのでしょうが、文の意味をすんなり理解することが、できませんでした。

場違いの監督とはM会長のことなのでしょう。そこまでは何となく解りました。「その監督の下で値打ちを問われる選手たち」、とは誰のこといっているのでしょう。会長未満のNHK職員のことを指しているのでしょうか。
マスメディアとして、同業他社の職員に対して、このような露骨な文を呈するのは、失礼であり、かつ上から目線の表現であると思われます。解りにくく後味の悪い記事でした。

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法輪寺 電電宮

2014-02-24 06:41:25 | 文化
京都市嵐山の法輪寺の鎮守社を「電電宮」と言います。雷の神、電電明神を祀る社がその起源です。古くから雷の神は田の神と同一視されたこともあり、電電宮は住民から広く信仰されてきました。しかし、禁門の変(1864年)で消失してしまいました。昭和31年(1956年)関西電波監理局長・平林金之助は、この後、電波の利用が多くなることから、電電明神を電気・電波の祖神として祀り、併せて電気・電波関連の研究先覚者や事業者の霊を顕彰すべきであると主唱しました。これに賛同した関西の電気電波関係者により明星社が再興され(ただし社殿は仮宮のままでした)、併せて法輪寺境内に電気電波関係者の霊を顕彰する電電塔が建てられました。電電塔には電気研究者の代表としてエジソン、電波研究者の代表としてヘルツの銅製の肖像が掲げられています。昭和44年(1969年)に大阪万博を記念して社殿が再建され、電電宮と改称されました。
また、奈良市斑鳩町にも法輪寺があります。聖徳太子ゆかりの寺であり、法隆寺の東方に位置する端正な古刹です。

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山行 杜牧

2014-02-21 05:57:23 | 文学
晩唐の詩人 杜牧の七言絶句です。

山行

遠上寒山石径斜
白雲生処有人家
停車坐愛楓林晩
霜葉紅於二月花

  山行

遠ク寒山ニ上レバ石径斜ナリ
白雲生ズル処人家有リ
車ヲ停メテ坐(ソゾロニ)愛ス楓林ノ晩(クレ)
霜葉ハ二月ノ花ヨリモ紅ナリ

 「訳」
遠くものさびしい山を登っていくと、石ころの多い小道が斜めに続いている。そしてそのはるか上のあたり、白雲の生ずるところに人家が見える。わたしは車を止めて、気のむくままに、
夕暮れの楓の林の景色を愛で眺めたが、霜のために紅葉した葉は、春二月ごろに咲く花よりも、
なおいっそう美しく赤いことであった。

「鑑賞」
ものさびしい秋の一日、山行(山歩き)した杜牧が、紅葉に心をうたれて賦した漢詩である。承句の「白雲」は、唐詩では、俗世間を離れた高雅な境地、隠逸の世界を表現するのによく用いられている。そして、白い雲と点のように見える黒い人家の色彩効果も見落せないが、更に霜にうたれて色づいた楓の葉の紅を、旧暦二月の春の盛りの花よりも美しい、とうたう。言われてみて、はっと気づく紅葉の美の素直な表現こそがこの詩の生命である。後世、「二月の花よりも紅なり」の結句から、「紅於(こうお)」が「楓」の別称として用いられるようになった。

石川忠久 「NHK 漢詩紀行」 日本放送出版協会

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男子厨房に入らず

2014-02-18 06:54:27 | 文学
多湖輝先生は次のように書いています。

「男子たるもの、台所のような下賤な場所に入らないのだ」とか、「いやいや、台所は女性にとって聖域だから、それを侵してはならないのだ」など男性の権威を振りかざしたり、女性に敬意を払って見せたりするときに使います。いずれにしても、世の夫族が、料理をしないことの口実に使われているようです。
しかし、じつはこの言葉はまちがいであることを、友人の漢学者で千葉大学名誉教授の志村和久氏から聞いたことがあります。彼によると「君子厨房に入らず」という言葉はなく、「君子は厨房を遠ざく」から転用されたものではないかというのです。志村氏は孟子の書物に「君子は生きた禽獣を見たからには、それが死ぬのを見るに忍びない。だから君子は台所を遠ざける」という意味の文章があることを指摘したそうです。つまり、厨房は、昔、食料にする禽獣を殺す場所でもあったために、「君子は厨房を遠ざく」となり、それがいつのまにか君子ではなく男子になり、「男子は料理をしないもの」ということになったというわけです。
志村氏に会ったある男性は、この言葉に触発されたこともあり、昔の自炊生活を思い出して、台所に立つようになったそうです。そしてあるエッセイに書いています。「人間の営みの中で、これほど多彩にあらゆる感覚を刺激するものはないであろう。肉に触れられる。それを調理する火がある。道具類がある。調味料がある。素材を素肌で扱う感覚、煮たり炒めたり焼いたりする音や熱の感覚、変化する素材の色や形、味や香りを確かめる感覚がある。視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚と五感のすべてを使って、全身でかかわれるのが料理である。だから、「食の楽しみ」は食べる楽しみだけでなく、作る喜びが大きな部分を占める。「男子厨房に入らずなどと言っていては、もったいないのである。」これを読むとわかるように、五感のすべてを使うことになる料理は脳の刺激剤として大きな効果をもたらすと多湖氏は述べています。

多湖輝 「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」 日本文芸社
     

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人とパソコンの戦

2014-02-15 08:38:44 | 将棋
  去る、2月11日に囲碁電王戦」が行われました。プロ棋士とパソコン・ソフトが対戦してプロ棋士が勝ちました。勝ったのは平田智也・日本棋院三段と張豊猷八段でした。それぞれ、パソコンと3回戦い2勝しました。パソコン・ソフトは「Zen」という思考エンジンを搭載していますが、棋力はまだ低いようです。
囲碁は、普通19X19の升目がある19路盤を使いますが、今回は、コンピューター側の力が弱いので、9X9の9路盤が使われました。19路盤の囲碁と9路盤の囲碁では、同じ囲碁とはいっても意味が全く違うと思います。両者は囲碁という同じルールで戦う点で似てはいますが異なるゲームです。9路盤の場合は、パソコンが勝ち易い戦い方ができる反面、プロが勝ったからと言っても人が強いということにはならず、この企画は真剣勝負とは言えない気がしました。すなわち、この電王戦の意義に疑問を感じます。悪く言うと、「お遊び」で、集客のためのイベントという気がします。
パソコンは、「勝負手」をひねり出すことが少ない、とか人が繰り出す奇手・妙手に弱いとか、等の事実が判明し、パソコンの欠点もわかったことなど一定の成果は得られたようです。
ソフトの開発者はプロの最高峰と互角に戦うことができる囲碁ソフトを開発するのに、あと20年はかかるかも知れないと言っていました。将棋ソフトが、既にプロの最高峰と互角になってきていることを参考にすると、将棋と同様の知能ゲームである囲碁のソフトにおいても、その開発スピードが今後、加速する可能性もあるので、あと20年ではなく、あと7年程度でトップ・プロを負かすのではないかと思います。(素人の推測ですが)

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希少糖

2014-02-12 06:11:46 | 文化
希少糖は、自然界に、その存在量が少ない単糖とその誘導糖のことです。最も研究が進んでいるのはD―プシコースです。砂糖の7割程度の甘味がありながらカロリーはほぼゼロです。1964年に香川大学の何森(いずもり)健教授等によってフリクトースをプシコースに変換する酵素、D―ダガトーマ3―エピメラーゼ(DTE)が発見されました。日本全国、約2000箇所から酵素を集めたということです。DTEが発見された場所は香川大学の農学部の食堂周辺ということです。これにより、希少糖を体系的に生産するシステムが考案され、大量生産への道が拓かれました。糖やシロップとして販売が始まっていますが、この糖を食べても肥満になることはないということです。
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弘道館に梅花を賞す 徳川景山

2014-02-09 06:55:26 | 文学
水戸藩九代藩主 徳川斉昭の七言絶句です。

弘道館賞梅花

弘道館中千樹梅
清香馥郁十分開
好文豈謂無威武
雪裡占春天下魁

弘道館ニ梅花ヲ賞ス

弘道館中千樹ノ梅
清香馥郁十分ニ開ク
好文豈ニ威武無シト謂ハンヤ
雪裡春ヲ占ム天下ノ魁

「訳」

弘道館の中にはおよそ千株もの梅の木がある。その梅はいま満開で、清らかな香りがぷんぷんとあたりに漂っている。昔、晋の武帝が学問を好むと梅の花が開き、学問をやめると咲かなくなった故事から、梅を好文木と称するようになったというが、その一面、武の威力が梅にないといえようか。あのきびしい寒中に雪を冒して独り咲き出でて、天下の春のさきがけをなすのは、まさにこの花である。


「鑑賞」

石川忠久先生によれば、
単なる観梅の詩ではなく、烈公みずから企画設計した弘道館に、その教学の大方針の象徴として植えた梅に対する感慨である。起句・承句は実景であるが、転句では力強く文武兼備
の理想をいい、結句は叙景をかりて、現下の難局と将来の明るい希望をのべ、みずからそのさきがけたらんとする決意を暗示している。

「吟剣詩舞道漢詩集 絶句編」 日本吟剣詩舞振興会編

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旗、戦のシンボル

2014-02-06 06:52:50 | 歴史
古来より、戦における団結の象徴として旗がよく使われてきました。王家の無いアメリカ合衆国の星条旗は、軍やスポーツなどにおいてアメリカの団結の象徴となっています。日本の「日の丸」も同じ意味があります。オリンピックのマラソンにおいても、日の丸を持った同胞の声援は、選手にとって何よりも心強いものだそうです。
1968年の鳥羽伏見の戦において、薩長軍が掲げた錦の御旗は、徳川慶喜の戦意を挫き、幕軍敗北の始まりになりました。
明智光秀と羽柴秀吉が雌雄を決した山崎の合戦(1582年)においても、秀吉軍の後方に翻った毛利家の旗が明智光秀の戦意を挫いたということです。毛利家の旗を見て、秀吉軍に西国の毛利家までが加勢していると、明智光秀は錯覚し、戦意を失ったとされています。これに先立つ、備中・高松城からの中国大返しの直前に、秀吉軍は毛利家と和睦する際に毛利家から旗を譲り受けていたそうです。秀吉の軍師、黒田官兵衛の優れた軍略に驚きます。
さて、現代でも甲子園で新潟県と山梨県の高校が野球の試合をした際には新潟県の高校は上杉謙信の「毘」の旗を掲げ、山梨県の高校は武田信玄の「風林火山」の旗を掲げて戦いました。川中島の合戦の再現のようです。
乃木将軍は西南戦争(1877年)の戦闘の際に薩軍に軍旗を奪われてしまったことを生涯の恥と考えたそうです。
旗には、心の拠り所となる大きなものが宿っていると考えられます。

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電力消費量のピーク月

2014-02-03 08:34:54 | 文化
かつて、電力消費量のピーク月は冷房電力がピークになる夏場と考えていました。しかし、それは間違いのようです。東日本大震災の後、2012年3月までの1年間の日本全国の消費電力量の統計によりますと、1月が8.08GWhと最大であり、8月の7.59GWhを上回っていました。特に家庭向けでは冬場の電力消費が大きいことがわかりました。従来の常識が必ずしも正しいとは言えない事例の一つです。
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