yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

全身全霊

2012-09-28 05:41:34 | 文化
横綱昇進の伝達式の時に、力士は四字熟語で決意を述べることが多いようです。
去る9月27日に第70代横綱になった日馬富士が言った言葉が「全身全霊」でした。日馬富士が日頃から使っている言葉です。体格的には劣っていても、運動神経の良さと俊敏な動きに加えて、全力で相手を倒してきた日馬富士にふさわしい言葉ではないかと思います。言葉の意味もわかり易く、好感が持てました。

白鵬が言った「精神一到」。精神を集中して取り組む、これも白鵬らしい言葉でした。
「精神一到何事か成さざらん」の略で「朱子語類」にある言葉です。
貴乃花が言った「不惜身命」は難しい言葉でした。「ふしゃくしんみょう」は「法華経」を出典としており、仏のために身命を捧げて惜しまぬ意味です。貴乃花は「相撲のためにすべてを捧げる」と言い切ったのでした。

 一方、琴奨菊が大関になった時に言った「万里一空」は、やや、わかりにくい言葉でした。「万里一空」は宮本武蔵の「五輪書」にある言葉です。琴奨菊は「万里一空の境地を求めて日々稽古に精進します」と口上を述べました。「努力の先に光がある」という意味を込めたそうです。
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稲森和夫氏

2012-09-25 06:01:42 | 文化
元・京セラの社長でカリスマ経営者と言われ、倒産したJALの再建を託されて僅か2年7ケ月で再建、再上場を果たした人。80歳ながら、ご壮健で9月19日にNHKのインタビューに対して訥々と心境を吐露されていました。

「経済が停滞している今日、現代の経営者、日本人に発するメッセージは?」 という問いに対して、稲森氏のメッセージは次のようなものでした。

かつて、日本は太平洋戦争に負けてゼロからスタートして、世界第二位の経済大国になった。バブルがはじけて以後、日本経済は低迷しているが、ここで奮起して欲しい。嘗て繁栄を築いた日本人は瓦礫の上に立って、世界一流の繁栄を目指し、上昇の思い(夢、決意、意志)を強く持って遮二無二に行動して来た。韓国や中国の成長企業を牽引している人たちも同じだ。こうした「上昇の思い」を再び強く持てば、日本の繁栄は実現できるはずだ。

大事業を成し遂げて来た稲森氏の言葉には重みがあり、共感させられました。
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数学者は変わり者か

2012-09-22 04:53:00 | 文化
ある数学者に下記のような一文があります。

私は類体論が大好きであったから、その研究に熱中した。しかし成果はなかなか上がらなかった。
私は数学に打ち込みすぎたせい(と生来ずぼらなせい)で、服装などひどいことになっていた。二度、様子のおかしい人がいるとの通報をうけた警察官のお世話になったことがある。その二度目は、この類体論拡張の試みが山場にさしかかったときであった、吉祥寺の駅ビルの中にある「吉祥寺ロンロン」というきれいな商店街で、突然ふたりの警官に左右から腕をとられ、そのまま交番へと直行した。まわりの人たちが何事かと見ている中を連行されながら、「なんで私がつかまるんですか」と抗議すると、「あなたの姿をごらんなさい」とおっしゃるので、見てみると、たしかにつかまっても仕方のない姿であった、半裸であった。
交番では、ふたりのうち若い警官は「この男は何か変なことをしているのでは」という雰囲気であったが、年配の警官のかたは、「そうか、勉強をしすぎたのか、自分の親戚に、勉強をしすぎて死んでしまった人がいる、気をつけたほうがいいよ」とやさしく諭してくださり、解放された。
なお、この文を読まれる若い読者が、「数学の研究は様子がおかしくならないとできないのか」と誤解されるとまずいので、申し添えたい、これは私の場合の話であり、私のまわりを見ると、どなたもみな、少しもおかしくなることなく、立派な仕事をしておられるのである。
        (引用終わり)

そう言えば世間には、変わり者の数学者はいるようです。
さて、私は数学者の世界を詳しくは知りませんが、「生来のずぼら」という点だけは、加藤先生とよく似ていますので、自戒したいと思います。 「SMAP」の草彅さんのマネはしません。

         加藤和也著 「素数の歌が聞こえる」 ぷねうま舎
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長岡の歴史

2012-09-19 06:02:39 | 歴史
越後・長岡の歴史を紹介します。私の郷里ですが最近まで知らなかったことが多くあり、驚きました。
長岡の地の北部には、慶長の頃、蔵王堂藩があり、堀直寄(なおより)公が城主でした。蔵王堂城は信濃川の近くにあり、年々土地が浸食されていましたので、上流の大島庄・平潟原に築城の計画が立てられました。この地が後に長岡と呼ばれるようになりました。長岡という名前の由来は、神田・表町・千手の地が遠くから見ると長い丘のように見え、長岡京に似ていたからということです。
長岡の地名が最初に文書に出てくるのは、慶長10年(1605)の蔵王堂藩の文書で、「蔵王堂の渡し守・与助に長岡渡しに変更する」という指示がありました。この後、長岡と書いた文書が多く出てきたようです。
 元和4年(1618)に堀氏が村上に転封になり、長岡城は完成目前にして牧野忠成公に引き継がれました。長岡藩は当時7万4000石で、新潟湊も支配しました。また牧野家は譜代大名でしたので幕府の要職を務め、戊辰戦争まで続きました。河井継之助が軍事総督の頃、西軍に敗れ長岡城は陥ち、街は焼けました。長岡藩の名家、山本家を継いだ山本五十六聯合艦隊司令長官は真珠湾攻撃を指揮しましたので、その報復として太平洋戦争末期には米国の空襲を受け、長岡市街は再び灰燼に帰しました。なお牧野家の第17代当主 忠昌氏は今もご健在です。
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将棋指し こぼれ話

2012-09-16 06:02:37 | 将棋
72歳で今も現役の内藤國雄九段の「将棋指し」に関する回想です。

私が四段になった頃の将棋界は非常に貧しく、新聞社の契約金が上がらず、棋士総会が紛糾することがよくありました。年間30万円の金額でもめているとき、花村元司九段が突然立ち上がり、「花村に1000万円を2週間預けなさい。競輪で300万円増やしてあげる」と言って急に場が和んだことがある。棋士はみんなサムライでした。

大山名人は冗談を言わないイメージがありますが、自分のことをいつも「勝負師」と呼ぶ、ある棋士のことを、「勝負師というのは勝ったり負けたりするから勝負師であって、あの人は負師(ブシ)だよね」と私(内藤國雄)に言ったのを覚えています。

原田泰夫九段は私が最も尊敬していた先輩の一人です。酒が強く、いくら飲んでも乱れない。話題も硬軟取り混ぜて豊富で巧み。書がうまく、和漢の詩に長じている。そして、どういう人と会っても対等に接する。どこに出しても立派な人間として通用する。こういう人があと2、3人いれば将棋連盟は大丈夫だと思ったものです。棋士にするのがもったいないくらいの人物でした。

升田幸三、三橋美智也、力道山。この三人が私の少年時代のあこがれでした。升田さんといえば、威張りの升田でね。これくらい威張るのが似合った人も珍しい。私は自分の師匠を喜ばせるために酒を飲み始めたが、酒は百薬の長であると同時に百害の長でもある。酒は身体と懐と頭を痛める。しかし升田さんと朝まで何度も飲めたことで、そのマイナスは補って余りあると思っています。

 ここに出てきた、「妖刀使い」の花村さん、「三手の読みや玉損の攻め」と言われた原田さん、「忍の一字の受け将棋」の大山さん、「新手一生」の升田さんは既に他界しました。棋界最長老
とも言える内藤さんの益々のご活躍を祈ります。

       内藤國雄著 「NHK杯 伝説の名勝負 次の一手」NHK将棋講座 9月号
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歳寒三友

2012-09-13 05:30:15 | 文学
「歳寒三友」とは、松竹梅のことです。
「歳寒」は寒い季節、すなわち冬の意で、苦難という意味も含みます。
「歳寒三友」は、一年のうちの最も寒い冬の季節に友とすべき三種の植物、松と竹と梅を言います。松と竹は寒い間も緑を失わず、梅は香り高い花を咲かせます。

「論語」に「子曰く歳(とし)寒くして、然る後に松柏の凋むに後(おく)るるを知る」とあり、逆境、・危難に遭遇して、はじめてその人物の節操の堅さがわかることのたとえです。
竹は苦難に遭っても、折れることなく、それをはね返す強さを持っています。梅は雪の中でも花をつける、生気と華やかさがあります。

寿司屋やうなぎ屋などでは、一般に、「松竹梅」というと、値段の序列を表すことが多く、そのため「松・竹・梅」には序列があるような印象がありますが、中国の原典においては、松竹梅に序列は無いそうです。
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議会制度

2012-09-10 06:00:42 | 文化
議会制度が今回の話題です。世界には日本のような二院制のほかに一院制の国もあります。

 二院制の国: イギリス、ドイツ、アメリカ、カナダ、オーストラリア、オーストリア、スイス、フランス、イタリア、スペイン、オランダ、インドなど
 一院制の国: スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、ニュージーランド、韓国など

二院制には、選挙で第一党となった党が独裁政治を行うことを抑制する意義がありました。
ところが、二院での第一党が各々異なると、議案を可決することが難しくなり、(ねじれ状態)
政治が進まなくなる弊害が出てきます。現在の日本がこれです。これは、日本国民を不幸にする一因となります。政権政党の政策の問題とか、首相の指導力や資質の問題とは別次元のことです。

 すべての国会議員は国民の幸福と国家百年の大計を、まず考える人でなくてはなりません。
次の選挙のことしか考えられない議員や党利党略が第一という議員に税金を支出するのは無駄という気がします。こういう議員や、国会に出席しない議員には、速やかに退場していただくのが国民の幸せにつながるのではないかと思います。

 有識者の中には、日本の議会のしくみを根底から考え直す時期に来たという見方もあります。例えば佐々木毅、(元東大総長、専門は政治学)など。
ある会派は政権公約の中に議会制度改革を掲げています。これだけをもって、この会派が良いとは、軽々に言うことはできかねますが、このように議会制度を争点にして選挙を行う事や、今、議会制度を再考することも必要なのかも知れません。
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酔後題禅院

2012-09-07 06:41:32 | 文学
晩唐の詩人 杜牧の漢詩です。茶を詠ずる詩の極めつき、という作です。

酔後 禅院に題す

觥船一棹百分空
十歳青春不負公
今日鬢糸禅榻畔
茶煙軽颺落花風

觥(こう)船一棹(とう)百分空し
十歳青春 公に負(そむ)かず
今日鬢糸(びんし) 禅榻(ぜんとう)の畔(ほとり)
茶煙軽く颺(あが)る 落花の風

「訳」
大杯になみなみついだ酒を、ぐうっと飲み干す。わが青春の十年は、だれにも負けないものであった。「觥」は大杯のことをいいます。「百分空し」は全部空になること。「公」は世間という意味です。十年たって、今、鬢に白髪がまじる年になり、禅寺の榻(とう、長椅子)の前で、茶を煎る煙が落花の風にゆらぐのを、目で追っている。
後世、この詩から「茶煙鬢糸」の語が用いられるようになりました。宋の蘇東坡も茶を愛し、
杜牧の詩に似た漢詩を賦しています。

石川忠久 「漢詩のこころ」 時事通信社

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クイズ

2012-09-04 06:06:48 | 文化
読者の皆様にクイズを出題します。
クロスワード・パズルなどを解いていると様々な問題にあたります。

第1問  □□□ に入る言葉は何でしょうか。

□□□大尽
□□□御殿
□□□城

第2問 江戸時代に天領だった新潟県□□市
第3問 寿司屋で「なみだ」とは  □□□
第4問 タツノオトシゴの別名   □□□
第5問  東京六大学は、早稲田、慶応、明治、法政、立教、もう一つは、□□大学
                



解答
第1問 イチヤ  (一夜城、木下藤吉郎が一夜で築城したという墨俣城)
              一夜大尽は、急に大金持ちになること

第2問      サド   (金山で有名な佐渡)
第3問      ワサビ  (食べすぎると涙が出ます)
第4問      カイバ  (海馬と書きます)
第5問      東京   (即答できず、少し考えました)


たかがクイズですが、難しい問題もあります。テレビの「ホールド・オン」などの場合は、即答を求められるので、さらに難しいと思います。
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詩 志を言う

2012-09-01 06:31:05 | 文学
「詩 志を言う」は「書経」の「舜典」にある言葉です。「書経」は四書五経のうちの一つです。
詩ハ志ヲ言ヒ、歌ハ永言(えいげん)シ、聲(せい)ハ永キニ依リ、律ハ聲ヲ和シ、八音
(はちいん)克(よ)ク諧シ、倫(りん)ヲ相奪(あいだつ)スル無クシテ、神人以テ和セン

「訳」
詩は志を言い表し、歌はそれを長い音にし、声はその長い音によって調子を整え、六律はその音声を調和させるものである。かくて八音が調和し、しかも調子はずれになることがなければ、音楽によって神と人とが和合するであろう。

中国には、文人詩人は天下国家に責任を持つ者とされ、漢詩は志を述べるものであるという伝統的な考え方がありました。
思えば、佐藤一斎の有名な「言志録」は、「書経」の「志を言う」から採られたものでありましょう。

加藤常賢 「新釈漢文大系 書経」 明治書院
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