yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

自然エネルギーの導入例

2011-11-29 07:19:53 | 文化
自然エネルギーを導入して「世界一幸せな国」があります。デンマークは1980年に国民投票により脱原発を選択し、替りに気象条件を利用して風力発電に注力してきました。首都コペンハーゲンの南、約150kmにあるロラン島には7万人が住んでいますが、600基もの風車があります。それぞれ一般個人が所有しており、総発電量は1.8GWにもなります。これは住民が使う電力の5倍にもなり、余剰電力は島以外にも供給されています。デンマークでは海の上にも風車群があり、潮の満ち干を利用した潮汐(ちょうせき)発電も行われています。デンマークでは発電方式を国民が選択し、多くの発電設備を国民が所有しているのです。こうして、CO2の削減にも成功しながら電力を確保できた民主主義の国デンマークは、「世界一幸せな国」といわれています。
さて、日本でも沖縄本島の南、300kmにある宮古島において自然エネルギーを主体とした小規模電力系統を実証する実験が進行中です。太陽光発電、4000kW、風力発電4200kW、蓄電器4000kWというような計画です。
また、新潟県 阿賀野市においても、東部産業団地の中に太陽光発電所が建設される計画
があり、1000kWの発電が予定されています。
 未だ、デンマークの発電量には遠く及びませんが、日本でも小規模水力発電、バイオマス発電、地熱発電などの再生可能エネルギーの拡大が広く模索されています。
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どくとるマンボウ青春記

2011-11-26 06:04:02 | 文学
北杜夫(1927-2011)は、歌人、斎藤茂吉の次男として東京で生まれ、小説家・随筆家・精神科医でありました。彼は激動の時代を生き、今年10月24日に他界しました。ユーモアがあり、飾り気の無い気さくな人柄であったそうです。どくとるマンボウシリーズは有名ですが、ここでは青年時代の自叙伝「どくとるマンボウ青春記」から内容の一部を紹介します。特に終戦後の混乱と飢餓の時期に松本高校で過ごした旧制高校時代の記述を下に引用します。

子供から青春期へ移ろうとする目に見えぬ胎動ではなかろうか

Nur wer die Schnsucht kennt,
Weiβ was ich leide

憧(あこが)れを知るもののみ、
わが悩みを知らめ

私はわざと、かつての旧制高校生がやたらと好んだこの語句を、ドイツ国の文字にて書き記す。そうしたほうが、あの黴臭くうす汚れた時代が髣髴としてくるからだ。
憧れにも各種ある。ほそい少女のうなじに対する憧れ、轟音を発するスポーツカーに対する
憧れ、いずれは甘い子供の時代を離れてなにか難しそうな世界へはいっていこうとする怖れに似た憧れなど。
しかし、私の憧れの芽生えは、もっと巨大な刺激、末期を迎えた戦争のためにおしつぶされた。(中略)

寮生時代に私も寮歌を作って応募した。「人の世の」という、ずいぶんと感傷的な歌詞が当選したのは、その一つの表われだったかも知れない。(中略)備忘として一番と三番の歌詞を記しておく。

人の世の美(うま)しきものを 萌えいづる落葉松(からまつ)の芽に
想(おも)ひつつ一人わけいる 細道はかそか続きて
夕映の赤きころほひ 迷鳥の心慕ひぬ

人の世の寂しきものを 先人の求め歩みし
この道は遂に音なく 長き影さしくる涯(はて)に
安息(やすらひ)の心抱くは 若人の幾人(いくたり)ならむ  (以下略)

以上は「どくとるマンボウ青春記」の中の旧制松本高等学校西寮における描写の一齣の引用ですが、作者北杜夫は、当時紛れもない旧制高校生であり、一生の宝となった疾風怒濤(シュトルム ウント ドランク)の生活をそこで体験しました。
また彼の作詞した寮歌は、歌人の父、斎藤茂吉を思い出させるような香気を感じさせる文章です。彼は高校時代には偉大な父、茂吉の子ということをひたすら隠したそうですが、文章を見ると血筋は争えないものだと思います。

北杜夫 「どくとるマンボウ青春記」 新潮社

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唐詩選

2011-11-23 06:12:05 | 文学
唐詩選は明の李攀竜(りはんりょう1514-1570)が編纂した唐代詩人の漢詩選集です。王維、李白、杜甫、高適ら名高い唐の詩人を中心に、128人、465篇の名詩が選ばれています。
不思議なことに、平安時代以来、日本でもてはやされた白楽天の詩は採られていません。
学生時代最初に学んだのが、巻頭にある魏徴の五言古詩「述懐」でした。

述懐

中原 還た鹿を逐い
筆を投じて戎軒を事とす
縦横の計(はかりごと)は就(な)らざれども
慷慨の志は猶お存せり
策によりて天子に謁し
馬を駆りて関門を出ず
纓(えい)を請うて南粤(なんえつ)を繋(つな)ぎ
軾(しょく)に憑(よ)りて東藩(とうはん)を下さん
鬱紆(うつう)、高岫(こうしゅう)に陟(のぼ)り
出没 平原を望む
古木に寒鳥鳴き
空山に夜猿啼く
既に千里の目を傷ましめ
環た九逝の魂を驚かす
豈(あに)艱険(かんけん)を憚(はばか)らざらんや
深く国士の恩を懐う
季布に二諾無く
候嬴(こうえい)は一言を重んず
人生 意気に感ず
功名 誰か復た論ぜんや

最後の二句「人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜんや」は特に有名で、私もしびれました。

さて旧制高知高校の初代校長、江部淳夫は、第一回の入学式において熱弁をふるい、それが高知高校の教育精神と校風を創ったといわれます。殊に「感激なき人生は空虚なり」という名言は生徒に熱烈に支持され、後々まで言い伝えられる言葉となりました。土佐の異骨相(いごっそう)はこのような精神の下に育ったのではないでしょうか。
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アルファベット

2011-11-20 06:33:53 | 歴史
アルファベットは子音と母音を著す表音文字で、ヨーロッパ諸国の言語を記述するのに広く用いられています。ギリシャ語のアルファベットの最初の2文字、α(アルファ)とβ(ベータ)をまとめてアルファベットと呼ばれるようになりました。英語ではAからZまで26文字
があります。これは、地中海を舞台に交易をしていたフェニキアの文字が元になっています。商業契約書を作る上で、エジプトの象形文字、ヒエログリフなどの従来の文字では不都合でした。そこでシュメール人が発明した楔形文字を改良して現在のアルファベットの中でAからTまでの20文字をフェニキア人が発明し、これがギリシャやローマに伝わっていき、最終的に現在のアルファベット26文字になりました。
フェニキアは現在のレバノンを根拠地にして、地中海を取り巻くカルタゴ、イビサ(スペイン)アフリカとの交易で繁栄しました。しかしポエニ戦争でローマに破れて歴史の舞台から姿を消しましたが、アルファベットは現代にも広く使用されています。
フェニキア語のErebは地中海の西に沈む日を意味しました。これがEurope(ヨーロッパ)の語源です。フェニキア語のAsuは地中海の東に昇る朝日のことでAsia(アジア)の語源となりました。考えてみるとアルファベットの発明は、漢字に勝るとも劣らない発明と思われます。
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日本語の一人称

2011-11-17 06:31:28 | 文化
日本語には一人称の言い方が様々あります。普通は「私」と言いますが、夏目漱石のような文豪は「余」が似合いますし、旧制高校生は気取って「吾人(ごじん)」などと言ったようです。明治、大正時代には「やつがれ(僕)」「乃公(だいこう)などというのもありました。私の男性の友人、知人も様々な言い方をしています。「おれ」が多いですが、下関出身の友人は「わし」と言っていましたし、越後魚沼の大農家の当主は「おらこ」と言っています。
さて、私は「拙者」を好みます。先日、街で歩きながら何気なく家内に「拙者」と言ったら、前を歩いていた若い娘が急に振り返って、ぎょっとした表情で私を見ました。その目は点になっていました。江戸時代からタイムスリップしてきたアブナイ人物と思われたのかも知れません。そこで外では「拙者」を使わないようにしていますが、家庭内では愛用しております。適度にへりくだっており、使い易いのです。
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祝 加藤九段 1300勝 達成

2011-11-14 06:45:37 | 将棋
将棋の加藤一二三 九段(71歳)は平成23年11月1日の公式戦で勝利し、通算1300勝を達成しました。この記録は故大山康晴十五世名人(享年69歳)の1433勝、中原誠十六世名人(64歳)の1308勝に続く史上3人目の快挙で、現役の棋士の中では最多の勝ち数です。
この時点での加藤九段の成績は、1300勝1074敗で勝率0.55になります。
なお、負け数で1000敗をこえた人は、将棋・囲碁界を通じて加藤九段ただ一人で、これも大記録ではないかと思います。最近、有吉九段も記録しています。
分野が異なるので単純に比較することはできませんが、将棋の1300勝は野球に置き換えると、張本選手とイチロー選手が達成した、3000本安打達成に匹敵する記録ではないでしょうか。則ちこれはプロが生涯を賭けてようやく達成するレベルの記録で、その世界において一人か二人のみが獲得できる大記録と言えるのではないでしょうか。
加藤九段は、今日までずっと将棋一筋に打ち込んで来られ、今なお元気で闘志満々のようです。多くの棋士が60歳を越えると引退していく中にあって、70歳を越えてもなお現役で戦い続けておられる姿勢に敬意を表するとともに、大記録達成に心からお祝いを申し上げます。
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無常観と諦観

2011-11-11 06:00:55 | 文学
栄枯盛衰についての無常観と宗教的諦観が、日本の古典文学の底流にあると言われています。
例えば「平家物語」の冒頭の名文に、無常観が端的に書かれています。

祇園精舎の鐘の声 所行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりをあらはす 
おごれる人も久しからず 只春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ 偏に風の前の塵に同じ。

また、鴨長明の「方丈記」の冒頭も無常を説いています。

ゆく河のながれはたえずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたはかつきえかつむすびて、ひさしくとどまる事なし。世の中にある、人と栖(すみか)と又かくのごとし。たましきのみやこのうちに棟(むね)をならべ、いらかをあらそへるたかきいやしき人のすまひは世々をへてつきせぬ物なれども、是をまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
或はこぞやけてことしは作り、或は大家ほろびて小家となる。すむ人も是に同じ。ところもかはらず、人もおほかれど、いにしへ見し人は二三十人が中にわづかにひとりふたりなり。朝(あした)に死に、夕べに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。

能楽、謡曲においても無常観と諦観が流れています。

人間五十年下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり、
ひと度生をうけ滅せぬもののあるべきや

「敦盛」「鵺(ぬえ)」「頼政」、みなそうです。

能は本来、日本人の情緒的な特性を表現したものと言われます。つまり、能楽の神髄は日本人
特有の諦観でありやさしさだそうです。
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酒を勧む 于武稜

2011-11-08 06:58:12 | 文学
唐の詩人于武陵(うぶりょう)に「酒を勧む」という漢詩があり、「唐詩選」にも採られています。

勧酒

勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

君に勧む 金屈巵(きんくっし)
満酌(まんしゃく) 辞するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨多く
人生 別離足(おお)し

この詩には井伏鱒二の名訳があります。

このさかずきを受けておくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ。

この訳は大変有名になっていますが、不肖、私には若干異議もあります。
「さよならだけが人生だ」は、漢文を正確に訳していると思えず、また、大方の真理と
するには疑問があります。生別、死別あわせて人生には多くの別離があることは、この頃、とみに感じておりますので。
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東郷平八郎の美談

2011-11-05 05:53:41 | 歴史
日露戦争の日本海海戦でロシア艦隊を撃滅した司令長官、東郷平八郎は、アドミラル東郷として世界中にその名を轟かせました。明治時代に東洋の小国が、西欧の大国ロシアに勝ったことは、奇跡に近いことでした。トルコにおいてはこの勝利が特に歓迎されたのか、首都のイスタンブールには、トーゴー通りができ、生まれた子供にトーゴーという名が付けられたりしたそうです。勿論、日本でも東郷は海軍の神様と言われ、最後には軍神となりました。
さて、横須賀市には、幕末に、幕府の重臣、小栗上野介忠順(ただまさ1827-1868)が建造した横須賀海軍工廠がありました。
明治35年(1902年)にイギリスで建造された当時最新鋭の戦艦「三笠」は、横須賀に回航され、海軍工廠で整備された後に出撃して行きました。「三笠」は東郷司令長官が乗る連合艦隊の旗艦でした。戊辰戦争で幕府方の小栗は斬首されましたが、日露戦争が終ったある日、戊辰戦争当時は薩摩兵の一人であった東郷は小栗の遺族を自宅に招き、「日本海軍がバルチック艦隊に勝つことができたのは、小栗さんが横須賀の海軍工廠を造ってくれたおかげです」と丁重に礼をしたと言うことです。
東郷は、艦隊決戦の戦闘の際中には部厚い装甲に守られた司令塔に入らず、波をかぶり砲弾が迫る危険な艦橋に立ち続けたということです。これが日本海軍伝統の指揮官先頭の手本となりました。
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原器

2011-11-02 05:44:55 | 科学
度量衡は生活や商取引の基本になりますので、古来より為政者は度量衡の制定(統一)に意を用いてきました。
現代ではSI単位が国際的な標準になっています。嘗て天気予報に於いて、気圧を1000ミリバールと言った時代がありましたが、現代は1000ヘクトパスカルに替わりました。そして尺や貫という単位も姿を消しました。(しかしアメリカでは、ヤード・インチ・ポンドが依然として使われています。)
ところで、度量衡の基本になるメートル原器とかキログラム原器という物がありました。
そもそも1メートルとは最初、パリを通る子午線において、北極点から赤道までの長さの1千万分の1と決められていました。すなわち南北に地球を一周する長さは、その4倍の4千万メートル(4万km)ということです。ちなみにパリにはメートル原器が現在も保管されているそうです。
一方、kgは4℃の水1リットルの重さと最初は定義されていました。そしてこれもパリにそのkg原器がありました。こうした原器という物は、温度により数値が変化したり経年変化があるので、最近、kg原器は廃止になりました。替わりに物理現象から、基本単位が定義されるようになりました。つまりアナログ時代からディジタル時代に変わってきたとも言えます。

例えば、1メートルは、299792458分の1時間に光が進む長さです。
1キログラムは、ある大きさのシリコンのボールを作って、その中にある原子の数を数えることにより決めるそうです。(実際に行うとなると面倒な作業になると思われますが。)
1秒はセシウム133原子の基底状態に於ける2つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の9,192,631,770倍に等しい値と定義されています。
以上からも、物理学は、こうした身近な私達の日常と深く関わっていることがわかります。
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